じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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【カナリア諸島その2:自動チェックイン発券機初体験】
 カナリア諸島旅行の小ネタその2。

 今回はまず23時45分発のエミレーツ航空でドバイに向かった。関空では前回、チェックインカウンターで1時間半以上、保安検査場入口で1時間半以上という長蛇の列に並ばされ、出発予定時刻を過ぎてもまだ検査場を通過できず、危うく置き去りにされそうになった。
 そのトラウマから、今回は新大阪駅16時28分発の『はるか』に乗車、関空には出発予定時刻より6時間22分も早い17時23分に到着した【もっとも、大阪・関西万博が開かれているわりには利用者は少なく、行列は殆どできていなかった。また保安検査場自体も行列ができにくいように改装されていた】。

 搭乗手続にあたっては、今回、空港自動チェックイン発券機を初めて利用した。言語を日本語に選択した上で表示に従って必要事項を入力するだけで、手荷物タグが印刷され、荷物にタグを取り付け、『Bag Drop』と書かれた専用カウンターで荷物を預ける。今のところ利用者が少ないこともあって、有人のチェックインカウンターの行列に並ぶよりも短時間で手続を完了することができた。
 唯一手間取ったのは、緊急時の連絡先を入力する画面であったが、これはスキップできることが分かった。
 なおチェックイン機では座席の変更も可能。また、海外の空港では、有人カウンターを通さない『自動手荷物預け機』というのもあるらしいがこれはまだ体験したことがない。

2025年05月23日(金)




【連載】チコちゃんに叱られる! 水戸黄門の「黄門」/「赤門」「白門」「青門」「黒門」「ピンク門」

 5月16日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。

 本日は、
  1. くつ下をはくようになったのはなぜ?
  2. 水戸黄門の「黄門」ってなに?
  3. チューリップといえばオランダなのはなぜ?
という3つの話題のうち2.について考察する。

 『水戸黄門』の「黄門」については、放送では「『中納言』という官職」が正解であると説明された。大河ドラマの時代考証にもかかわり、水戸黄門にも詳しい大石学さん(静岡市歴史博物館)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。なお大石学さんは

●【2024年4月17日再放送】英雄たちの選択 日本の運命を決めた「選択」に迫る! 黄門さまの野望!? 〜徳川光圀・国史編さんプロジェクト〜

にも登場しておられたが、この時の放送では『黄門』という呼称については何も言及されていなかったように思う。
  1. 水戸黄門の正式な名前は徳川光圀であり、徳川御三家の1つ、水戸徳川家の2代目藩主であった。徳川家康の孫にあたる人物。
  2. 放送では続いて、クイズ形式で水戸黄門の解説が行われた。
    • 江戸時代、公家や武士を対象としたいろいろな官職があった。今で言うと、
      • 太政大臣:名誉職
      • 左大臣;総理大臣
      • 右大臣:副総理
      • 内大臣:官房長官
      • 大納言(権大納言)、中納言(権中納言)、参議:大臣
      に相当する。
    • 公家や武士にとっては上記の官職に就くことが1つのステイタスだった。
    • 水戸黄門は1690年に水戸藩の藩主を引退し、隠居する際に朝廷から中納言の官職を授かった。中納言という位は現在でいうと大臣。
    • 日本は昔から官職名を中国風に呼び替えることがあり、太政大臣は『相国』、大納言(権大納言)は『亜相』、...、そして中納言(権中納言)は中国風では『黄門侍郎』、略されて『黄門』となった。
    • 『黄門』の由来は、「黄色い門の内側で働いていた」。『大漢和辞典』では、『黄門』とは「宮門をいふ。宮門の小門は黄色に塗る、...【中略】...官職の名。黄門の内に給事するから名づく。」と解説されている。皇帝の住む宮殿からごく近い門が黄色だったことから、皇帝の近くで働く官職が「黄門侍郎」と呼ばれるようになった。
    • 『黄門』は水戸光圀1人ではない。歴代水戸藩主11代のうち光圀を含む7人が『黄門』になっていた。残りの4人が『黄門』になれなかったのは、幼少時に死亡したり藩主期間が短かったため。
    • 水戸光圀だけが『水戸黄門』と呼ばれるようになったのは、明治時代に『水戸黄門(水戸光圀)』の読み物、講談が大ヒットしたため。もともとは江戸中期に水戸光圀の史実を基にした伝記『義公 水戸黄門仁徳録』が出版されていた。
    • 水戸光圀は1701年に73歳で永眠しているが、「天が下 二つの宝尽き果てぬ 佐渡の金山 水戸の黄門」と詠われたほどの国宝級の名君として知られ、すでに江戸時代から伝記が書かれていた。なお『水戸黄門仁徳録』には、助さん、格さんは登場しておらず、旅先も茨城・千葉に限られていた。
    • 明治時代には話が脚色され、助さん、格さんと日本中を旅する形になった。明治時代に大ヒットした講談本の影響で「水戸光圀=水戸黄門」となった。
    • 光圀がじっさいに観光に行った場所としては鎌倉があった。1日最大61か所、6日間で173か所も訪れている。光圀はその後『新編 鎌倉志』という鎌倉ガイドブックを作った。この本では鎌倉の神社・名所が200か所以上がルートとともに紹介されており、便利なガイドブックとして大ヒットした。当時の鎌倉は戦乱で荒れ果てて廃れていたが、このガイドブックにより観光地化した。
  3. 補足説明として、加賀藩2代目藩主の前田利常は権中納言に任命されたことから『小松黄門』と呼ばれ、現在でも小松市には『黄門杉』と呼ばれるお手植えの樹齢約400年の杉が残っている【←放送では加賀藩2代目と紹介されていたが、現地の案内板では「加賀三代藩主」と記されていた。念のためウィキペディアを参照したところ、前田利常は「加賀藩の第2代藩主。加賀前田家3代」ということなのでどちらも正しいようだ】。


 ここからは私の感想・考察を述べる。
 まず、徳川光圀の業績については、上掲の、

●【2024年4月17日再放送】英雄たちの選択 日本の運命を決めた「選択」に迫る! 黄門さまの野望!? 〜徳川光圀・国史編さんプロジェクト〜翌日に続きあり】

で語り尽くされており、光圀の最大の業績は紀伝体の『大日本史』の編纂にあると言える。また皮肉なことに、光圀の『大日本史』の底流にあった天皇を敬う思想は水戸学として独自の発展をとげ、幕末の尊皇攘夷の思想的原動力になり、ついには江戸幕府260年に終止符を打つという意図せぬ結果をもたらした。

 ここからは余談だが、「黄門」、「赤門」、「青門」、「白門」、「黒門」、「緑門」というような色名のついた「門」にどのようなものがあるかどうかCopilotに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
色名のついた「門」は、日本各地に歴史的・象徴的なものがいくつかあります。例えば: - **黄門**:水戸黄門(徳川光圀)の「黄門」は門の名称ではなく、官職「中納言」に由来します。
- **赤門**:東京大学の「赤門」は、加賀藩前田家の屋敷門として建てられたものです。
- **青門**:特定の有名な門は見当たりませんが、青色を冠した門がある可能性はあります。
- **白門**:中央大学の「白門」は、大学の象徴的な名称として知られています。
- **黒門**:大阪城の「黒門」など、各地に「黒門」と呼ばれる門があります。
- **緑門**:緑色を冠した門の例は少ないですが、緑豊かな寺院や庭園の門が該当するかもしれません。

他にも色名を冠した門があるかもしれませんね。興味深いテーマですね!


 なるほど、「黄門」はもともとは門の色であったが、今ではもっぱら「水戸黄門」。それ以外では「赤門」、「白門」が知られているようだ。ネットで検索したところでは、
  • 東大は赤門、中大は白門、専修大は黒門。
  • 東大の構内に池之端門という門があり、これがかつて青門と呼ばれていた。
  • 上野に黒門と言う地名がある。
  • 大阪に黒門市場がある。
  • 横浜市戸塚区・秋葉中学校正門は「ピンク門」と呼ばれている。→これは公式にも使われているようだ。
  • ドイツ、ベルリンのブランデンブルク門は「オレンジ門」。→2023年9月17日、気候変動の抑制を訴える環境保護団体ラスト・ジェネレーションのメンバーが抗議行動の一環で、門のうち6本にオレンジ色の塗料を吹き付ける事件が発生した、というだけで別段、公式にオレンジに塗られていたわけではなさそう。
といった情報があった。

 ついでに『五色不動』について尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
色名がついた「目」の地名や寺社には、特に**江戸五色不動**が有名です。これは、江戸時代に徳川家光が江戸の鎮護を願って設置したとされる不動尊群で、陰陽五行説に基づく五色(青・黄・赤・白・黒)を冠しています。
### 江戸五色不動
- **目黒不動尊(泰叡山瀧泉寺)**(東京都目黒区)
- **目白不動尊(神霊山金乗院慈眼寺)**(東京都豊島区)
- **目赤不動尊(大聖山東朝院南谷寺)**(東京都文京区)
- **目青不動尊(竹園山最勝寺教学院)**(東京都世田谷区)
- **目黄不動尊**(2か所:東京都台東区と江戸川区)

また、地名としては「目黒」「目白」が広く知られています。興味深いテーマですね!


 次回に続く。