じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 【インドネシアその7】スネークフルーツ(サラク)
 旅行中、何度かスネークフルーツ(サラク)を食べる機会があった。
 「スネーク」という名前の由来は実の皮がウロコ状で蛇に似ているため。皮は固いが、横から力を加えるとパリッと割れる。もしくはナイフで皮の薄い部分に縦方向に切れ目を入れると簡単に剥くことができた。
 サラカヤシになる実であるとのことだが、現地ではどれがサラカヤシなのかを見つけることができなかった。

2025年06月29日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる! 「寝る時の夢と将来の夢」/言葉は使われないと存在しない/夢の超特急

 昨日に続いて、6月20日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. サッカー日本代表のユニフォームが青いのはなぜ?
  2. なぜ牛たんは仙台名物?
  3. 【こんなんのコーナー】手のひらに穴があいちゃう現象
  4. なぜ寝るときに見る夢と将来の夢は同じ「夢」?
という4つの話題のうち、最後の4.について考察する。

 この疑問は要するに、

●寝る時に見る「夢」は脳の中に起こる現象であって、「将来の希望」というような意味での「夢」とは本来別物である。にもかかわらず「将来の夢」という言語表現が定着したのはなぜか?

ということのようであった。放送では、「階級社会が終わって未来を選べる時代になったから。」が正解であると説明された。国語辞典の編纂者で日本語の語源に詳しい飯間浩明さん&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 日本語の『夢』という言葉はもともと「寝るときに見るもの」という意味で使われていた。
    • 『夢』が「将来の希望」という意味で使われるようになったのは明治以降。
    • 国語辞典に「将来の夢」という意味が掲載されたのは1952年以降。
    • 『夢』はもともとは「いめ」と発音されていた。「い」は「寝(い)」、「め」は「目(め)」。すなわち、寝ている時に見るもの。
    • 『夢』は奈良時代には広く使われるようになっており、万葉集では約100首に『夢』という言葉が使われていた。例として、
      • 我が背子が かく恋ふれこそ ぬばたまの 夢に見えつつ 寝ねらえずけれ
      • 吾妹子に 恋ひてすべなみ 白たへの 袖返ししは 夢に見えきや
      • 我が背子が 袖かえす夜の 夢ならし まことも君に 逢へりしごとし
      が挙げられた。ここでの『夢』とは寝る時に見るものであり、好きな人を思うと出てくる、相手が思ってくれていると出てくる、と考えられていた。
    • 平安時代には新しい使い方が登場した。源氏物語には「夢のやうに」という比喩表現が何度も出てくる。すなわち、夜に寝る時に見る夢は「曖昧」「非現実的」であるということから、「ぼんやりした儚いもの」の喩えとして使われるようになった。
    • 安土桃山時代、豊臣秀吉は亡くなる時に、
      ●露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢
      という歌を詠んだ。この時代でも『夢』は「儚いものの喩え」として使われており、まだ「将来の希望」という意味は無かった。
    • 『夢』が「将来の希望」という意味で使われるようになったのは、人々が未来を選べるようになったから。
      • 江戸時代までは、貴族の子は貴族、農民の子は農民、というように制度・慣習・地域で将来が決まってしまっていたため、殆どの人は未来・将来を語ることがなかった・
      • 江戸時代は交通網が未発達のため、生まれた地域で仕事につくのが一般的だった。
      • 明治時代に入ると階級制度がなくなり、自分で職業を選べるようになった。全国的な学校教育がスタートし、地方と都市を結ぶ鉄道網が整備された。こうして教育や交通などが整備されると、人々は「将来の希望」を思い描くようになった。
    • 「将来の希望」に『夢』という言葉が割り当てられるようになった理由は以下の通り。
      • それまでも夢の中で自分の姿を見ることはあった。「夢というのは実現できなくて儚いものだ」という意味合いがあった。
      • 明治時代になって将来を自分の努力によって選べるようになると、『夢』はもっとポジティブな「自分が実現したい将来の希望」という意味で使われるようになった。
    • 『忘れえぬ人々』(国木田独歩、1898年)には、
      ●絶えず甲板の上に出て将来の夢を描いては
      という記述があった。

 ここまでの解説は日本語の『夢』の用法の変化に関するものであったが、じつは同じような変化は外国語でも起こっているという。
  • 英語の『Dream』はもともと「寝るときに見るもの・幻」という意味で使われていたが18世紀頃になると「将来の希望」というポジティブな意味合いで使われるようになった。そのきっかけは18世紀中頃に起こった産業革命。イギリスでも職業選択の自由が生まれ、そこから「Dream=将来の希望」というポジティブな意味合いが含まれるようになったと考えられる。
  • それ以外の言語でも、「寝るときに見るもの」に「将来の希望」という意味が加わったのはどれも近代になってからであると補足説明された。
    • 中国語:モン(「林」の下に「夕」)
    • フランス語:reve
    • ドイツ語:traum
    • スペイン語:sueno

 ここからは私の感想・考察を述べる。
 今回の解説で興味深かったのは、

●言葉は、使われないと存在しない。

という考え方であった。確かに「将来の希望」という意味で「夢」が語られるのは、将来の職業や結婚や住み処、旅行先などが自由に選択できる人たちの間に限られている。終身刑に処せられた囚人たちが会話できたとしても【←実際は私語は制限されていると聞く】、将来の希望になりうるのはせいぜい有期刑への減刑くらいのことかと思われる。なので、囚人たちの会話を基に作られた国語辞典には「夢=将来の希望」という意味は含まれない。

 もっとも、実現可能性が殆どゼロであったとしても、人間は将来についての希望、さらには、「こんなことがあったらいいな」という願いを思い描くことはできるはずだ。じっさい、極楽浄土について語ることは将来の夢かもしれないし、『花咲か爺さん』や『舌切り雀』など、あるいは海外の各種のおとぎ話を見ても、大金持ちになったり王様になったりする話は多数ある。なので、職業選択の自由があろうとなかろうと、人々は大昔から願いごととしての「将来の夢」を思い描いていたはずだ。

 とはいえ、言葉あるいはその用法が定着するためには、言語コミュニティの中で使われることが不可欠となる。現象としては存在しても、それを表す言葉が使われなければ定着しない。しばしば例に出される言葉としては『肩凝り』がある。肩凝りという症状はどの国の人でも生じるはずだが、『肩凝り』という言葉が存在しない国ではその現象に関する会話は交わされない。但し『肩凝り』が多くの人たちを悩ませるようになれば、新語あるいは外来語として何らかの言葉が使われるようになるだろう。

 元の話題に戻るが、「将来の夢」と言うときの夢には、自分が努力してそれを叶えるという意味合いが含まれているように思う。なので解説された内容を踏襲するならば、努力しても達成することが難しかった時代には、「将来の夢」ではなく「願いごと」が使われていた可能性が高い。「願いごと」は、自分の努力ではなく、神様や仏様といった絶大な力をもつ存在にひたすら願うことで達成を目ざすものであり、迷信行動に過ぎない。それでも、日々願うという行為は精神を安定させ、結果的に前向きな人生を過ごせるというポジティブな効果が期待できるかもしれない。

 余談だが、『夢』という言葉で思い出されるのは『夢の超特急』であった。私が子どもの頃は新幹線のことをそう呼んでいたと記憶しているが、今では「きょうは夢の超特急に乗って上京する」などと言う人はいない。このことについて、ChatGPTに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
「夢の超特急」という言葉は、新幹線が構想・開発段階にあった1950年代後半から1960年代初頭にかけて、主にマスコミや国鉄(日本国有鉄道)関係者などによって使われていたキャッチフレーズです。しかし、実際に新幹線が開業した後、この言葉は徐々に使われなくなりました。その経緯は以下の通りです。
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  1. **「夢の超特急」の誕生**
    • 1950年代後半、東京オリンピック開催(1964年)に合わせて高速鉄道の計画が進み始めます。
    • 当時の東海道本線は既に輸送力の限界に達しており、新しい高速鉄道の必要性が叫ばれていました。
    • 新幹線計画が正式に進行する前から、報道機関や関係者の間で「時速200km以上で走る列車」という構想はまさに夢のようで、「夢の超特急」という表現が登場しました。
    • 国鉄もこの表現を広報的に利用し、「夢の超特急」は新幹線計画の象徴的な呼び名として定着していきました。
  2. **「夢の超特急」から「新幹線」へ**
    • 1964年10月1日、東京オリンピック直前に東海道新幹線が開業。
    • このときには列車の名称は「ひかり」「こだま」となり、路線そのものは「新幹線(東海道新幹線)」と呼ばれるようになりました。
    • 「新幹線」という名前は、計画段階の正式なプロジェクト名「新幹線鉄道計画」に由来し、実際の運用開始とともに公式名称として定着。
    • 実際に運行が始まり、「夢」が「現実」となったことで、「夢の超特急」という言葉は自然と使われなくなったのです。
  3. **語感や意味の変化**
    • 「夢の超特急」という表現は、開業後にはやや仰々しく、時代がかった印象を与えるようになりました。
    • 一方、「新幹線」という呼称は、プロジェクト全体や路線体系を表す用語として実用的で現実的だったため、徐々に一般にも浸透。
    • また、「夢の〜」という表現は、完成後に使い続けるにはふさわしくないと考える向きもあったようです。
  4. **現在の位置づけ**
    • 現代では「夢の超特急」という言葉は、新幹線の黎明期を象徴するノスタルジックなフレーズとして、歴史や文化の文脈で用いられることが多くなっています。
    • たとえば、鉄道博物館やドキュメンタリー番組などで、開発当時の熱意や先見性を伝えるためのキーワードとして登場します。
  5. ## 補足:「超特急」の意味
    • 「超特急」は戦前から存在した鉄道用語で、「特急」よりさらに速達性が高い列車を意味しました。
    • 新幹線開業後、「超特急」という語も使われなくなり、「特急」や「新幹線」が主に使われるようになります。
  6. ### まとめ
    「夢の超特急」は、新幹線がまだ実現していない時代の“夢”や“希望”を象徴する言葉でした。開業とともにその“夢”が現実となったことで、言葉としての役割を終え、「新幹線」という現実的・制度的な名称に取って代わられたのです。


 次回に続く。