じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] シロタエギク(白妙菊)。英語では“dusty miller”(粉をかぶった粉ひき)というシャレた名前がついている(もっともランダムハウス英語辞典には和名は掲載されていない)。何となくハハコグサのお化けのようにも見えるけれど、ガーデニングブームのせいだろうか、他の花の引き立て役として花壇の縁などに植えられることが多くなったようだ。放っておくと大株になる。


5月26日(水)

【思ったこと】
990526(水)[教育]「大学生立ち寄り所」としての大学か、生活の本拠地としての大学か

 先週木曜日、文法経三学部構内で環境整備作業があった(5/20の日記参照)。私が講義棟前の草取りをしていた時、すぐ近くの階段に座って携帯電話をかけている男子学生が居た。13時から14時までの1時間、3人ほどを呼び出してしゃべり続けていた。

 環境整備は教職員・学生全員に呼びかけられたものである。もちろん強制では無いから、その時間に何をしていようがブチブチ文句をいうつもりはない。ただ、この学生にとってこの大学はどういう意味をもつのか、草取りをしながらそんなことをふと考えた。

 きょうはまた、一般教育棟構内を歩いていると、宗教団体信者と思われる女性が女子学生を勧誘していた。ポケットアルバムのようなものを見せながら、「こういう教養セミナー」がありますとか「ドライブに行ったりパーティもやります」といって参加を求めていた。こういう団体に加わる学生にとっても、大学それ自体は勧誘場所以上の大した意味を持たない。「大学の外に出ておいで!、」、「外に出なければ真理は教えてくれないぞ」と言っているようなものである。

 大学に入ってからの4年間の生活はひとさまざまであるし私から何かを強制するつもりは無いんだけれども、生活の本拠地が別にあって、毎日そこに通う前にちょっと立ち寄るのが大学になっているとしたら、一教官としてちょっと空しい気がする。大学の中で学び、ご飯を食べ、語り合うという生活スタイル、言ってみれば大学に根をおろした生活というのもあるはずだ。「大学の中では学べないから」、「大学はつまらないから」という理由で外の世界に飛び出すのではなく、学べないなら何を変えたらよいのか、つまらないならどうすれば楽しくなるのか、ということを考えてみてもよいかと思う。

 少し話が変わるけれど、先週の木曜日の環境整備作業の時、構内の道路沿いの植え込みの中に空き缶やペットボトルがずいぶんたくさん捨てられていたという。また、他にもこういう問題が日常的に起こっている。こういう時、すぐ「自覚」、「公徳心」、「倫理」などの欠如が原因であると主張したがる人がいるけれど、私はどうも、大学が生活の本拠になっていないということにも一因があるように思っている。「よそ様の家の敷地にゴミを散らかすのは失礼だよ」ではなく「自分が生活の本拠としている大学構内を汚したくない」という気持ちを育てることも大切。それは決して利己的な欲求に依拠させようというのではない。山登りの時と一緒で、その山が自分の心の拠り所になっている人だったら決して登山道の脇にゴミなど捨てたりはしないだろう。

 またまた話が変わるが、岡大では近く、創立50周年の記念式典、講演会、祝賀会、音楽会などが開催される。その取り組みには敬意を表するが、式典、講演会、祝賀会の会場が駅前のホテル、音楽会会場がシンフォニーホールというように、大学公開行事を除くすべての祝賀行事が大学の外で行われるのは少々残念な気がする。別に「大学」が空間的な意味での「大学構内」であるとは言わないけれど、やはり共通の心の拠り所がキャンパス内にあることを思えば、もっと大学の中に集まって1つのことを成し遂げてもよかった。先日の環境整備作業は「50周年記念行事」の準備の意図を兼ねて行われたものであったが、環境整備作業それ自体を記念行事とし、学長以下みな構内の草取りゴミ拾いを行い、記念に一本ずつ花を植えるという企画があってもよかった。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】

 火曜日の万物創世記「東京」をほんの一部だけ視た。世田谷生まれの私ではあるが、「目黒」と「目白」が同じルーツであるとは知らなかった。ネットで検索してみたところ、 微笑うSM嬢という、ちょっと尻込みしてしまいそうなタイトルのサイトの第17回目に詳しい解説があった。
目黒っていうのは、目黒不動があるからなんだ。目白には目白不動があるしね。その外にも、目赤、目青、目黄っていうお不動さんもあって、江戸五色不動って呼ばれてるんだ。
「へ〜ぇ、そうなんですか。ちぃっとも知りませんでした。でも、目黄とか目青とかってどこにあるんですか?」
目青は世田谷区、目赤は文京区、目黄は江戸川区にあるんだ。
ということだそうだ。もっとも世田谷にあるという目青不動は一度も訪れたことがない。なおこのページには、有名な「目黒のサンマ」の落語も紹介されている。

 ところで、この目黒区だが、世田谷区から見ると、近くにあるのか遠くにあるのかよく分からないところがある。例えば私が生まれた所から目黒駅に行くためには、バスで渋谷に出て山手線で目黒駅に行くのが一般的。そこで、距離的には、目黒の手前に渋谷があるように錯覚してしまうのだが、実際にはバスで世田谷から渋谷に行く途中にいったん目黒区内を通過しているのである。これは杉並区についても言えることで、世田谷の北隣りにあるにも関わらず渋谷区より遠くにあるように感じる。東京の交通網が放射状に広がっているためにそう錯覚してしまうのだろう。

<5/27追記>目黒区役所の 目黒の地名のいわれを見たが、目黒不動が目黒区の地名の由来というのは1つの説にすぎないようだ。
めぐろの「め」は馬という意味で、「くろ」はあぜ道を指し、馬畔(めぐろ)という音から生まれたという説です。駒場、駒沢、上馬、下馬などの地名が目黒周辺に残っているように、昔、関東地方には馬の牧場が多くありました。目黒の地名は、そのような背景から生まれたとする説です。
 一方、全国的にも目黒という地名が河川の流域に多いことから、川の流れが曲がることを表す「メグル」という表現が、「メグロ」と変化したという説もあります。
  そのほか、目黒不動尊にちなんだとする説、くぼ地を意味する「め」と、峰を意味する「くろ」を結合させたという説など、いろいろな説があります。
ということなので、「目白」と同一ルーツと考えてよいかどうかは断定できないようだ。
【生活記録】
【5LDKKG作業】
昼休みにメロン用のネットを張る。キュウリが大きくなっていたので初めて収穫しかじってみたが、少々青臭くてあまり美味しくはなかった。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】