じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 ドキュメント72時間

●【3月14日初回放送】東京・植物園 わたしだけの冬に

で小石川植物園を取材していた。この植物園のことは、
  1. 2017年4月26日オオアマナ、サギゴケ、ニリンソウ
  2. 2017年4月29日太郎稲荷と次郎稲荷で55年前にワープ...できなかった(小石川植物園)
  3. 2017年5月2日3通りの「タイムスリップ」
  4. 2018年11月2日秋の小石川植物園
で取り上げたことがあった。上掲1.のリンク先に「この植物園を訪れたのは、小学校低学年の頃以来、55〜60年ぶりになります。」という記述があることから、2017年以降は2017年4月と2018年11月の2回。コロナ以降は一度も訪れていない(そもそも1回しか上京していない)。

 冒頭でも紹介されたが、この植物園の入場料は大人500円。65歳以上無料の半田山植物園に比べるとかなり高い。年間パスポートはこちらによれば2500円。こちらによれば、2019年11月の入園料値上げ時点に発売が開始されたようだ。入園料の採算がとれなくても維持できる研究施設なのだから、例えば高齢者から協力者を募って森林浴の健康増進効果を測定する代わりに入園用無料にすれば、施設としても高齢入園者にとってもウインウインになるのではないかと思う。

 今回の放送では全く取り上げられなかったが、園内で私が特に気に入っているのが太郎稲荷、次郎稲荷の鳥居である。その時、私が思いついたのは

●この鳥居をくぐると外の世界が昭和30年代にタイムワープ。また昭和30年代の子どもが鳥居の奥に入るといまの令和の時代にタイムワープできる。

というもの。無宗教の私がなぜこんなことを思いついたのかと言えば、鳥居を囲む樹木の景色は、育った木や枯れた木があるものの60〜70年前の私の私の子どもの頃とちっとも変わっていないからであった【岡山の神社の鳥居を見てもこういう考えは浮かばない。なぜなら、子どもの頃には岡山で過ごしておらず、何の思い出も蘇ってこないからである】】。

 私の想像どおりであれば、←右側モノクロ写真のように鳥居からは子ども時代の私が現れ、世界は昭和30年代に戻っているはずなのだが、じっさいは元のまま。この際、

●タイムワープを希望する者は鳥居をくぐる時に「わかしいこ」という呪文を唱えなければならない。

というような条件をつければさらに興味深いかもしれない。もし次回、この植物園を訪れた時に園内で私が行方不明になったとしたら昭和30年代の世界にタイムワープしたと考えてもらっても構わない。

2025年03月16日(日)





【連載】チコちゃんに叱られる! 「なぜ漫画で寝ていると言えばなぜ鼻ちょうちん?」

 3月14日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。ちなみに、放送リストによれば、チコちゃんの放送は、2月21日のあとは再放送や別番組が続き、今回は3週間ぶりであった。次回は3月28日予定ということでまたまた1回分が休止となっている。こちらのリストによれば2023年までは3月に3回以上放送されており、2024年と2025年の3月は2回に縮小されたようだ。理由は不明だが、3月後半の【通常の再放送時間帯の】土曜日午前が高校野球の中継にあてられているためかもしれない。
 元の話題に戻るが、この日は、
  1. 寝ているといえば「鼻ちょうちん」なのはなぜ?
  2. 水を買うようになったのはなぜ?
  3. 流行色ってなに?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。

 さて、この『鼻ちょうちん』であるが、私が子どもの頃はハナをたらしながら遊んだり、鼻ちょうちんを出しながら寝ている風景は当たり前であり、上掲の疑問も単に「寝ている時は自分でハナを拭き取れないから」と説明すれば済んでいたように思われた。このことに配慮したのか、放送では、

●じっさいに寝ている人が鼻ちょうちんを出しているのは見かけないのに、なぜ漫画で寝ていると言えばなぜ鼻ちょうちん?

というように問題が置き換えられており、「寝ているといえば『鼻ちょうちん』なのは昔は寝ているときによく『鼻ちょうちん』を出していたから」が正解であると説明された。
 鼻の機能に詳しい石井正則さん(JCHO東京新宿メディカルセンター)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 鼻ちょうちんの元はドロッとした鼻水。
  2. そもそも鼻水とは、鼻甲介が刺激を受けて分泌する粘液のこと。この粘液は、吸い込んだ熱い空気の温度を下げたり、花粉など体内に侵入した異物を外に出すなどの働きがある。但しこれらの場合に出てくる鼻水はサラサラしている。
  3. いっぽうドロッとした鼻水は、鼻の奥にある副鼻腔の粘膜が細菌に感染し炎症を起こした時に出る。この時、炎症の刺激で粘り気のあるムチンが分泌される。
  4. ドロっとした鼻水は私たちが目にする『青っぱな』。副鼻腔の炎症が慢性的に続くと粘膜がキノコ状に腫れ上がり気道が狭くなる。これがいわゆる鼻づまり。
  5. 鼻での呼吸が難しくなると口呼吸になるが、日中は口を開けていられる。しかし寝ている時は口が少し閉じてしまう。吐き出す息が全て口から出られず、鼻の奥に抜ける。この鼻に抜けたわずかな息がドロッとした鼻水を徐々に押し出し鼻の出口付近で膨らむことで鼻ちょうちんになる。
 以上で鼻ちょうちん形成の仕組みは理解できたが、なぜ現在では殆ど見かけなくなったのだろうか。これについて石井さん&ナレーションは、次のように解説しておられた【要約・改変あり】。
  1. 昔の人は青っぱなを出しやすかった。
  2. 戦後漫画が復活し始めた1947年頃の一般的な食事は、麦ご飯、野菜類、芋類、魚介類などであり、総カロリーはおよそ1000kcal。現代の1日2200kcal(男性)、1800kcal(女性)に比べると到底及ばなかった。また栄養価の高い肉の消費量は戦後20年となった1965年でさえ、欧米に比べると圧倒的に少なかった。
  3. 現在は栄養の高いものが食べられるので免疫力が高い。また薬もすぐに手に入るので、ひどくドロっとした青っぱなが出るまで症状が悪化することが無くなった。
  4. しかし昔の人は薬も無いし、栄養が少ない食事だったので免疫力が低く、鼻ちょうちんを頻繁に見かけていた。なので、漫画で寝ている時は『鼻ちょうちん』が描かれるようになった。
  5. 当時出版されていた漫画『楠木正成』(1954年)には確かに鼻ちょうちんが描かれていた。
  6. その後鼻ちょうちんが見かけなくなったのには給食が影響している。
    • 学校給食は1889年、山形県で始まった。
    • しかし1959年になっても全国の給食普及率は小学校45%、中学校13%にとどまっていた。そのため漫画が復活してから10年の間は栄養が足りない日本人が多く、寝ていた時に鼻ちょうちんを出していた可能性がある。
    • 1969年になると給食率は小学校が96%、中学校が84.5%まで上昇。さらに社会的な食環境の改善や医療の進歩もあり、青っぱなは劇的に減少した。
 ここでいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、冒頭でも言及したように、確かに、ハナを垂らしたり鼻ちょうちんを出して寝ている姿は現在では見かけなくなった。しかし放送の「現代のほうが免疫力が上がったから」という説明は少々納得できないところがある。今の人のほうが花粉症に罹りやすいようにも思えるし(←もちろん今のほうが植樹された樹木が成長して花粉が飛びやすくなったということもあるが)、ちょっとした感染症にすぐ罹ってしまったりする。戦後間もない時期に栄養が足りていなかったからといって直ちに免疫力が低かったとは言えないように思う。

 ではなぜ現在ではハナ垂らしや鼻ちょうちんを見かけなくなったのか。一番の理由はティッシュやマスクの普及により、子どもであっても人前ではハナを垂らさない習慣が定着したためではないかと思われる。このほか室内での暖房、防寒衣料の普及も理由になっているのではないか。

 ではなぜ今でも漫画で鼻ちょうちんが描かれることがあるのか? 私自身は最近全く漫画を読まなくなったのでよく分からないところがあるが、単なる寝顔では死んでいるようにも見えてしまうところ、とりあえず息をしながら気持ち良く寝ているという印象は与えているように思われた。

 余談だが、日本語では目から出る液体は「涙」、口から出る液体は「唾」というように、それぞれ目や口とは別の言葉で表現する。しかし鼻から出る液体だけは「鼻」と呼ぶこともあり、別の言葉が使われていない。この理由についてCopilotに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
興味深い観察ですね!確かに、日本語では「涙」や「唾」といった目や口からの分泌物を特定する専用の語がありますが、鼻から出る液体には同様に広く使われる専用語がないのは少し不思議ですね。
いくつかの理由が考えられるかもしれません:
  • 生活や文化の要因 目や口から出る液体は比較的重要な役割を果たします(例:涙は感情や目の保護、唾液は食事や消化)。それに対して、鼻水は日常生活でそれほど目立たないものとして扱われた可能性があります。そのため、特定の別の名前を与える必要性が低かったのかもしれません。
  • 語源や言語の進化 日本語の中で、目や口に関する言葉は古代から強く文化や詩的表現に関与しています。一方で、鼻や鼻水に関する言葉は日常的な実用性が高く、特に文学的や象徴的に使われることが少なかったため、新しい言葉が定着しなかった可能性があります。
  • 地域や用途による表現 鼻水そのものには「洟(はな)」という古い言葉があります。現代ではあまり聞かれなくなりましたが、一部の地域や文献ではこの言葉が使われています。ただし、多くの場合「鼻」と同じ読みで使われるため、区別されることが少なくなったようです。
言語は生活文化や歴史的背景を色濃く反映しており、こうした微妙な違いも興味深いですよね。あなたも何か面白い仮説がありますか?


いっぽうChatGPTの回答は以下の通りであった。
とても興味深い視点ですね!
確かに、「涙(なみだ)」や「唾(つば)」のように、目や口から出る液体には独立した名称がありますが、鼻から出る液体は「鼻水(はなみず)」と、器官名である「鼻」を含んだ形で呼ばれることが多いです。
この違いには、いくつかの理由が考えられます。
  • ### 1. **独自の名称が発達しなかった理由**
    - 「涙」や「唾」は、比較的古い時代から重要な生理現象や感情表現と結びついており、それぞれ独立した語彙として発展してきたと考えられます。
    - これに対し、「鼻水」は生理的な排出物としての役割が主であり、それほど独立した語が必要とされなかった可能性があります。
  • ### 2. **「水」との結びつき**
    - 「鼻水」は「水」のようなさらさらした液体であり、「水」との類似性から「鼻+水」という単純な名称が生まれたと考えられます。
    - 一方、「涙」や「唾」は単なる「水」ではなく、それぞれ特有の機能や意味を持つため、独自の名前がついたのかもしれません。
  • ### 3. **俗称や方言の存在**
    - 一部の方言では「洟(はな)」という言葉が使われることもあります(「洟をすする」など)。この「洟」が古くからの鼻水を指す言葉だった可能性がありますが、標準語では「鼻水」の方が一般的になったようです。
  • ### 4. **「鼻=鼻水」の認識**
    - 会話の中では「鼻出てるよ」といった表現が使われることがあります。これは、「鼻」と言えば「鼻水が出ている状態」を暗に指すことが多いため、あえて別の名称を作る必要がなかったのかもしれ
 そうえ言えば、以前、鼻くその上品な呼び方が取り上げられたこともあった。鼻に関する話題はなかなか奥深い。


 次回に続く。