じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 1日前のことになるが、1月18日(土)、津山線・法界院駅11時53分発岡山行きの列車を利用した。やってきたのは「浜田色」のラインの入ったキハ120-357。黄色と赤の「岡山色」には何度か乗車したことがあるが「浜田色」の車両は人生初となった。乗り心地は、「岡山色」の車両とは大差無いが、私がたまに利用する08時発の4両編成に比べると軽やかな感じがした。
 写真上は法界院入線時。写真下は岡山駅到着時。
 なお、岡山駅に到着直前、隣の瀬戸大橋線のホームから見慣れない豪華列車が動き始めた。最後部に「SUNRISE EXPRESS」の文字が見えたので『サンライズ瀬戸』であると確認できたが、津山線のホームに降りた時にははるかかなたに行ってしまった【写真中】。
 夜行列車がなぜこんな時間に?と思って帰宅後に検索したところ、「1月17日午後10時55分頃、新蒲原駅構内で上り貨物列車に線路内に立ち入った人が触車したため、富士駅〜興津駅間の上下で運転を見合わせていましたが、1月18日午前1時55分に上下で運転を再開しました。」という記事があり、またこの影響で1月17日東京発のサンライズ瀬戸・出雲は名古屋駅で運転取り止めとなっていたことが分かった。1月18日21時26分高松発に間に合うように回送されていたものと思われた。


2025年01月20日(月) )




【連載】チコちゃんに叱られる! 「指をこする体験」「ルビの語源」

 昨日に続いて、1月17日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. なぜデパ地下は地下にある?
  2. クロワッサンはなぜこの形?
  3. 【こんなんのコーナー】自分の指と他人の指を同時にこするとなんか気持ち悪い現象
  4. なぜふりがなを「ルビ」という?
という4つの話題のうち、残りの3.と4.について考察する。

 まず、3.の『こんなんのコーナー』だが、この体験の方法は以下の通り。もっとも言葉だけで表すのは難しい。
  • 2人が右手の人差し指の先っぽ(指紋側)をくっつける。
  • 左手で、2本の指をつまむようにして上下にこする。
このようにすると、「なんか気持ち悪い」、「自分の指ではなく棒をこすっている』という感覚が生じるという。
 このコーナーではお馴染みの坂井建雄さん(順天堂大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 自分の指と人の指を同時にこすると気持ちが悪いのは脳の混乱による。
  2. 人間の感覚は、右手は左脳、左手は右脳に送られる。
  3. 今回、こすっている左手からは右脳に2本の指を触っている感覚が届き、右手の人差し指からは左脳に1本の指が触られている感覚が届く。
  4. 左脳と右脳の食い違った情報に脳が混乱し、気持ち悪く感じている。
 このことでふと思ったが、もし上記の解説通りであれば、例えば左手の人差し指とボールペンをぴったり重ねた上で右手でそれら2本をつまむようにこすれば同じ感覚が生じるはずだ。さっそく試してみたところ、確かに似たような感覚が生じることが確認できた。




 4.の「なぜふりがなを『ルビ』という?」については、放送では「宝石のルビー」が正解であると説明された。日本語の歴史に詳しい今野真二さん(清泉女子大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. ふりがなのことを指す「ルビ」は実は宝石のルビーが由来。
  2. 江戸時代後期、近代活版印刷の祖と呼ばれる本木昌造(1824-1875)はオランダの本・蘭書の翻訳をしており、活版印刷の技術に興味を持った。
  3. 活版印刷とは、金属・木などの活字を組み合わせて紙へ転写することで、同じ印刷物を大量に作ることが可能になる。
  4. 1450年頃、ドイツで印刷機が誕生し、ヨーロッパに広まった。本木昌造も活版印刷された蘭書を見ていたと思われる。
  5. いっぽう当時の日本では、職人が1つ1つの文字を彫る製版印刷が行われていた。職人の手作りであるため出来映えに違いが出た。
  6. 当時のオランダの書物『蘭仏辞典』(1717年)では統一された文字がキレイに並んでいる。これに対して日本の『浮世形六枚屏風』(1847年)は手書きのような文字になっている。
  7. 16世紀末には活版印刷が日本にも伝わっていて、日本でも『孔子家語』(1599年)のように活版印刷された書物も出た。しかし、アルファベットが26文字で印刷可能だったのに対して、日本語では平仮名、漢字を使用するため活字の種類が多く定着しなかった。
  8. 蘭書の出来の良さに感動した本木昌造は自分で印刷の機械を輸入して、アメリカ人の印刷技師ウィリアム・ガンブルから活版印刷の技術を学んだ。
  9. 活版印刷の技術を学んだ本木昌造は、大阪・東京に印刷所を作った。
  10. 明治の初めに活版印刷が行われたのは主に新聞であった。
ということで、ここまでの説明をふまえていよいよ「ルビ」が登場する。
  1. 1887年の日本人の識字率は48.51%であったため(1948年には98.26%)、すべての漢字にルビをつけた『小新聞』が発行された。ここで注目すべきなのは文字のサイズであった。
  2. 本木昌造は、新聞の文字サイズに9種類のサイズの「号」を使用。一番大きい「初号」は約42pt、「1号」は約27.5ポイント、...、「7号」は5.25ポイント、一番小さい「8号」は約4ptなどとなっていた。
  3. その中で新聞のふりがなに使われていたのは「7号」であり、これはアメリカでは「ルビー」と呼ばれていた。
  4. そもそも同じモノを大量に作れる活版印刷は、宗教の布教に使用されていた。そのため、文字のサイズは宗教書由来の名前で呼ばれていた。その中の1つに「ルビー」があった。
    • 縦横それぞれ約4.22ミリ【12ポイント】の活字は「パイカ」。これは英語で『典式規則書』という意味。宗教書『パイカ』を印刷する文字サイズなので「パイカ」と呼ばれるようになった。
    • 他にも、20ポイントの活字は「パラゴン(典範)」、8ポイントの活字は「ブレビア(聖務日課書)」などと呼ばれていた。
    • 8ポイント以下の活字には宝石の名前がつけられた。約2.1mmのサイズ(6ポイント)は「エメラルド」、約1.5ミリ(4.5ポイント)は「ダイヤモンド」、そして約2mmのサイズ(5.5ポイント)が「ルビー」であった。なぜ宝石の名前が使われたのかは詳しくは分かっていないが、ルビーなどの宝石は旧約聖書にも登場しており、小さいものという点から小さい活字に宝石名がつけられたと思われる。
    • 『ルビー』のサイズ【5.5ポイント】と『小新聞』のふりがな7号のサイズ【5.25ポイント】は殆ど同じだった。ガンブルはもともとキリスト教を広めるために来日しており、他のアメリカ人に伝えるために「7号」を「ルビー」と呼び、このことから、ふりがなを「ルビ」と呼ぶようになった。【但し画像では「※諸説あり」という但し書きがついていた】。
    • 最初は活字のサイズの呼び名だった「ルビー」が、いつしかふりがな自体を意味する「ルビ」に転じた。
 ここからは私の感想・考察を述べさせていただくが、ルビが活字サイズ由来の呼称であることについてはウィキペディアでも同様に解説されていた。
明治時代からの日本の活版印刷用語であり、「ルビ活字」を使用し振り仮名(日本語の場合)やピン音(中国語の場合)などを表示したもの。日本で通常使用された5号活字(10.5ポイント相当)にルビを振る際、7号活字(5.25ポイント相当)を用いたが、一方、イギリスから輸入された5.5ポイント活字の呼び名がruby(ルビー)であったことから、この活字を「ルビ活字」とよび、それによってつけられた(振られた)文字を「ルビ」とよぶようになった。明治期つまり19世紀後半のイギリスでは活字の大きさを宝石の名前をつけてよんでいた。
放送中の画像では「※諸説あり」という但し書きがあったが、上掲以外にどのような説があるのかは分からなかった。なお中国語では「漢字注音」と呼ばれており、以下のように解説されていた【DeepLによる翻訳】。
朱印(英語: ruby、日本語: ルビ、ローマ字表記: rubi)、または朱印捺印、朱印付加、ピンイン捺印は、漢字に発音記号を付ける方法で、日本語や中国語の印刷やコンピュータ組版で広く使われている。 一般的には、表意文字の上や右側にピンインや注釈として付けられる。
中国語では通常、羽音ピンインか朱音ピンイン(台湾では朱音ピンインが多く、中国本土では羽音ピンインが多い)で注釈されるが、新聞などの一般的な文書や書籍では使われず、小学校の教科書や類語辞典、子供向けの出版物などで使われる程度である。 中国本土では、中国語は通常横書きなので、文字の上の部分しか使われない。 台湾では横書きと縦書きの両方が使われており、一般に児童書は縦書きで、発音記号は主に教科書の右側に書かれている。 例えば、台湾で発行されている日刊紙「北京日報」では、すべての記事に発音記号が記されている。
名称
「ルビは日本の印刷業界で使われている用語で、ノンブルは「振仮名/ふりがな」である。ルビはもともとレベル5.5のフォントフォーマットを指し、アメリカではアゲートとも呼ばれ、表音表記に適したサイズだった。 現在、日本語ではフォントの名前ではなく、発音記号の名詞形を表す言葉になっている。 ローマ字表記の場合はrubiと呼ばれるが、Rubyという表記の方がまだ一般的である。


 活版印刷と日本の製版印刷の話題だが、製版印刷であれば文字のほか図版も同じ程度の手間で彫ることができる。このことから、日本では浮世絵の文化が発達したのではないかという気もする。

 なお活字を使わない印刷としては、中国・東チベット・徳格の徳格印経院(デルゲ・パルカン)を見学したことがあった。

 放送では活版印刷の優位性・有用性が解説されていたが、今の時代、実物の金属活字を目にする機会は無くなり、さらにはペーパーレス化が進められるようになった。私自身の体験を回想すると、卒論を提出した1975年頃はまだまだ手書きのみで、引用文献表の時だけ英文タイプライターを使用していた。修論も同様であったが、博論作成の際にはすべての文章をワープロで作成している。またワープロの登場によって、漢字を1個ずつ拾うような和文タイプライターは使われなくなった。英文タイプライターも同様。もっとも、ワープロの登場により編集作業の手間が大幅に節約されたわりには、人間の知的生産技術はそれほど飛躍的には進歩していないようにも思う。