じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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備前富士(芥子山)の後ろから太陽が昇る『ダイヤモンド備前富士』現象まであと僅かとなった。昨年の写真は2024年10月19日に掲載。右側に再掲。 |
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【小さな話題】ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~(11)最終回 昨日の続き。今回で最終回。 まず、前回の終わりのところで、『新明解』のユニークな語釈の例として挙げられていた『動物園』について。この語釈は、放送で紹介された第四版と、私が手もとで参照可能な第七版でかなり異なっている。
捕らえて来た動物を、人工的環境と規則的な給餌(キユウジ)とにより野生から遊離し、動く標本として一般に見せる、啓蒙(ケイモウ)を兼ねた娯楽施設。 このうち第四版の語釈はほぼ100%動物園を全否定しているように見える。確かに私が子どもの頃は、狭い檻に閉じ込めたり鎖でつないだりして、動物を虐待しているようにも見えるところがあった【こちらの写真参照】。しかし、第四版が刊行された1989年には『動物福祉』の考えも広まり、飼育環境はかなり改善していたように思う。さらに旭山動物園のように、動物の姿形を見せることに主眼を置いた「形態展示」ではなく、行動や生活を見せる「行動展示」を導入した動物園まで登場した。このような経緯から、第七版では「狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする」という表現は削除されたようであるが、依然として「人工的環境と規則的な給餌(キユウジ)とにより野生から遊離し、動く標本として一般に見せる」という批判的視点は残されているようだ。 ちなみに私が調べたところ、『水族館』の語釈【第七版】のほうは、 ●水中にすむ動物を飼って公衆に見せる施設 というように素っ気ない。魚たちから見れば、狭い水槽であっても天敵に襲われる心配がなくエサが貰える水族館と、常に襲われる危険におびやかされている大海原とどちらが望まれているかは何とも言えない。 なお、放送では、山田の「辞書は『文明批評』という信念が反映した語釈として、
音声インタビューで山田は、 ことばには表の意味と同時に必ず裏に秘められた意味がある。その裏の意味を隠すところなく指摘できれば、これはことばを使う者にとってはたいへんな朗報になるのではないか。と語っていた【句読点・改行の改変あり】。 山田の信念が「辞書は文明批評」であったのに対して見坊は『三国』第三版序文で、 辞書は“かがみ”である―これは、著者の変わらぬ信条であります。辞書は、ことばを写す“鏡”であります。同時に、辞書は、ことばを正す“鑑”であります。という『辞書=かがみ論』を信条としていた【改変あり】。 見坊はまた『ことばの海をゆく』(朝日選書)の中で、 まず鏡であって次に鑑となりうる(中略)。 好き嫌いを言わないでなるべくたくさんの事実を映し出し、それを鑑の立場から選別するというのが私の立場です。と記している【改変あり】。 晩年、見坊と山田はいっさい顔を合わせることが無かったという。 『三国』第四版が出た1992年10月21日、見坊は77歳で亡くなった。見坊が残した145万例のことばの中に『んんん』という『三国』に載った最後のことばがあった。見坊は「これで辞書のおしまい 「ZZZ」とつりあいが取れることになりました」(『ことば さまざまな出会い』)と記している。『三国』は見坊の死去以降もその意志をついで改訂作業が続けられている【放送当時は第七版】。 いっぽう山田は1996年2月6日に79歳で亡くなった。山田は『新明解』第三版のあとがきで「旧著における見坊の足跡は極めて大きい。現代語を主とする今日の小型国語辞典の定型は実に彼の創始する所である。」というように見坊の功績を称えており、まだ見坊は亡くなるちょっと前に「山田を許す」と言っていたという【柴田武・談】。 放送の終わりのところでは、ナビゲーターの薬師丸ひろ子さんの声で ●世の中にあふれる「ことば」。人はことばに激しく揺り動かされ、大きく傷つく事さえあります。でも人はことばなしには生きられない。ケンボー先生と山田先生もことばと共に生き、ことばに傷つき、誰よりもことばを愛した人でした。 と結ばれた。【厳密には『新明解』第三版の『世間』の語釈「愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人が構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。」という放送冒頭で紹介された語釈が再度読み上げられて終了となった。なお第七版では『世間』の語釈は、「一般の人びとが集まって形作る社会。また、それを形作る人びと。」というように簡略化されている】。 ということで放送は終了。なかなか興味深い内容であった。 ここからは私の感想・考察を述べる。 まず『新明解』と『三国』それぞれの第七版で『辞書』、『言葉』、『語釈』の語釈を調べてみた。
小中学生の頃はよく「辞書で調べなさい」と言われたものだが、この連載でも指摘されていたように、辞書だけでその人にとって未知、未経験の現象を理解することは難しい。しばしば例に出されるが、『左』や『右』という言葉を説明するのは簡単ではない。もっとも、
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