5月29日(土)
【思ったこと】
990529(土)[生活]4年ぶりのボウリングで老化を感じるわたし
中間試験が終わった息子が珍しくボウリングに行こうと言い出した。このところ家族全員で一緒に行動することが少なかったので、外食のあと近くの岡山フェアレーンに立ち寄る。到着した頃には娘が車の中で寝てしまい、実際にプレイしたのは妻と息子と私の3人だけであった。
2ゲームの結果は以下のとおり。
名前 | スコア(1回目、2回目) | ストライクの数 | スペアの数 |
私 | 259(138・121) | 4(3・1) | 5(2・3) |
妻 | 193(96・97) | 0(0・0) | 6(3・3) |
息子 | 227(91・136) | 2(1・1) | 6(1・5) |
ボウリングは私が学生だった1970年代前半には結構流行ったスポーツであり、確か、中山、並木、須田といった女性プロがTVで大活躍していたように記憶している。その後いったんブームが去り、乱立していたボウリング場はスーパーやゲームセンターに模様替えしていった。
最近のことはよく分からないが、TV番組でいろいろなスプリットをクリアしていくチャレンジ物が放映されたりしているところを見ると、それなりのブームになっているのだろうか。また、TVゲームに熱中する子どもたちにとっても、日ごろ仕事の関係でキーボードばかり叩いている社会人にとっても、体全体を動せる気分転換の場として大いに役立つであろう。さらにかつて大流行の時代にちょうど20歳前後であった世代にとっては昔を懐かしむ思い出の場として根強い人気を保つようにも思われる。
前置きが長くなったが、実際のスコアは、家族全員、あんまり自慢できるものではなかった。もっとも、両隣のレーンの若者たちもそんなにオープンフレームばかり出していてそんなに上手とは言えない。なかには、ボウルを転がすというよりもレーンの1/3先まで放り投げている人もいた。ま、ストレス解消のためであれば何でもよいのだろう。
前回ボウリング場に入ったのはいつかと思って調べてみたら、1995年3月5日のスコア記録が出てきた。4年以上全く遊んでいなかったことになる。年をとったせいだろうか。2ゲーム目になるとボウルが全く曲がらなくなりストライクがとれなくなった。逆に息子のほうは練習の効果が出てきたのか、着実にスコアを上げてきた。スキー、テニス、卓球なんかもそうだけれども、子どもたちに追い越される日が来るのはそう遠くはなさそうだ。
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【ちょっと思ったこと】
- ボウリングから戻ったところでTVをつけたら、教育テレビ(←デフォルトが教育テレビとはさすが我が家だ。がはははh)の「教育トゥデイ」で世田谷羽根木公園の「羽根木プレーパーク」を紹介していた。私は世田谷区若林で育ったので、子供の頃にはよく遊びにいったものだ。当時は、草原の山にグランド、コンクリート製の迷路がある程度のシンプルなものだったが30数年たった今は、都内でも珍しいほどの森林公園に変身してしまっている(97年11月28日の日記参照)。
ほんの10分ほどしか拝見できなかったので番組の内容はよく分からなかったが、既製の遊具を与えるのではなく、子どもたちが自分たちの力で遊具を作り遊びを開発する場を提供しているのはたいへん良いことだと思った。
私のアパートの近くにも、運動公園とか「子供の森」というように子供が遊べるいろんな公園はあるけれど、いずれも既製の遊具が置かれているだけで、遊びの種類もとうぜんそれを使ったものに限定されてしまう。その一方、旭川に行けば「川で遊んではいけません」、ため池の周囲には柵が張られて「中に入ってはいけません」と、真に自然にふれあう場からは隔離されてしまっている。もちろん事故が起こらないような万全の対策は必要なんだろうけれども、既製の遊具だけの公園というのは一種の檻の中の環境のようなもので、そこでどれほどの自主性、創造性が培われるのか逆に心配なところもある。
元に戻って上述の羽根木公園の場合、大人側のボランティア組織によるサポート体制がしっかりしていることが子どもたちの自由な遊びを保証しているようだった。既製の遊具ではないから怪我もする。それに対してはちゃんと保険が出るらしい。怪我が全く起こらない過保護の公園よりは、適度に軽い怪我を体験しながら自分で安全を学んでいく環境のほうが遙かに望ましいことは分かっていても、事なかれ主義の行政管理ではそれを実現することは不可能。ボランティア組織の役割の大きさを改めて感じた。
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【5LDKKG作業】
タマネギとジャガイモを一部収穫。
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
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