じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 9月18日の18時22分〜24分頃、東の空から満月が昇る様子を眺めることができた。天文年鑑によれば、満月の瞬間は11時34分、20時14分赤道通過、22時22分最近、ということなので、真東から昇る大きな満月となった。
 なお、国立天文台によれば、月の出は、
月の中心が視地平線または水平線に一致する時刻を、月の出・月の入りの時刻と定義しています。中心を基準とするのは、月には満ち欠けがあり、必ずしも上辺が輝いているとは限らないからです。
と定義されているので、いちばん上の写真が定義上の月の出ということになる【厳密には地平線ではなく低い山からの月の出となっているが】。


2024年9月19日(木)




【連載】『3つの自己』の再考(7)概念化された自己(2)公私の区別

 9月12日に続いて、「概念化された自己・他者」についての考察。

 「概念化された」自己としてしばしば体験されるのが、公私の区別である。たいがいの人は、組織の中で公的に振る舞う時の自分と、家庭内や一人暮らしの時の自分の使い分けている。
 公的な自分と私的な自分が全く別人のような振る舞いを見せたとしても、「あの人は二重人格だ」と見なされることは普通はない。むしろ、「あの人は公私の区別をちゃんとわきまえている」というように肯定的に評価される。もっとも公的人間の私生活をどう見るのかについては文化差があるようだ。クリントン=ルインスキー・スキャンダルの動きなどから推測すると、アメリカでは法律に違反しない限りは不倫や不道徳な行為に対しては日本より寛容であるようにも思える。

 もっとも、公私の区別が「概念化された自己」の典型であるかどうかは、もう少し考えてみる必要がありそうだ。人の振る舞いは、多かれ少なかれ、それぞれの文脈の中で決まる。
  • 教師の仕事をしている人は、職場では生徒たちから先生、先生と呼ばれることで、教師にふさわしい行動が強化されやすい。
  • いっぽう、その教師が家に帰れば、子どもたちからはパパ(ママ)、配偶者からも「あなた」などと呼ばれる。職場と異なり、家庭内ではとうぜん家族の一員としての行動が強化されやすくなる。
公私の区別がしっかりできている人は、いっけん、公的人間として振る舞うべき舞台と、私的人間として振る舞うべき舞台で、それぞれの台本をもとに違った人物を演じているようにも見えるが、実は単に、それぞれの舞台で用意されている強化の随伴性に基づいて、違った振る舞いを見せているだけなのかもしれない。であるとすると、公私それぞれの自分(行動)はわざわざ概念化しなくても、公私それぞれの異なる文脈の中で、自然に形成される可能性が高い。

 もちろん、自分はこうあるべきだという信念のもとに、積極的に自分を「演じて」いる人もいる。アイドルと呼ばれる人はファンから期待されているように振る舞わなければならない。政治家も同様だが、たまに失言したりして批判を浴びることもある。

 というふうに考えてみると、自分をどう概念化するか、ということを考える前に、自分が生活環境の中でどのように強化されているのか、ということをフィルターをかけずにしっかり把握する必要がある。また、概念化は必ずしも必要ではない。『ポツンと一軒家』で紹介されている独り暮らしのお年寄りなども、別段自分自身を概念化しているわけではなく、自分の置かれた環境の中で精一杯頑張っていることがそっくり充実した人生に繋がっているのかもしれない。

 不定期ながら次回に続く。