じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
梅の実膨らむ。この樹は今年は表年にあたるようで実がいっぱいついている。なお後ろのピンク色の花はフクロナデシコ。 |
【思ったこと】
990511(火)[心理]生きがい本の行動分析(4):スキナーの「生涯現役」人生 4月16日の日記の続き。今回からは「生きがい本」を1冊ずつとりあげ行動分析的視点でその内容を考察していくことにしたい。「行動分析」を冠した以上、実質一回目は、やはり行動分析学の創始者であるスキナー(B. F. Skinner 1904-1990)とヴォーンの“Enjoy Old Age: A program of Self-Management.”(New York: Norton. ISBN 0-393-01805-9)から始めることにしたいと思う。 前書きによれば、この本は、スキナーが1982年のアメリカ心理学会年次大会で発表した“Intellectual Self-Management in Old Age.”という論文を元に、ヴォーン女史の助力を得て平易な言葉で書き下ろされたものであるという。同じ年次大会においてスキナーは“Why We Are Not Acting to Save the World.”という発表も行っている。本人としてはこちらのほうが遙かに重要度が高いと考えていたが、まことに残念ながら?マスコミはagingのほうばかりに関心を向けてしまったということだ。 その後、この本は本明寛氏によって翻訳され、『楽しく見事に年齢をとる法:いまから準備する自己充実プログラム』(1984年、ダイヤモンド社)として刊行された。但し出版元のホームページで検索した限りでは、発行中の書籍リストにはもはや含まれていない。翻訳された文章自体は平易な日本語で書かれているが、前書きと補遺部分は除外されている。原書の出版の経緯や根底となる行動分析学的視点を知る上で大切な資料であるだけに、訳出されなかったのはまことに残念である。 日本国内では、ただでさえスキナーの知名度が低い。この訳書が国内でベストセラーになったという話も聞かない。けっきょくのところ、「アメリカで有名な心理学の大先生」による「老後をうまく生きるハウツウもの」(本明氏の訳者あとがきの表現を借用)として受け止められてしまったのだろう。確かに章の構成を追っていくと、“Keeping in Touch with the World.(訳書では「五感の衰えをどう克服するか」)”、“Keeping in Touch with the Past---Remembering.(訳書では「記憶の衰えをどう克服するか」)”というように、うまく生きるための知恵が披露されている。しかしその程度の知恵だったら、平日昼間に放映されている健康情報番組でも十分に知りうる内容であり、スキナーならではのアイデアというものが特に記されているわけではない。 ではこの本は、本当に単なるハウツウものなのだろうか。そうでない、と見なすためには、その根底にあるスキナーの幸福観をあらかじめ理解しておく必要がある。このシリーズの第1回でも引用したように、スキナーは、“Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed. 正の強化子を手にしていることではなく、それが結果としてもたらされたがゆえに行動すること”(訳は佐藤方哉先生による。行動分析学研究、1990, 5, p.96)”と考えており、本書の補遺においても“enjoying=being reinforced by”(〜を楽しむこと=〜によって強化されること)と説明している。「行動し強化されること」を幸福の根本と考えるからこそ、それを高齢者なりに実現させるための環境整備が必要となってくるのだ。 さて、我々の日々の労働、その他諸々の日常行動の強化因を時間的なスケールで分類してみると、とりあえず2つのタイプがあることに気づく。スキナーは本書の“Keeping Busy”という章の中でこれらを、“immediate consequences”(直後の結果)および“long-term consequences”として区別している。このうち前者は、職人が工芸品の制作中に得られる完成の喜び、ピアニストが鍵盤をたたく時の感触、ゴルフクラブでボールをコントロールできたという喜びなどのような、行動の直後に随伴する行動内在的な結果を意味している。また後者は、例えば労働の後に得られる賃金、論文や文学作品の完成後に得られるであろう賞賛や名声などのような、一定時間後に得られる間接効果的な結果を意味している。スキナーはこのうち前者のほうを"much closer to what we enjoy”であると見なして大切にしている。 若い時であれば、受験勉強、資格取得のための勉強、海外旅行資金稼ぎのアルバイト、結婚準備、住宅新築資金調達のための副業...というように、“long-term consequences”を想定したルール支配行動にもそれなりの意義があるだろう。しかし、『俺達に明日はない』ではないが、余命幾ばくもない高齢者にとってはそのような準備行動は徒労に終わってしまう可能性が高い。今を楽しめない者には明日の楽しみは無いというわけだ。 もっとも高齢者であっても、自分の死後に大きな結果を想定して、余生をそのための準備期間と位置づけるルール支配行動をとることも可能ではあるだろう。その1つは「子孫に財産を残す」、「後世の人々が役立つような書物を完成する」、「21世紀の地球を守るために頑張る」というように、それ自体は現実的ではあるが本人自身は決して享受できない結果を想定しているもの、もう1つは、(生身の自分の)死後にも引き続いて天国や地獄あるいは輪廻転生という形で好子や嫌子が随伴する世界があると信じ、天国というより大きな結果のために日々善行をつくすというものである。前者は「世のため人のために尽くす」余生であり、後者は宗教三昧の余生となる。これらいずれかを維持するためには、ルールに一致する行動をとることが好子をもたらすような何がしかの言語的強化や社会的強化、仲立ちをする習得性好子が別に必要となる。 そのことを承知の上で、なお死後に仮設的な結果を想定してルール支配行動主体の余生を送るか、それとも、直接効果的な結果を重視し、あくまで現実環境との可能な限りのふれあいの中に生きがいを求めていくか、このあたりは評価の分かれるところであろう。少なくともスキナー自身は死の直前まで直接効果的な結果を大切にし、生涯現役(※)をつらぬき、「人生を見事に演じきる」ことに情熱を注いだと言える。 ※スキナーは1989年11月10日に白血病が進行していて2カ月程度の余命であると宣告され、じっさいには1990年8月18日に86歳で亡くなった。死の8日前の8月10日にアメリカ心理学会の授賞式に出席し、原稿無しで彼の科学や思想に対する革新的な発想を含む15分間のスピーチを行ったことで知られている。日本語の参考資料としては、日本行動分析学会発行の『行動分析学研究』第5巻2号(1990年)および第10巻1号(1996年)がある。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【5LDKKG作業】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
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