じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



09月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。



 岡大・文法経駐車場で見かけたメマツヨイグサ(たぶん)。アレチマツヨイグサとの区別は難しく、同一種とする説もあるらしい。


2024年9月2日(月)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「怖い話を聞きたくなるのは大脳辺縁系の働きと野性の本能」という胡散臭い説明

 昨日に続いて、8月23日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. なんで大人数の声援は「わー」って聞こえるの?
  2. 陸上のトラック競技が左回りなのはなぜ?
  3. なんで人は怖い話を聞きたくなるの?
という3つの話題のうち、最後の3.について考察する。

 3.の怖い話を聞きたくなる理由について、放送では「危険か安全か確かめたくなる野性の本能」が正解であると説明された。

 脳と記憶の研究をしている阿部和穂さん(武蔵野大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 生きていくために非常に重要な働きの1つに、安全なのか危険なのかを確かめるということがある。
  2. 怖い話を聞いた時の恐怖感は「これから何か悪いことが起こりそう」という予感を感じて脳が不安で落ち着かない状態になっている。
  3. 脳の中の大脳辺縁系では見たり聞いたりしたことの好き嫌いを判別する仕組みが働く。
  4. 怖い話を聞いている間は、もしかすると自分にとって害になるかもしれないと感じながらも、まだ途中なので好き嫌いを判別できない。つまり大脳辺縁系は最後まで話を聞きたいとうずうずしてしまう。
  5. この働きは人間以外の動物、例えば猫の動きを見ると分かる。猫の目の前に小物体(ここではチコちゃんの絵が書かれた衝立)をピアノ線で引っ張って移動させると、猫は最初は立ち止まり影から様子を伺うが、そのうち接近して触れるようになる。
  6. 大脳辺縁系はもともと野生を生き抜いてきた動物たちが発達させた仕組みで、1つ1つが安全なのか危険なのかその都度判断して、適切に行動をとり自分の身を守る。そのために身につけた、たくましい仕組み。
  7. 私たち人間の脳の中にも野生動物が身につけた本能が残っている。だから怖い話で嫌だなあと思ったとしても、もう確かめて聞かざるを得ない、だから猫も人間も一緒。
  8. 最初はなんだか分からなくて怖いからやめちゃおうかなっていうのがドキドキ。確かめてみたところ安全だった、じつは平気だったことが分かると、それは成功したという喜びに変わる、つまりワクワク。そうすると、また聞きたくなってしまう。
  9. つまり怖い話を聞きたくなるのは、本能的に危険か安全か確かめずにはいられないことに加えて、怖い話でドキドキしても危険ではないと分かってワクワクした経験から、もっとワクワクしたいと思ってしまうから。
  10. 例えば探検家が前人未踏の山に登るとか、科学者が誰も見たことのない世界を確かめようとして実験にチャレンジしたりするのもまさに怖い話を同じ。自分がまだ見たこともない、やったこともないので怖いなと思うことがあったとしてもぜひ挑戦してみていただきたい。
  11. 【補足説明】怖い話やお化け屋敷が一切ダメという人もいるが、そういう人は怖いことが起こる前から大脳辺縁系が「これは危険すぎる」と判断してその情報をシャットアウトしているから。

 ここからは私の感想・考察になるが、以上の説明にはイマイチ納得できないところがあった。
 まずそもそも、「怖い話」の定義が曖昧であるし、なぜ、ある話を聞くと怖いと感じるのかも定かでは無い。あくまで私個人の勝手な分類だが、ひとくちに「怖い話」と言っても、いくつかのタイプがあるように思われる。
  1. 映画などでグロテスクな怪物に襲われるシーン。お化け屋敷も同様。
  2. スリルサスペンスもの。敵から必死に逃げるシーン。
  3. 日常生活の中で起こったちょっと怖い話。
このうち1.や2.は、冷静に考えれば「自分にとって危険か安全か」を確かめる必要の無いフィクションの世界である。にもかかわらず怖いのは、1.では画像そのものも怖さがあり、夢の中に現れることさえあるためと考えられる。2.は登場人物と一体化することで、自分自身が苦境に立たされたと想像するためであろう。これらは、部分的には条件反射によるだろうが、多くはメタファーの力、あるいは関係フレーム理論でいうところの、刺激機能の変換の働きによるものと考えられる。3.も同様であり、他人の話なのに怖いと感じるのは、同じような場面が自分自身の世界でも起こりうるからと想像するからであろう。
 いずれの場合も、言語行動やメタファーが大きく影響しており、この点では上掲の猫の話(未確認物体に対する猫の反応)とは全く別物であるように思う。

 怖い話というのは、自分の身が危険かもしれないという話とは必ずしも一致しない。例えばある食品に強力な発がん物質が含まれていたという話や、この交差点では死亡事故が多発しているというような話を聞いても、それ自体は怖いとは感じない。
 あと、放送で言及されている「怖い話」というのは、自分自身にとって有害かどうか分からず、結末まで聞くと安全であったという話のことを想定しているようだが、怪談話の結末は常にハッピーエンドとは限らないし、中には結局なんで起こったのかが分からないままという謎を残したままの話もある。なので、「ドキドキ→ワクワク」の繰り返しで強化されていくというものでもないと思う。

 怪談やお化け屋敷で恐怖を味わったあとそれが快感となるのは、ジェットコースターの体験と似ているように思われる。これについては2021年9月に初回放送された、ヒューマニエンス『“快楽” ドーパミンという天使と悪魔』でも取り上げられており、こちらで考察したことがあった。このほかアドレナリンの影響もあるらしい。まだいろいろ議論はありそうだが、いずれにせよ今回の説明はかなり胡散臭い内容であった。少なくとも、
  • 人はなぜ、わざわざジェットコースターやお化け屋敷、ホラー映画などの恐怖体験を求めるのか?
  • 探検家や科学者が未知の世界にチャレンジする力
の2つはハッキリ分けて考えたほうがいいと思う。