じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 12月2日の07時頃に日の出の写真を撮ろうとしたところ、日の出の方位に、丸い形の光が現れた【写真上】。薄雲越しの太陽のようにも見えたが、太陽だとしたら少し暗い。そうしているうちにその下から本物の太陽が現れた【写真中、写真下】。
 「偽太陽」がどのような仕組みで出現したのかは不明。本物の太陽が雲の一部を照らしていたことは確かだが、なぜ円形になるのかは分からない。



2024年12月2日(月)





【連載】チコちゃんに叱られる! 「炊き込みご飯の歴史」「長寿日記27年半 」

 11月29日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. なぜクレーンゲー厶にぬいぐるみが入っている?
  2. なぜ1日は24時間?
  3. 炊き込みごはんはそもそもなぜ炊き込んだ?
  4. 【ひだまりの縁側で?】長期間、日記をつけること。
という4つの話題のうち残りの3.と4.について考察する。

 まず3.の炊き込みご飯の歴史であるが、放送では「炊き込みごはんを炊き込んだのはお米が足りなかったから」が正解であると説明された。日本の食文化を研究している東四柳祥子さん(梅花女子大学)&ナレーションにより解説が行われた。なお、『東四柳』さんという苗字はとても珍しいように思えたのでネットで検索したところ、こちらに、
  • 【読み】ひがしよつやなぎ
  • 【全国順位】 82,293位
  • 【全国人数】 およそ10人
  • 石川県羽咋市などに見られる。同じ石川県に見られる四柳氏からの派生姓か。左衛門三郎氏に並ぶ長い訓の名字として知られ、ヘボン式ローマ字で綴った場合、18文字となり日本最長の名字となる。
と説明されていた。ちなみに、『西四柳』という苗字はリンク先のデータベースには登録されていないという。

 元の話題に戻るが、『炊き込みご飯』の歴史は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 奈良時代:お米に雑穀の粟を混ぜて“かさ増し”したた粟御飯がすでにあった。当時はお米が貴重だったため、それを補うために穀物を混ぜていた。
  2. その後ヒエやキビなどの雑穀類のほか豆類や芋類など、一緒に炊き込むバリエーションが徐々に増えていった。
  3. 室町時代には炊き込みご飯の郷土料理が生まれていた。松山の『しょうゆめし』など。
  4. 日本人の主食はお米というイメージが定着しているが、じつは昭和の初め頃までは階級や貧富の差、地域差でお米の食べ方には大きな違いがあった。江戸時代の農村部では米不足が深刻な場所もあり、飢饉対策として少ない米と一緒に卯の花やサツマイモを加えた炊き込みご飯を作った記録が残っている。このように炊き込みご飯は、お祝い事から飢饉対策までさまざまな場面で活躍していた。
  5. 明治時代から大正にかけてはから大正にかけて炊き込みご飯の黄金期を迎えた。当時出版された料理書に載っている『味付け御飯』のレシピは現在の『五目飯』に相当。他に、『松茸飯』や『チッキン・オブ・トマトライス』が紹介された。
  6. 第一次世界大戦などの相次ぐ戦争で米不足になると、ジャガイモ、卯の花、トウモロコシ、カボチャなどをお米に加えて“かさ増し”して食糧難を乗り越えようとした。
  7. 第二次世界大戦になるとさらに食糧難となり、サツマイモやカボチャで代用する食生活が当たり前になった。
  8. 戦後、徐々に食糧事情が回復し、再び炊き込みご飯の黄金期を迎えた。放送では、ご当地炊き込みご飯として鳥取県の『どんどろけ飯』、石川県の『さざえめし』が紹介された。
 ここからは私の感想・考察になるが、ここで念のためウィキペディアで炊き込みご飯の定義を引用させていただく。
炊き込みご飯(たきこみごはん)は、米料理の1つ。五目ご飯、五目飯ともいう。関西では加薬ご飯(かやくご飯)、かやくめし、色ご飯とも言う。
ご飯を炊く際に、具を米と一緒に炊き込んで作る飯である。通常は炊飯時に塩、醤油、酒、出汁等で調味する。収穫の秋に、季節の食材を使って作ることが多い。
 リンク先にも記されているが、私にとってお馴染みの炊き込みご飯としては『釜飯』、『松茸御飯』、『たこめし』、『鯛飯』、『とりめし』などがある。余談だが私は東京出身であるため、京都で下宿生活を始めた当初は『かやくめし』、あるいは『かやくうどん』というのが何のことか分からなかった。かやくというのは『火薬』のことでもの凄く辛い味付けをしているのかと思っていた。このほか信越線で横川に停車した時には『峠の釜めし』を買ったりしたことがあった。陶器の容器はそのまま持ち帰り、自分で釜飯を作ったこともあった。
 炊き込みご飯には含まれないが、岡山名物の『備前ばらずし』は製法上は炊き込みご飯に似ているところがあり、『ちらし寿司』とは異なる。。2001年2月2日にも記したように、ばらずしの場合は、調理工程や食材の特徴から見て、むしろ五目飯をルーツとするのが妥当であるらしい。




 最後の4.の「【ひだまりの縁側で?】長期間、日記をつけること。」というのは、K子さん(66歳)のお便りで、日記を27年半書き続けているという話。以下、改変あり。
元々は三日坊主だったが、ある時一大決心して「10年日記」なるものを5000円で購入。いつも聴いていたラジオ番組に「日記をつけます」と大宣言の投稿をしたところ、パーソナリティの方から「この人の性格だと続きそうには思えない」と言われたが「見返してやる」と意地になって続けた。1冊目は子育て日記、2冊目は両親の介護日記、3冊目は体調をくずしたご自身のリハビリ日記というように生活はいろいろ変化していった。ちょっとしたメモのような短い文の日記でも、ふりかえって見返すと当時のころがいろいろ浮かんでくる。
放送ではもっぱら「三日坊主にならずに長期間続けていることはあるか?」ということに話題が移ったが、日記の執筆を27年半も続けておられるというのはなかなか大したものだ。
 もっとも私自身も、このWeb日記の執筆開始は1997年5月なので、偶然の一致ながら、27年半ということで投稿者の方と同じ長さになる。但し私の場合はWeb日記、投稿者の方は手書きの日記帳ということなので形態は異なる。Web日記の執筆を続ける意義については毎年、執筆開始記念日の頃に書いているのでここでは繰り返さないが、少なくとも認知症の予防にはなっていると思う。頭の回転を保つことに加えて、キーボードで入力するという手先の運動にも良い効果がある。といっても手書きではないため、漢字の書き取りは小学生レベルまで落ち込んでしまったが。