じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] しつこくロッカス。3日目にしてやっと雄しべが見えてきた。

2月7日(月)

【思ったこと】
_00207(月)[心理]「行動随伴性に基づく人間理解」その後(12) 定期借家制度と「マイホーム」の夢

 3/1より定期借家制度が発足するという。新制度では、契約期限が切れる6カ月前までに通告すれば、正当事由がなくても借家人に明け渡しを要求することができ、補償金も要らない。従来の「正当事由制度」の貸借関係を家主側の都合で定借制度に切り替えることは法律上禁止されているというが、「おばあちゃん、今度法律が変わったんや。もう一度ここに判押してや」などと騙される借家人が出てこないかどうか心配なところがある。

 新制度は借家人に一方的に不利であるようにも見えるが、これまで「人に家を貸すと二度と返してもらえない」として空き家のままにしていた家主が安心して物件を提供できるようになり、従来に比べて家族向けの借家が多数供給される可能性もある。それによって質の良い借家が出回り、家賃が下がってくれば結構なことだと思う。

 もともと家というのは所有するものではなく住むために存在するもの。会社勤めの日本人の多くが漠然と感じている「マイホームの夢」とは家を所有することではなく、その家で家庭的な生活をすることであったはずだ。家を何軒所有してもそれだけでは幸せにはならない。どんな立派な家に暮らしても家族内でいさかいが絶えなければ幸せにはなれない。とはいえ、狭いアパートでは、ゆったりと休息することができないし、庭仕事やペットを飼う楽しみも奪われる。老後の生活も危うい。こういう行動機会を得るための象徴として「マイホーム信仰」ができあがってしまったところがある。そして、いつのまにか手段と目的がひっくりかえり、「生きがいある仕事を続けるために住む」から「住むために必要なローンを返済するために働く」という「好子消失阻止」の義務的随伴性に支配された人生を送るようになってしまうのだ。

 しかし、昨年2月19日の日記にも書いたように
夏と冬で違った服を着るように、「衣」ばかりでなく「住」のほうも、ライフスタイルに合わせて取り替えていくほうが合理的であろう
という発想の転換が可能であることも忘れてはならない。じっさい、持ち家があると家や土地に縛られ、メンテにも気を遣うし、子どもの将来の進学や職業選択にも無言のプレッシャーを与えてしまう場合がある。先祖代々の土地を受け継ぐ農家と違って会社勤めの勤労者の場合には
  • 子どもが小中学校に通学している時期は市内の閑静な学区で部屋数の多い家。車庫は2台分。
  • 子どもが独立すれば郊外の広い庭付きの家。部屋数はそれほど必要ない。車庫は1台分。
  • 病弱になれば買い物や病院が近くにあるところ。車庫は不要。
  • 介護を受ける必要が出てくれば、人間的な生活が尊重されるような介護施設。
というように家を住み替えていったほうが合理的であるように思う。

 定借制度を活用し、病院の近くの狭い家を所有している大家族、小学校のすぐ近くの家を所有している老夫婦、郊外の大邸宅を相続した若者などが、所有権そのものは持ち主が保持しつつ、それぞれのライフスタイルに合った家を10年サイクルで相互に貸し与え合う協同組合みたいなものができるかもしれない。そうなれば貸す側も借りる側も契約期限後の住み替え先が確保されているので安心できる。定期借家制度発足によって、こんな形の新しい「住」スタイルの実現が可能になることを期待したい。
【ちょっと思ったこと】
【スクラップブック】
【今日の畑仕事】
多忙につき立ち寄れず。