じぶん更新日記1997年11月分Y.Hasegawa |
9月29日夕刻がが865本、11月1日朝が936本であり、実質71本の増加(ということは、11本の離脱があったことになる)。このぶんでいくと、来月初めには、実質の日記数も1000本を超えることになるだろう。と書かれてあったことと比較すると、1日あたりの新規登録数は、先月の2.15本から2.48本に上昇した半面、離脱数も11本から88-72=16本に増加した点がちょっと気になるところだ。
まごちゃんは75歳、65g。
まごちゃんは74歳、65g。
7月21日 あめふったりやんだり
ぼくは、ぱぱとすもうをみました。どちらがかつかまけるか、あてっこをしました。
わかのはなが いうしょうしました。
7月24日 きり昨年の10月、30数年ぶりに、この羽根木公園を訪れて唖然としたことがあった。私が子供の頃は、この絵日記にあるように、どこもかしこもススキの山で、頂上からどの方向にも自転車で駆け下りることもできた。今は、うっそうと木が茂っていて、これが同じ場所かと目を疑うほどであった。私の数少ない「浦島太郎体験」の1つと言えよう。なお、本文に書かれてある「あなぐら」というのは、コンクリートのトンネル迷路のようなものだが、壁が色づけしてあったものの、ほぼ同じ位置に同じようなトンネル迷路が残っていた。まさか、あれがそのまま残っているとは思えないが、確かにあの場所にあった。
ぼくは、はねきこうえんにいきました。
そしてあなぐらにはいりました。けれどぐちゃぐちゃですから、あなぐらにはいるのは、やめたのです。それからうちのせきせいが よんわになったのです。もういちわは、ちゅうだんにのぞいているのです。
8月5日 ときどきあめとだけ書かれてある。また、周囲に貼ってある小人のシールには「白雪姫日本語版公開記念」と記されている。この映画、私の子どもたちにもビデオで見せたことがある。親子二代にわたって感動を与えたアニメを作るとは、ディズニーもさすがだ。
ぼくは、しらゆきひめのえいがをみにいきました。
まごちゃんは73歳、65g。
まごちゃんは、72歳、67g。
まごちゃんは71歳、67g。
まごちゃんは70歳。67g。
航空機利用の場合も、子どもが意外に割高だと思うことがある。原因は、複数の割引制度を同時に適用しないため。大人では、早割をうまく活用すると3-4割は安くなったと思うが、子どもは小児運賃割引のほうが割引率が高いため、あまりメリットはない。グランドひかりの2階席は、眺めの良さは新幹線随一だと思うが、揺れが大きいせいか、行き帰りとも娘が「車酔い」になってしまった。まだ息子が小さかった頃、2階の食堂車で鰻弁当を食べたあとで息子が吐いてしまって困った記憶があるけれど、これも車酔いのせいだったかと思う。私自身はもともと車酔いや船酔いには強く、特段の変化はなかった。もっとも、以前に、三宮−姫路間の新快速電車で立ちっぱなしで乗車中に気分が悪くなったことがある。我が家では、どこに行くのもほとんど自家用車で移動しており、電車に乗るのは1年に数回程度。電車独特の揺れ方に馴れていないためだろう。
まごちゃんは、ようやく冬眠解除。69歳で67g。
一例をあげれば、私がスクラップブックを登録した97年3月26日の時点で、代表的なWeb日記リンク集である日記猿人の登録番号は566番であった。ほぼ半年後の本日11月20日朝の時点では、最新の番号は1141番と、2倍以上に増加している。新聞各社が、転載の相談を受ける窓口を拡充しても、要請件数が、毎日何千、何万にのぼるようになれば、処理能力はいずれパンクする。転載申請への回答が遅れることに嫌気をさして、いちいち事前の相談をせずに記事を引用・転載していく「非合法」ページも増加していくかもしれない。それをチェックできる能力が新聞社側にないとすると、律儀に転載申請をした正直者ばかりが転載拒否に合うという不公平を生じる可能性だってある。事前承諾を求めるという今回の「見解」は、将来のインターネット利用の飛躍的な増加を見通していないという点で認識に甘さがあり、「悪法でも法は守らなければならない」という一般論だけで新聞業界の権益を確保しようと目論んでいるように思えてならない。
まごちゃんは、68歳、69g。
きょうは13:30から始まった会議が20:10までかかった。いちども席を立たずに議事進行をつとめた学部長はすごい。私は3回ほど、トイレに行った。以前に、宮内庁の車馬官が、御料車担当の時にいちばん注意することは何か、という話をされていた。何でも、前の晩から水気のあるものを断つということだそうだ。まさか学部長が、会議の前の日から水を断っているとは思えないが、とにかく感心する(←もうちょっと別のことに感心しろ)。
新聞・通信社が発信する記事、ニュース速報、写真、図版類には著作権があり、無断で使用すれば、著作権侵害になります。..【中途略】....利用者の側が、情報をどのような形で利用しようとしているか、動機も、利用形態もまちまちなため、新聞・通信社としても、個々の事情をうかがわないと利用を承諾していいものかどうか、一般論としてだけでは結論をお伝えすることはむずかしい側面もあります。リンクや引用の場合も含め、インターネットやLANの上での利用を希望されるときは、まず、発信元の新聞・通信社に連絡、ご相談をしていただくよう、お願いします。と結んでいる。「お願いします」という柔らかい表現にはなっているものの、ここでは、転載はもとより、リンクや引用の場合でも、まず当該の新聞・通信社に事前の承諾を求めることが不可欠であるとの立場にたっているようだ。
ある新聞社のHPの記事の中に、「無断引用禁止」という表現(たとえばここ)を見かけたが、「無断転載禁止」ならともかく、不特定多数に公開されている情報について、引用まで禁止するのは不適切であると思う。新聞記事、出版物はもとより、Web日記に至るまで、不特定多数に公開された文章は、「公正な慣行に合致し、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内」において、常に、引用され批評される責務を負うし、それを拒むことはできないと思う。
まごちゃんは67歳、69g。
念のため言っておくが、新聞やテレビの報道が絶対正しいと言っているわけでは決してない。松本サリン事件や、神戸の小学生連続殺傷事件の容疑者逮捕前の報道に、種々の先入観や誤りがあったことは報道機関各社が認めているとおりである。
対象となった著作物を引用する必然性があり、引用の範囲にも合理性や必然性があることが必要で、必要最低限の範囲を超えて引用することは認められません。また、通常は質的にも量的にも、引用先が「主」、引用部分が「従」という主従の関係にあるという条件を満たしていなければいけないとされています。つまり、まず自らの創作性をもった著作物があることが前提条件であり、そこに補強材料として原典を引用してきている、という質的な問題の主従関係と、分量としても引用部分の方が地の文より少ないという関係にないといけません。という見解を表明している。これを厳密に解釈すると、「自らの創作性をもった著作物」が転載資料に先立って存在しなければならないということになる。これでは、ホームページ上で、まず新聞記事などから必要な資料を収集したうえで、Eメイルや併設の電子掲示板など多くの人の意見を求め、あとから自分の最終的な結論を表明するという形式の企画は不可能になってしまう。上記の開設者がそこまで意図されていたかどうかは定かではないが、私自身、「資料先提示・御意見募集」型の企画を検討しており、特に神戸の事件については、「容疑者逮捕前に、心理学者や精神医学者、カウンセラーなどがどのような犯人像を推測していたのか」について、記事転載に基づく資料提示をしようと考えている。これを開設する場合には、もちろん当該新聞社あてに連絡をとる予定であるが、もし、相手方が転載拒否の姿勢を示した場合は、そう簡単には引き下がらない決意であることをここに表明しておく。
まごちゃんは66歳、69g。
死亡記事であっても、故人がどんな人で、どのような業績があったのかに触れたり故人を追悼する気持ちを出そうとしたものや、交通事故でも事故の背景や周辺の様子などを記述していれば、単な事実の伝達を超え、記者ごとの特徴を反映した記事になります。著作権法では、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義(第2条の1号)しており、記者によって表現に差が出るような記事は、著作物の条件に当てはまると言えます。としている。これは拡大解釈すれば、記者によって書かれた記事は、どんなものでも著作物になりうる可能性が出てくる。
花子さんは6歳年下の太郎氏と、1997年11月17日に結婚した。という記述を考えてみよう。これはどのようにみても事実の記述にすぎないように見える。しかし、こんな可能性はないだろうか。
まごちゃんは65歳。69g。岡大教授なら停年退官になる年だ。
まごちゃんは64歳。69g。
土曜日は、ネットがすいていたので、gooを使って、「新聞記事」と「著作権」をキーワードに関連発言がありそうなHPをいくつか覗いてみた。本日の時点で、この2語の両方を含むページはは561件あった。なかには、総会屋のページのようなものもあったし、岩崎良美のファンクラブのようもあって、該当ページを見つけ出すには苦労した。日記猿人から外に出ると、新聞記事の引用や転載をしているHPが予想外に多いことがわかった。新聞協会が今回の見解は、一部に「スクラップブック」を意識したものであるとの示唆があったが、こうして見ていくと、どうみても深読みしすぎではないだろうか。さて、きょうは、著作物はなぜ保護されなければならないのか、どの範囲までどういう形でで保護されなければならないのか、ということについて考えてみたい。
同じリンゴでも、その種を蒔いてリンゴの木を増やすとなるとちょっと話が違ってくる。もし、そのリンゴが特別の品種であったとすると、品種改良者の多大な努力がそこで報われなくなる。この例からわかるように、著作物保護の根底には、「公共の利益」とともに「個々人(もしくは団体)の努力」を正当に評価・保護することが、人類全体の発展にとってプラスになる、という考え方があるのではないかと思う。
あるいはこういうことも言える。特定産地のブランド品と偽って安物のリンゴを売れば、本物の産地の人々の努力に打撃を与えることになる。
まごちゃんは63歳。70g。京大教授なら停年退官になる年だ。
まごちゃんは、冬眠解除の暇なく、昨日のまま。
「某新聞社の法務に尋ねていた正式な回答が11/10の新聞協会の発表とのメールが某社より.明らかに「スクラップブック」を意識した発表である.と記されており、何と、私が本年1月以来公開している「スクラップブック」が、この声明の発端であった可能性まで示唆されている。日記猿人投票ではせいぜい5票どまりの「日記」がここまで騒がれるとは思わなかったが、よく考えてみれば、毎日毎日、ああいう形で新聞記事の引用を続けている「日記」は、あんまり他には見かけない。日記猿人には、いくつかニュース読み日記系のものが登録されているが、自慢ではないが原則毎日更新と継続性の点から言って、「スクラップブック」が主たる検討対象になったとしても、そう不思議ではないのかもしれない。
じつは、来週行われる「行動分析学会」で、私は、自分自身の日記執筆行動を分析した「Web日記の行動分析」という発表を予定しており、その関連のシリーズも日記ネタとして予定している。といっても、上に述べた著作権問題のテーマと同時に取り上げるほどの余裕はない。どちらのテーマも、細切れもしくは隔日連載形式にならざるをえないことを、あらかじめご了承いただきたい。
たとえば、スクラップブックと同じ内容のものが、コマーシャルのバーナーつきで紹介されたり、有料サイトの情報提供の一環として紹介されたとする。内容が同じであっても営利が目的であるということになれば、許諾の判断は変わってくるだろう。あるいは、経営最優先の新聞社があったとする。その新聞社の記事を引用する「日記」が結果的に新聞の部数拡大に貢献しているならOKするかもしれない。同じ内容でも、他新聞社系列のサイトの中で紹介されることになればOKしないかもしれない。(もっとも、そういう利権がらみで情報伝達の許容範囲が異なってくるとすれば、これもまた問題だろうが)
まごちゃんは、62歳70g。
私は早寝早起きを鉄則としているので、夜はネットにつながない。いっぽうこの日記は寝る前に書いて、翌朝にアップしている。そのため、例えば23時頃に書かれた日記についての感想を書くのは翌日の夜、アップは翌々日の朝になるから、日記経由で感想を披露するのは最短でも33時間後になってしまう。
まごちゃんは、61歳。70g。
まごちゃんは、ついに還暦。71g。冬眠ばかりさせているので、特に感激はない。
さらに、安斎氏は、「『科学』とは?」という所で、「科学とは、世界の一部分を対象領域とする、経験によって論証できる体系的な合理的知識」という岩波『広辞苑』の定義を引用された。この定義は何でも湯川秀樹氏による定義だそうだ。そして、「科学を何に用立てるべきかは、科学それ自身からは導かれない」と主張し、
- 科学的命題群:事実と照らし合わせて真偽を客観的に決定できる。
- 3+4=7
- 『源氏物語』は紫式部によって書かれた。
- ウランは中性子照射で核分裂する。
- 価値的命題群:命題の真偽が価値観に依存する。
- ピカソの絵は素晴らしい。
- 人はすべて等しく生きる価値をもつ。
- 核兵器は廃絶されるべきだ。
という4つを、「人生、どう生きるか」の結論としておられた。
- 価値観の形成:何が価値あるものかを自分なりに発見する(価値観の形成)
- 価値実現のために自然や社会に主体的に働きかける(主体性の獲得)
- 自然と社会のなりたちについての体系的・合理的認識の修得(科学的世界観の修得)
- 価値観が違うというだけで相手の人権を奪わない(自己の相対化)
「幽霊肯定率」は小学生よりも中学生、中学生よりも高校生のほうが高く、しかも70-85%に達している。1946年の類似の調査では、幽霊を信じている人は都市部で5%、いちばん多い漁村でも10%にも満たなかった。科学の進歩は必ずしも幽霊の否定につながっていない。という事例を紹介したが、それではなぜ、科学が進歩した現在、幽霊を肯定する若者が増えているのか、それも小学生よりも高校生のほうが増えるのはなぜか、という原因がいまひとつ納得できないままに終わってしまったように思う。
まごちゃんは、59歳71g。
今日は家族で半田山(大学の裏山)のハイキングをした。小粒のシイ、細長いウラジロガシ、丸くて大きいクヌギなどたくさんのドングリが落ちていた。ドングリの数はものすごいが、発芽して大樹に育つのは、おそらく何百何千のうちの1つであろう。無駄が多いにもかかわらず栄養分豊富なドングリの実をあんなにたくさん作ることは、森林環境において適応上どういう意味があるのだろうか。ふと疑問に思った。まごちゃんは58歳。72g。
夜、「レスパール藤ヶ鳴」の温水プールとサウナの中でサッカーの試合を見た。相手国はカザフスタン。ソ連崩壊前に訪れたことのある首都のアルマアタ(今のアルマトイ)のことを思い出したので、期間限定で写真を一枚(但し57KB)。時間は前後するが、きょうの午後は、『人はなぜ騙されるのか』(朝日新聞社)という本で知られる安斎育郎氏の講演会が大学内であった。同じ時間帯には埋蔵文化センター主催の遺跡巡りハイキングも計画されており、どちらに参加するか迷ったが、スプーン曲げなど「超能力」手品の実演と種明かしがある、という前評判につられて、こちらのほうに参加することになった。子どもたちに留守番させて妻も聴きに来た。余談ながら、講演会の会場は、私がいつも水曜日に授業をやっている教室であった。同じ講義室でも、教壇から話をする時と、受講側の席に座って講演を聴くときでは全く別の部屋に見えてしまうのだから不思議なものだ。
安斎氏の講演のあと、私が雑用を済ませている間、某所で妻に日記猿人の「当日の得票ランキング」を見せる。あとでどれを読んだか聞いてみたところ、1つは、これだった。やはりトップの実力はすごい。もう1つはこちら。初めて見た者にとっては「いったいこれ何?」という印象を与えたためであろう。内容を理解できたかどうかは定かではない。
まごちゃんは57歳73g。
今日は立冬だそうだ。大学の南北通りの銀杏が美しい季節になった。今朝はNHKのテレビカメラも取材に来ていた。夜、南の空に木星と半月がかなり接近して見えた。あの半月が丸くなる頃には獅子座の流星群がピークになるはずだ。満月と重なって最悪のコンディションだが、火球が見えるかもしれないなどと言われている。それから、今年の春に私が夢中になったヘールボップ彗星の「最後の」画像が、怪鳥さんのページに公開されていた。あの彗星にはあまりにも思い出が多い。あんなに小さくなっても涙が出るほど懐かしく感じられた。さて、今日はこのシリーズの最終回。昨日の日記で自分自身に宿題を課したものの、時間の関係で全部は書ききれないし、また十分なデータが揃っていないこともわかった。そこで今回は、ゲームと人間関係の問題に絞って、思いついたことを列挙しておきたい思う。
まごちゃんは、冬眠解除する暇がなく、昨日のまま。
きょうは小春日和の暖かい一日だったが、こういう夜に限って私のアパートでは蚊が大量に出現する。これだけ多いとごまさん(11/1)の所のように隠れる場所も見つからないらしい。大概は天井に張り付いている。夕食後に12匹、たった今さらに3匹をハエ叩きで叩いた。どこか室内の花瓶かハイドロカルチャーの瓶の中で発生しているのだろうか。ちなみに私の家はアパートの4階であるが、。網戸をつけ、蚊帳をつって寝ている。
まごちゃんは56歳。ちょっとだけダイエットして73g。
“日刊「懲りない話」”の「はかせ」さんが日記猿人の登録を抹消されたことについては、私自身の10/30の日記が何らかのきっかけをつくったのではないかと反省している。もっとも、はかせさんは前から日記猿人離脱のタイミングをはかっておられたそうだ。その背景には、毎回のことながら、読んだよボタン得票ランキング上位者に対する嫌がらせ行為があったことは確かである。この件に関しては、後日あらためて意見を述べることにしたいと思う。
まごちゃんは、今日も冬眠解除する暇がなかった。
自分では永遠に少年でいるつもりでいても、確実に僕は年齢を重ねていく。僕に残されたあと1年半とちょっとの20代を、いかに有効に使えるかで、僕の30代は全く違ったものになるような気がしてならない。と書かれてあった。うーむ、では私のように30代を過ぎてしまった人間は、これからどうすればよいのだろう? このことで書き出すと何時間もかかってしまうので、今日は見通しだけ述べておくが、確かに、確かに立花さんの11/3の日記に書かれているように、
決めるべき時に決める」為には、「決められる」だけの下地を作っておかなければ何もできない。僕にとっての永遠は、もう半ばを過ぎてしまっている。
「決めるべき時に決めにかかる」ことの大切さ。ずるずると生活に流されることなく、決めるべき時を確実に押え、一気に畳み掛けるように決める、.....ということは大切ではないかと思う。私自身も、オーバードクターを6年も続けている時期に、こういうことを考えた。ただ、結果的に思い通りにならなかったとしても、それで挫折ということにはならないだろう。例えば、岡山県に住んでいると、「本当にここに永住してもよいのだろうか」と思うことがあるが、では北海道に移り住んだらどうかと言えば、たぶん数年もたたないうちにまた、「本当にここに永住してもよいのだろうか」と思うだけであろう。職業の場合も同じ事がある。初めから適性があって、それにあった仕事を探すのではなく、与えられた環境の中で最大限に自分を活かすことを考えたほうが結果的に本当の適性を見出す可能性にもつながるかもしれない。
まごちゃんは、また冬眠解除をする暇がなく、昨日のまま。
ハセピーの京都のおもひで・・・「船岡温泉」「大徳」「敦煌」ってのは完全に僕の行動半径とダブってます。ひょっとしたら並んで銭湯でからだ洗ってたり、一緒にみそラーメンすすってたかもしれません。ということだ。私は、1986年の3月まで京都に住んでいたので、この可能性はひじょうに高いと思う。
まごちゃんは、55歳77g。
きょうは大学祭の2日目。昼は、家族で構内を巡り、焼きそば、たこ焼き、うどん、ラーメンなどを食べた。17時すぎに研究室から歩いてアパートまで帰ったが、ちょうど、西の空に月齢1から2ぐらいの細い月が、南西には明るい金星が、真南には木星が、東には土星が見えた。怪鳥さんの日記を拝見したところ、金星があそこまで南方向に見えるのは8年に1度のできごとだという。手元に天文年鑑がないのではっきりしたことは言えないが、きょうの位置関係からいうと、たぶん明日(11/3)の夕刻には、三日月と金星がかなり接近するのではないかと思う。
まごちゃんは、54歳77g。
まごちゃんは、冬眠解除をする暇がなかったので、昨日のまま。