【連載】チコちゃんに叱られる! ハンガー反射、なぜコレクションをする? 「気をつけよう! 脳と本能、大昔」
昨日に続いて、10月31日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
- なぜ日曜日は休み?
- なぜ月は位置によって大きさが変わる?
- 【こんなんのコーナー】ハンガーを頭につけると首が勝手に回る現象
- なぜ人はコレクションをする?
という4つの話題のうち、残りの3.と4.について考察する。
まず3.は、
●針金製のハンガーを膨らませておでこのあたりにはめると、首が勝手に左右どちらかの方向に回る
という現象。スタジオでの実演では、4人全員が右に回っていた。私も試してみたが、私の場合は、はめる位置によって左右どちらにも回ったり、全く回らなかったりしたが、どちらかというと左に回ることのほうが多かった。
お馴染みの坂井建雄さん(順天堂大学)によれば、この現象が起こる原因は分かっていないものの名前はついており、『ハンガー反射』と呼ばれているという。
1つの仮説は脳の錯覚。右の眉毛の上と後頭部を同時に圧迫すると脳は右側から押されていいると錯覚する。錯覚を起こした脳は頭を支えるために押し返そうとして首の筋肉に右方向に力を入れるように指令を出す。しかし実際には右から押されていないため、首が右方向に回ってしまう、という仮説である【放送では説明されなかったが、左の眉毛の上と後頭部を圧迫した場合は左方向に回るはず】。
ハンガー反射は、医療の現場では、自分の意思では首を動かしにくい人に対して筋肉の動きを思い出させるリハビリや装具として【痙性斜頸用治療具】注目されている。
ハンガー反射についてはウィキペディアに詳しく解説されているが、その中では、
●科学的な理解が十分でないまま模倣されることも多く、装着方法の明らかな間違いも見られる。研究者らは誤解や誇張を避けるため、学術的根拠に基づく正確な情報発信を推奨している。
とも指摘されている。
最後の4.の「なぜ人はコレクションをする?」については、放送では「木の実を集めると人気者になれたから」が正解であると説明された。心理学を研究している藤井靖さん(明星大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- そもそもコレクションすることは人間の本能と深い関係がある。
- 本能とは人間を含む動物が生まれながらに持っている性質。例えば生まれ立ての赤ちゃんが学習・経験をしなくても母乳を飲めるように、種としての繁栄・存続のための行動は本能行動と呼ばれている。
- コレクションも本能行動の1つ「採集本能」に基づく行動。そこには人類の歴史が深くかかわっている。
- およそ250万年前、我々と同じホモ属が誕生。狩りの能力の低かった彼らは肉食動物の残した肉や木の実などを採集して生活していた。多くの木の実・肉をとれる人が重要・大事な人、つまり人気者になれた。
- 採集を上手に行って人気者になれることは生きるために重要。この木の実の採集がコレクションの原点。
- 動物の遺伝子は、長い年月をかけて同じ行動を行うことで、それが生きるためにやるべきこと=本能として刻まれる。採集は、約1万年前に農耕が始まるまでの約250万年もの間(人類の歴史の99%以上)という長きにわたって行われてきたため、私たちの遺伝子にモノを集めることが本能として刻まれたと考えられる。
- もともと種の繁栄、種の存続のために木の実を集めていた人類は、その本能に従ってやがてさまざまなモノをコレクションするようになった。
- 弥生時代には朝鮮から伝わった青銅器、平安時代には絵巻物、戦国時代には茶器がコレクションされていた。当時は「生きていくだけで精いっぱい」の時代だったので、特別なものを多く持っているだけで権力者と考えられていた。
- 江戸時代に入ると、さまざまな娯楽が誕生し、娯楽と合わせて役者絵、タバコ入れなどがコレクションされるようになった。心理学的に考えると、人々は安全に身を守りたいという「安全の欲求」から成長したいという「自己実現の欲求」に代わっていった。約250万年前に木の実を採集していた人類は時代の移り変わりとともに自分の好きなものを集めるようにコレクションするようになった。
放送ではさらに「令和ではこんなモノまで集めてます コレクターコレクション 2025Autumn」と題してユニークなコレクターが紹介された。
- ラジカセ:1970年代から80年代中心5000台くらい。2000万円以上。
- 鳩時計
- 信号機、道路標識
- 藤井靖さんのコレクション:黒Tシャツ
ここからは私の感想・考察を述べる。
まずこの話題の解説者、藤井靖さんはこれまでにも
などの解説者として登場されているが、失礼ながら、いずれも胡散臭いとしか言いようのない内容であった。
ここで改めて、日常生活の行動が適切に「説明」されているのかどうかを見極める基準として以下の標語を掲げておく。
気をつけよう! 脳と本能、大昔
もちろん、人間や動物たちの行動は本能的に備わった筋肉の動きが自発されることによって始まる。まずは手足や発声器官などの単純な動きが生じ、それらが適切に強化され、さらに組み合わさって複雑かつ一連の行動が形成される。そういう意味では原点に本能があることは間違いない。
しかし、日常生活の諸行動の原因を本能だと言ってしまうと、
- モノを食べるのも本能
- 水を飲むのも本能
- セックスをするのも本能
- 動き回るのも本能
- 危険を避けるのも本能
というように何でもかんでも結びつけることができる。
しかし、こうした「本能説」では
- どうしたらその行動を増やしたり減らしたりできるかが分からない。
- その行動が多い人と少ない人の個体差を説明できない。
といった問題がある。今回の「コレクション」などがまさにこれに当てはまっており、
- なぜ一部の人たちだけがコレクションに没頭するのか
- どういう原因でコレクションを始めたのか
- どうすれば過剰なコレクションを止めさせられるのか
といった問題を説明することができない。
さらに今回の「説明」は、「動物の遺伝子は、長い年月をかけて同じ行動を行うことで、それが生きるためにやるべきこと=本能として刻まれる」という致命的な誤りを含んでいる。この点について、ChatGPTに批判してもらった。
とても良い観察ですね。
ご指摘のとおり、には、進化生物学的に明確な誤りが含まれています。以下に批判を整理します。
- 行動の反復が遺伝子に刻まれる」という因果関係の誤り
この説は**ラマルク主義的な誤解**(=獲得形質の遺伝)に基づいています。
つまり「個体がある行動を長く繰り返す → その行動が遺伝子に刻まれる」という考え方です。
しかし現代の進化生物学では、**獲得した行動や習慣が遺伝子に直接影響を与えることはない**とされています。
正しくは次のような仕組みです:
> 多くの個体の中で、偶然「その行動をしやすい性質」をもつ個体が生存・繁殖に有利だった場合に、
> その性質をもつ遺伝子が世代を超えて増える。
つまり、**「行動の繰り返し」ではなく「行動傾向の遺伝的差異に基づく自然選択」**によって本能が形成されるのです。
- 「採集行動がそのままコレクション本能に進化した」とするのは飛躍
採集行動(食物を集める)は、生存や繁殖に直結する明確な適応行動です。
一方で、コレクション(意味のないモノを集める)は**生存に直接寄与しません**。
したがって、両者の心理的メカニズムを単純に連続的に結びつけるのは科学的に無理があります。
人間の「コレクション欲」は、
- **探索欲求**(新しい刺激や知識を求める傾向)
- **審美的評価能力**(価値・希少性を見いだす能力)
- **社会的比較・自己表現欲求**
など、文化的・社会的進化の中で発達した複合的な心理現象と考えられています。
- 「250万年の採集が遺伝子に刻まれた」という表現の科学的曖昧さ
「遺伝子に刻まれる」という表現は、時間が長ければ自然に行動が固定されるような印象を与えますが、実際には**自然選択の圧力が持続的に働かなければ遺伝的変化は起こりません**。
単に長い期間行われていたからといって、必ず遺伝的本能になるわけではないのです。
また、約1万年前に農耕が始まった後も、人類の遺伝子は急速には変化しません。
人間の「モノを集める傾向」があるとしても、それは遺伝的本能というより**学習・文化・社会的模倣の影響**による部分が大きいと考える方が妥当です。
- より妥当な説明方向
「なぜ人はコレクションをするのか」を進化心理学的に説明するなら、次のように書き換えるとより科学的です:
> 人間は採集生活の時代に、限られた資源の中から価値あるものを探し出す能力を発達させた。
> その「探索・選別・収集」に快感を覚える神経系の仕組みが、現代では食物以外の対象(美術品、切手、フィギュアなど)にも転用されている。
> つまり、コレクションは生存本能そのものではなく、**かつて生存を支えた報酬系の副産物**だと考えられる。
- ### 🔸まとめ
| 指摘点 | 問題の要約 | 修正の方向 |
| :------------ | :----------------- | :------------------ |
| 「行動が遺伝子に刻まれる」 | ラマルク的誤り(獲得形質遺伝の否定) | 自然選択による行動傾向の進化と説明する |
| 採集=コレクション | 適応行動と非適応的趣味を混同 | 報酬系の転用・文化的進化で説明 |
| 「250万年で本能化」 | 時間の長さと遺伝的固定を混同 | 自然選択圧の有無が鍵である |
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