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じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 12月9日の夕刻はよく晴れていて、12月7日に続いて今季2度目の『京山皆既日食現象』を眺めることができた。

2025年12月10日(水)



【小さな話題】3か月でマスターする古代文明(9)ギョベックリ・テペとカラハン・テペ/遺跡が残る条件

 12月4日に続いて、表記の番組の第1回;

(1)衝撃!最古の巨大遺跡 見直される“文明の始まり”

について考察する。

 この回で特に印象に残ったのは、かつて「四大文明」の共通点として挙げられていた、

大河があって、その水を使って農耕が始まった。

という「教科書的な常識」を覆す遺跡が発見されたことである。さまざまな古代文明を発掘する中で見直しが迫られているという。

 今回紹介されたのはギョベックリ・テペ【ウィキペディアでは『ギョベクリ・テペ』】という遺跡であった。ウィキペディアからその概要を引用すると以下のようになる。
  1. トルコ共和国のアナトリア南東部、シャンルウルファ(旧名・通称ウルファ、古代名エデッサ)の北東12km郊外の丘の上にある新石器時代の遺跡。
  2. 1996年からドイツの考古学チームにより発掘調査が行われ、チームの指揮を執ったクラウス・シュミットが他界する2014年まで続いた。
  3. 近辺では、定住していたとみられる住居跡やガゼルを追い込んで捕えていたとみられる巨大な罠の跡も発見されている。
  4. 発見以前の常識であった大文明は農耕が可能にしたとする常識を覆す、狩猟採集民によって築かれた文明であり、それまで最古とされたメソポタミア文明を5千年程度も遡る。
  5. ギョベクリ・テペの遺丘に残された構造物は非常に古く、紀元前1万年から紀元前8000年の期間に建てられた。祭祀に用いられたと考えられるこれらの構造物には2段階の発達が見られる。第一段階(先土器新石器A(英語版))では巨大な丁字型の石柱がいくつも円を描くように並べられている。この構造物が何に使われていたのかははっきりしていない[7]。発掘に携わったクラウス・シュミットは初期新石器時代の神殿だと信じていた。
  6. 2020年、37km離れた丘の上でほぼ同時期の遺跡とみられるカラハン・テペ遺跡があらたに見つかる。
  7. 【第三層】多くの石柱は抽象的で謎めいたピクトグラムや、動物の彫刻で装飾されている。新石器時代の洞窟壁画等によく見られるように、これらのピクトグラムもコミュニティで共有する聖なるシンボルだった可能性がある。レリーフはライオン、ウシ、イノシシ、キツネ、ガゼル、ロバといった哺乳類、ヘビやその他の爬虫類、昆虫や蜘蛛といった節足動物そして鳥、とくにハゲワシがモチーフになっている。この神殿が造られた当時は周囲の土地には森が広がり、これらのさまざまな生き物をはぐくむ生態系が存在していたようである。
  8. いくつかの人の形をした像がギョベクリ・テペの地表で見つかっている。いくつかの丁字型の石柱には下半分に人の腕の彫刻が彫られている。このことからこれら石柱の下半分はデフォルメされた人(あるいは神)の体を表しているとも考えられる。少数だがふんどしの施された石柱も見つかっている。この考え方でいくと石柱の上部は人の頭を象徴しているということになる。したがって石柱から擬人観を伺うことができる。これらの石柱が崇拝者の代理として造られたのか、あるいは崇拝すべき祖先なのか、超常的な存在なのかははっきりしない。


 上記の概要に加えて放送では以下のような説明が行われた。
  1. それまで人類最古とされてきたメソポタミア文明は紀元前3500年~であるのに対して、ギョベックリ・テペはそれより5000年以上も前の紀元前9000年~であり、しかも農耕が始まる前の狩猟採集の時代に造られていた。
  2. 大地を深く掘った中に石を積み上げて造った壁がいくつも重なる。
  3. 発掘された「丸い建物」は全部で8つ。レーダーで調べたところ、あと12個が丘に埋まっているという。
  4. 中心にある石の柱は高さ5.5m、重さは15t。
  5. 遺跡の近くには石の壁で造られた巨大なワナが残っていた。
  6. 遺跡の近くには住居跡もあり、大きな組織力を持っていたと考えられる。
  7. 巨大な石を運ぶためには複数の村の人たちの協力が必要。
  8. 石柱は人間の姿を表した模したもので【祖先、祖先の霊】動物の彫刻があった。ギョベックリ・テペではキツネが主流。
  9. 最新の研究では『祖先を祀るたの特別な場所』。
  10. ギョベックリ・テペから37km離れたところで2020年にカラハン・テペが見つかった。同じような石柱があるが、動物はヒョウが彫られていた。


 ここでいったん私の感想・考察を述べる。

 まず、ギョベックリ・テペやカラハン・テペの巨石の構造物は何のために造られたのか? という点だが、

宇宙人が当時の地球にやって来て自分たちを崇拝するための施設を現地の人々に造らせた。

という仮説を考えた人もいるかもしれない。少なくともこれらの遺跡の成り立ちや目的を説明するにあたっては宇宙人の関与を否定する証拠を示す必要があるだろう。というか、「宇宙人」を説明に付け加えても排除しても予測力や事実と理屈の整合性が同程度であれば、「宇宙人」は冗長な概念ということになりその時点で説明から取り除かれる。つまり「宇宙人が存在するかどうか」ではなく、「宇宙人を説明に加えた場合にどれだけ整合性がとれて予測を簡単にできるようになるか?」という観点から検討するべきであろう。

 次に遺跡の発掘について。今回のギョベックリ・テペなどもそうだが、遺跡が残るのは不毛な乾燥地帯に限られているように思う。なぜなら5000年前に日本国内で何かの文明が栄えていたとしてもその中心地帯が現在の農村地帯にあったとするとその後の何度も掘り返されることで何も残らなくなってしまう。なので遺跡はあくまで遺跡。古代文明が10地域にあったとしても、発掘調査ができるのは3か所、のこりは後の世の土地利用で消滅してしまったという可能性にも留意する必要があるように思う。

 次回に続く。

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