UTF-8 since Oct 8, 2025

じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



12月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。

 12月10日の夕刻、今季3度目の『京山皆既日食現象』を眺めることができた。12月11日の天気予報は曇、12日は日没の方位が南に移動して観察地点では旧・京山タワーと重ならなくなるため、今季の観察チャンスは12月10日が最終日だったということになりそうだ。

2025年12月11日(木)



【小さな話題】3か月でマスターする古代文明(10)狩猟採集なのになぜ巨大建造物?

 12月10日に続いて、表記の番組第1回;

(1)衝撃!最古の巨大遺跡 見直される“文明の始まり”

について考察する。

 まず今回取り上げられたギョベックリ・テペだが、ウィキペディアによればこの遺跡は、「トルコ共和国のアナトリア南東部、シャンルウルファ(旧名・通称ウルファ、古代名エデッサ)の北東12km郊外の丘の上にある」という。実はこのウルファには2010年8月に訪れたことがあった【こちらにアルバムあり。】 遺跡自体は見学できなかったが、どんなところかはだいたい思い出すことができる。

 さて、この話題の最大の謎は、狩猟採集の時代になぜこのような巨石の構造物を造る必要があったのか? という点にある。放送で語られた説は以下のようなものであった【要約・改変あり】。
  1. ギョベックリ・テペとカラハン・テペは天気の良い日にはお互いに見られる近い場所にあった。2つとも山の上にあり、T字形の石柱があり共通点が多い。
  2. ギョベックリ・テペではキツネ、カラハン・テペではヒョウの彫刻が彫られていたことから、これらの構造物は背景を異にする別のグループによって造られたと推測される。キツネやヒョウはそれぞれの集団を表す重要なシンボルになっていたと想定できる可能性がある。
  3. 集団が協力しながら建物を造り、その空間でお祭りをすることで、集団の中で共通の世界観、宇宙観、宗教観のようなものが出来上がり、集団の自意識、アイデンティティを強化した可能性がある。そうした一連の行為が積み重なっていくことで複雑な社会、文明が生まれた。
  4. 集団の間の交流を通じて相手の集団が造った構造物について見聞きすることで、「じゃあこちらも負けていられない」というライバルがいて、「負けないぞ」という競争意識が一定の役割を演じて、常識では考えられないような巨大な建造物を造った。
  5. 文明の原点として、人間が建物を造る時に「真似る」ということはとても多い。そして一方の力としては「違いを見せる」。この「違い」と「似たもの」が同時に動きながら競争の世界に飛び込んでいく。そしてその中で洗練されたものとか次々に新しいものが生まれていく。但し、競争とか真似に加わらなかった集団もあったはずで、そういうことを気をつけながら古代文明を見ていかなければならない。
  6. ギョベックリ・テペは今から9500年前、農耕時代が始まった頃に消滅した。その後メソポタミア文明が生まれるまでの5000年は全く空白。
  7. ギョベックリ・テペの発見は「農耕だけが文明を生んだ」という考えをひっくり返すような大きなもの。歴史の解釈とか考古学の解釈というのは、今、私たちが生きている時代に影響されやすい。戦後復興の中では食べることが重視されたため、どうしても経済を重視し、農耕から文明が生まれるという道筋を比較的楽に受け取ってしまう。
  8. 「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉があるがパンだけ(農耕)にずっと光をあててきたが人間はそこだけでは語りきれない。さまざまな面を持つ。
  9. ギョベックリ・テペだけでなく他の世界の古代文明も今までとは異なる姿が見えてくる。


 ここからは私の感想・考察を述べる。

 まず、ギョベックリ・テペの文明が5000年後のメソポタミア文明に何の影響も及ぼさなかったとすると、両者には何の繋がりもないゆえ、前者は異次元の世界の文明であると考えてもよいことになるように思う。
 チコちゃんの番組に関して述べたように【12月8日の日記参照】、単に「古文書に同じ言葉があった」という証拠を示すだけでは語源や由来の説明としては不十分。意味や用法を変えながら今の時代に受け継がれてきたというのであれば「語源」として説明可能であるが、その一方、「その言葉は400年前に使われていたがその後廃れた。戦後、テレビCNの中でその言葉が使われるようになり広まった。」という場合は、語源・由来は400年前ではなく戦後のCMに求めるべきであろう。

 ギョベックリ・テペやカラハン・テペが祭祀を行ったり集団で集まったりする施設であったことについてもイマイチ分からないところがあった。巨大な建造物を造るには相当な資源(材料や人的資源)が必要になるはずだが、科学的に見れば、お祈りをしてもしなくても災害や飢饉に襲われる確率は変わらない。それを承知の上でお祈りをすることにはどのような意味があるのだろうか。

 次に殆どの文明が宗教が重視されるようになったのはなぜか? これはおそらく、
  • 人間が手を加えなくても勝手に生じる諸現象を体験する中で、アナロジーとして神の存在を取り入れた。
  • 宗教的な行為はおそらく『阻止の随伴性』によって強化されている。要するに「お参りに行けば平穏」、「お参りに行かなければ嫌なことが起こる」というルール支配が形成されると、お参りに行く行動は強化されやすい。「世界中の殆どの文化に宗教が含まれているのは神が存在している証拠だ」と唱えるカルト宗教勧誘員もいるが、別段、神の存在を仮定する必要はない。単に『阻止の随伴性』を持ち出せばそれでOK。 」


 次回に続く。