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帰省中の孫たちと一緒に岡山後楽園と岡山城に行った。65歳以上の入園料は140円だったと思ったが、いつのまにか200円に値上げされていた。帰宅後に調べたところ、こちら(7月1日15時37分)に以下のような記事があった。 日本三名園のひとつ岡山市の後楽園は、7月1日から入園料が値上げされました。いっぽう、岡山城のほうは岡山市内在住の65歳以上は入場料が免除になっている【後楽園のシニア割引のほうは岡山市外の65歳以上にも適用されるようだ】。 今回疑問に思ったのは、小中高生の料金体系のポリシーが後楽園と岡山城でちぐはぐになっていることであった。
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【小さな話題】一人(孤独)が好きで友達が少ない人は実は…(2)一人を好むことのメリット 昨日に続いて、 ●一人(孤独)が好きで友達が少ない人は実は…【ゆっくり解説】 という解説動画のメモと感想。 動画では「一人が好きな人に共通する特徴」に続いて、「一人を好むことのメリット」が解説された【要約・改変あり】。
ここからは私の感想・考察になるが、上掲の「一人を好むメリット」は私にとってはほぼ納得できる内容であり、しかも私の日常生活のスタイルにもよく一致していた。 じっさいのところ私は、家族と一緒に過ごすことを除けば、他者とどこかで会ったりとか集団で活動するということを全く好まない。例外的に海外のパッケージツアーに参加することはあるが、これは単に個人旅行では移動手段や宿泊先の確保が面倒であり、そういうことに気を取られているとせっかくの絶景が楽しめなくなることを避けるためである。なのでパッケージツアーでいちばん煩わしいのは、席を並べて食事をすることである。周囲の会話に話題を合わせるのが面倒でたまらない。いっそのこと、コロナの最中のように「食事中の会話は一切禁止」としてくれたら、どれほど気楽に食事ができるのではないかと思う。 この日記で何度か指摘したことがあるが、仲間を作ってその中で過ごすことを楽しみにしている人というのは、実は社交的とはいえない。仲間という殻に守られているだけであって、常に仲間だけで行動するというのは孤「独」の変形であり弧「群」と呼ぶべきようなものかと思う。 また、「いま、ここ」にいる友だちとより多く付き合うということは、それ以外の人たち、例えば過去の偉人とか、直接面識のない海外の人たちとの関係を希薄化させてしまう【両立できる人もいるかもしれないが、物理的に時間が限られている以上、仲間うちで過ごせば過ごすほどそれ以外の交流の時間は減っていく】。 いっぽう、この動画の最後の部分で「少数でも親密で深い絆を築ける友だちがいる」ことの意義が強調されていた点については、「一人でいるのを好む」こととは別次元ではないかという気がする。一人でいることを好めば好むほど友だちの数は減っていくだろうが、その最小値はゼロであって1以上、つまり親友が1人以上のところで減少がとどまることにはならないと思う。また、そのような親友とどこまで「親密で深い絆を築ける」のかも分からない。少なくとも異性であれば、よほどの事情が無い限りは結婚して夫婦として生活をするのが最善であろうと思うが、相手が同性であった場合の親友関係【←同性愛は別として】というのがどういうものになるのか、私には全く想像することができない。 この日記でも何度か取り上げたことがあるが、人間は生まれる時は2人(母親と一緒)だが死ぬ時はどんな死に方をしても1人、つまり心中をしても集団で処刑されても、死ぬ時の精神・肉体は他者から独立したプロセスによって死んでいくことになる。看取られても看取られなくても、人は死ぬ時は独りぼっちになることを忘れてはならない。 |