じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
立春にふさわしく、梅の盆栽の花開く。背景は半田山、岡大農場。アパートの階段で撮影。 |
【思ったこと】 _00204(金)[教育]『受験勉強は子どもを救う』か(2)精神的混乱(ターモイル)/モラトリアム/挫折体験 昨日の日記の続き。昨日の日記で和田秀樹氏の著作の記述が
まず、特に注目したいのは 精神分析的な発達理論の中には、乳幼児の心をあまりに一方的に仮定したものだと批判されているものもある。アンナ・フロイトの理論などは、精神分析の患者の心から、乳幼児の心の発達を類推したもので、およそ科学的には正確とは言えない[p.35、長谷川による要約]。という部分。 行動分析が 現在の問題行動はその行動に現時点で随伴している強化因によって強化維持されており、過去体験の影響は習得性強化子の質と量に自ずと反映しているという見方を取るのに対して、いっぱんに精神分析的な治療においては、何かがきっかけになってノイローゼが発症したとしても、そのきっかけにノイローゼの原因を求めるのではなく、なぜそれがきっかけになってノイローゼになったのかを考える(p.34)とされている。 この精神分析的な見方と、上記の批判は、精神分析的な思春期の発達理論を批判しておいて、受験勉強ノイローゼ説の批判に精神分析の考え方を利用するのは矛盾があるのではないか(p.35)という疑問をもたらす。この点について、和田氏は、「発達理論としての精神分析」と「治療理論としての精神分析」が異なるというロジックを用いて弁解しておられるようだが、私にはまだ納得できないところがある。 これより少し前の所で和田氏は 思春期の精神的混乱(ターモイル)は正常なものであるばかりか人間発達上不可欠な調整期間であるとの主張には根拠は無い。ターモイルを経験させた子供のほうがその後のメンタルヘルスや発達がよくない。少なくともわざわざ放任主義をとっても結果はよくならない[p.24〜29、長谷川による要約]。という指摘もしておられる。 受験勉強からは脱線するが、一部の臨床家の中には、不登校や引きこもり、あげくのはてには家庭内暴力までもを、人間発達上必要なモラトリアムの時期であると解釈し、積極的な介入を避けようとする流派があるが、この御指摘にもっと耳を傾ける必要があるように思う。 ここで、ターモイルに関連して「挫折体験」についてちょっと考えてみたいと思う。世間には「挫折体験が無く、エリートコースを突っ走った子供」を悪いものと見なす風潮があるようだ。しかし、エリートコースを突っ走るにもそれなりの努力が欠かせない。挫折があったかどうかはあくまで結果の話。努力のプロセスを問題にしなければ意味がない。 「挫折体験」のあった人が評価されるのは、挫折した人の気持ちが分かるということと、挫折にどう対処するかという自己強化の技法を身につけているためであろう。もちろんそのことは貴重な体験ではあるのだが、だからといって、挫折しない人より経験が豊富であるとは一概には言えない。挫折しなかった人は、挫折を事前にくい止めるだけの種々の対処法を身につけている人であるとも考えられるからだ。 それと我々がよく聞く「挫折体験」とか「苦労話」というのは、おおむね、一度は挫折したがそれから立ち直った人の話。科学的に分析するのであれば、挫折して立ち直った人と、そのまま立ち直らなかった人の体験を公平に比較しなければ何が違いをもたらしたのかを同定することはできない。しかし、立ち直らなかった人というのは通常表に出てこない。「合格体験記」に比べて「不合格体験記」が注目されないことをみればよく分かる。 風邪で寝込んでいるため論旨があいまいになってしまった。次回に続く。 |
【ちょっと思ったこと】
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【スクラップブック】
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【今日の畑仕事】
風邪の兆候が出てきたので中止。 |