じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 チコちゃんの放送で「なぜ子どもはぬいぐるみを好きになる?」という話題が取り上げられたが、「ぬいぐるみ」と聞いて私が思い浮かぶのは、ウサギのぬいぐるみ【写真上。リンク先に関連記事あり】と、NHKみんなのうた『クマのぬいぐるみ』である。
 ところで、これまで私は、みんなのうたの『クマのぬいぐるみ』は廃棄されるクマのぬいぐるみと持ち主の男の子を描いた歌であると思っていたが、今回、持ち主は男の子ではなく女の子であったということに初めて気づいた。じっさいウィキペディアにも、

古くなってしまったテディベアとそれを肌身離さず大切にする女の子を題材とした楽曲であり、女の子の成長をテディベア目線で、優しく見守る歌詞、優しい曲調で人気となった。

と記されており、当時のアニメーション【写真下】でも女の子が描かれていた。なぜ男の子の話だと勘違いしたのかは不明。おそらく私の第一子が男の子であったためかと思う。

 この歌ではクマのぬいぐるみの将来については何も書かれていないが「だけど今日からぼくなしで ひとりで眠れる」という文言があることから、おそらくこの日に、女の子の同意のもとで廃棄されることになったと推測している。

 ぬいぐるみに限らないが、子どもたちは成長の過程でいろいろなものを手放していく。このことについては「おもちゃ箱列車がバイバイしながら空の遠くに消えていく夢」というタイトルで書いたことがあった。

ドラえもんのアニメだったか、西岸良平の漫画だったか、あるいは、私が勝手に作りかえた話だったのか記憶がはっきりしないのだが、イメージとしては、仲良く遊んでくれた人形、ぬいぐるみ、そのほか、いろんなおもちゃがトロッコのような「おもちゃ箱列車」に乗って、にこやかに手を振りながら空の遠くに消え去っていくというシーンである。どんな子どもも、たった一度だけこの夢を見るという。その夢から覚めた後は、もはや、人形もぬいぐるみも魂を失って、ただの「懐かしいモノ」になってしまう。そして、もはや素直に喜んだり悲しんだりできなくなる。この夢をさかいに、子どもは自立期に入る。

 Web日記には「どんな子どももたった一度だけおもちゃ箱列車の夢を見る」と書いたが、隠居人としては以下のような続きを考えてみたりする。

どんな人も死ぬ間際になるともう一度だけおもちゃ箱列車の夢を見る。子どもの時とは逆で、おもちゃ箱列車が戻ってくる夢である。人形やぬいぐるみは再び魂を取り戻し、彼らに囲まれて素直に喜んだり悲しんだりすることができる。そうしたひとときを過ごしたあと、その人は永遠の眠りにつく。

私は一貫した無宗教なので、死ぬ間際に極楽浄土や天国からお迎えが来るとはこれっぽっちも思っていない。代わりに、幻覚で構わないからおもちゃ箱列車が戻ってくる夢が見られたらいいなあという願望がある。


2025年01月13日(月)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「なぜ子どもはぬいぐるみを好きになる?」

 昨日に続いて、1月10日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日はまず、「深海魚が光るのはなぜ?」についての補足。あくまで私が理解した限りの話だが、深海魚が光るようになったのは以下のような経緯によるものと考えられる。
  1. 深海魚はもともと光らなかったが、光るプランクトンや発光バクテリアを食べたことで、体の一部を光らせることができるようになった。
  2. 深海魚は、体の酸化を防ぐため、余った酸素を光る物質・バクテリアなどと結びつけて酸素を消費できるようになった。これにより光る深海魚のほうが光らない深海魚よりも体が酸化しにくくなり生き延びる可能性が高まった。
  3. その後、深海魚は光ることで、捕食者に自らは毒であると警告したり獲物を引き寄せたりする機能を備えるようになり、そうした機能を持たない深海魚よりも生き延びる可能性を高めた。

しかし、ここまでの説明では、深海魚が光る仕組みは分かったが、根本原因である「発光プランクトン」や「発光バクテリア」がなぜ誕生したのか、光ることでどういうメリットを得ているのかは分からない。余剰ガスを無害化するフレアスタックと同じように、これらの微生物もまた余った酸素を光らせているのだろうか?

 なお、発光生物については、NHK『フロンティア』で取り上げられたことがあった。

発光生物 進化の謎【初回放送日 2024年1月18日】

この放送は録画していたもののまだ視聴していなかった。これを機会にさっそく視聴したいと思う。




 ということで元の話題に戻り、本日は、
  1. 深海魚が光るのはなぜ?
  2. なぜ子どもはぬいぐるみを好きになる?
  3. ひつまぶしとひまつぶしを見間違えるのはなぜ?
という3つの話題のうち2.について考察する。

 放送では、子どもがぬいぐるみを好きになるのは「親離れをするため」が正解であると説明された。ぬいぐるみをはじめ人形と人間の関係性について研究している菊池浩平さん(白百合女子大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 小さな子どもがぬいぐるみを肌身離さず持つのは親離れをするため。
  2. 子どもは成長とともに2つの世界を移動する。
    • 空想の世界:
      生まれたばかりの赤ちゃんは、自分と親の区別がつかず一体化していると感じる状態。泣けばすぐにミルクがもらえるし、抱っこもしてもらえる。何でも自分の思い通りになるという万能感を感じている。
    • 現実の世界:
      だんだん親と自分は違うものだと分かるようになる。すぐに御飯が食べられない、だっこをしてもらえない時もある、ということがだんだん分かってきて、自分は万能ではない、親と自分は別ということを理解していく。
  3. 子どもは空想の世界から現実の世界へと移っていくことで成長し、親離れを経験していく。
  4. しかし、すんなりと移動できるわけではなく、子どもたちは親と離れてしまうという不安を感じるようになる。ぬいぐるみは、その親と離れる不安と取り除いてくれる存在。ぬいぐるみはずっとくっついていられるし、それを断らない。子どもの好きなようにできる。ある意味、親の代わりになってくれるようなもの。但し、だっこしたり御飯を食べさせてくれたりはしない。ぬいぐるみは、程よく万能感を満たしながら、自分が万能ではないことも教えてくれる。
  5. 心理学の世界ではこのぬいぐるみのような存在を『移行対象』と呼んでいる。『移行対象』は、主に生後半年から3歳頃に愛着を寄せる無生物を指し、毛布やタオルの場合もある。菊池さんのお子さんの移行対象は2歳頃まではペットボトル、最近はDVD(円盤)であると紹介された。
  6. 【大人がぬいぐるみが好きなのは親離れができていないのか?という問いに対して】ぬいぐるみは別に卒業しなくてはいけないものではない。たいがいの人は「まだそんなの持っているの?」というプレッシャーによって離れているだけ。むしろ安心感や癒やしを与えてくれるので、大人でもお気に入りのぬいぐるみがあっていい。

 放送ではさらに、父母と祖父母の4人が1種類ずつ選んだぬいぐるみに対して1歳の「はるちゃん」がどのような反応をするのかという実験が行われた。しかし選択場面が異様であったため、はるちゃんは近づこうとしなかった。その後、はるちゃんは父親が選んだパンダのぬいぐるみに手を触れたが、単にパンダが最も手に届きやすいところにあったためという可能性も否定できなかった。




 ここからは私の感想・考察になるが、今回の解説にあった『移行対象』についてはこちらに、以下のような解説があった。
移行対象とはウィニコット,D.Wが提唱した概念です。

移行期と呼ばれる1〜3歳頃に、肌身離さず持っている客観的な存在物で、特に不安が高まったときなどに抱きしめたり握り締めたりする愛着対象のことです。

具体的には、ぬいぐるみ・毛布・タオルなどがその対象となります。

ウィニコットによれば、この時期、しつけなどが始まることで、完全に母親に依存し常に欲求が満たされていたために抱いていた全能感(錯覚という)が崩壊します。 失敗、欲求不満の体験や不安感を持つのです。

しかし、このとき母親の感覚を思い出させる移行対象に触れることで、幼児は欲求不満や不安を軽減します。移行対象は、分離不安に対する防衛といえます。

主体性や自主性が育っていくにつれ、現実の客観的世界と、現実的で安定した相互作用ができるようになり、全能感は適度な自尊心へと変わっていきます。 これをウィニコットは脱錯覚と呼びました。

つまり、移行対象は、幼児の錯覚が脱錯覚されていく過程における代理的な満足対象といえるのです。


 提唱者のウィニコットについてはウィキペディアにも解説があった。

 次に菊地さんのプロフィールを拝見したところ、ご専門は「人形劇、人形文化」となっており、発達心理学のご出身では無さそうであった。こちらの論文紹介には人形やぬいぐるみについて興味深いタイトルが並んでいた。

 私自身は発達心理学の専門家ではないので、「空想世界」から「現実世界」という説や『移行対象』の役割がどの程度定説になっているのかはよく分からない。但し素朴な疑問として、以下の点が挙げられるかと思う。
  1. 「空想の世界」、「現実の世界」という時の「世界」という概念は、ある程度成長し、環境世界への能動的な働きかけが可能になった段階で初めて形成されるものではないか。生まれたての赤ちゃんにはそもそも「世界」は存在しないのでは?
  2. 生まれたばかりの赤ちゃんであっても、泣けばなんでも思い通りになるわけではない。欲しくても手が届かないこともあれば、行きたい場所にたどり着くこともできない。そうした段階で果たして「万能感」は満たされているのだろうか。むしろ、初期段階では「無能感」、成長すればするほど「有能感」が増えていくのではないか?
  3. 今回の解説では「空想の世界」は生まれたばかりの赤ちゃんの世界とされていたが、これとは全く別の年齢段階において、空想にふけることがある。こちらの文献に、「子どもはかなり幼い頃から空想 (fantasy) の 世界に触れる。早い場合には生後12ヶ月からふり遊びを始め、3-4歳頃には現実の世界では あり得ないような様々な生き物を含んだ精巧な 空想物語を、遊びの中で作り出せるようになる (Samuels & Taylor, 1994; Singer & Singer, 1990/ 1997)。大人たちはそのような子どもの遊びを 奨励するとともに、絵本や物語などを通して、イメージや想像や空想を豊かにしようとする。」と記されているように、発達心理学で「空想の世界」と言われているのは、ウィニコットの説ではなく、「子どもが遊びの中で作り出す空想の世界」のほうではないかという気がする。
 ま、子どもの発達については、伝統的な発達心理学にもいくつかの流派があるし、心理学以外の分野の研究もいろいろあるので、どれが有力であるかの判断は難しい。今回のぬいぐるみに関しても、どの説が正しいかというよりも、ぬいぐるみへの愛着や依存や購買意欲などに関してどの説がより適確に予想をしたり、影響を及ぼす上での有用な情報を提供できるか、といった観点から比較されるべきであろう。

 次回に続く。