じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
2/9朝の積雪風景続き。理学部前から時計台、半田山方向。「かまくら」が出現していた。 |
【思ったこと】 _00209(水)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(13)公認カンニングペーパーも良いかも 昨日の日記に続き。「大福帳」の講演の中で「公認カンニングペーパー」という言葉がチラっと出た。この先生が言われていたのは「大福帳」を試験に持ち込んでよいという趣旨ではなかったかと記憶しているが、そこからの連想として、カード1枚のみ持ち込み可という試験を行うことは意味があるのでは?とふと思った。 私の授業の場合、成績の評価方法としては、
このうち1.は授業の進み具合に合わせて実施されるので、受講生自身にとっても理解度をチェックするよい機会になる。また教える側も、全員の成績が悪ければ教え方に問題ありと反省せざるをえず、次回に補足説明を行うというよう形で対処できる。このほか、小テストを受験させることで結果的にサボりを無くす効果もある。 しかし1.の場合、授業時間の一部がテストに充てられてしまうために、全体の授業時間がそれだけ削減される。いまのように半期15回を2単位とするセメスター制のもとでは、小テストにあまり時間を割くわけにはいかない。 次に2.の場合だが、教官の知らない場所でリポートが作成されるため、本人が自力でちゃんと取り組んだのか、友達どうしで教え合ったのか、誰かに全面的に手伝ってもらったのか判別がつかないという問題がある。以前アジア系の留学生を教えたことがあった。この留学生、英語の講読の授業中に指名しても全く答えられない。「英語→日本語」の訳ができないばかりか、英語そのものの発音ができなかった。ところが期末に提出を求めたリポートでは完ぺきに近い訳を持ってきた。どうやら、その留学生の配偶者(別の分野の大学院生)に100%手伝ってもらった可能性が高いのだが、一人だけ呼び出して口頭試問をやるわけにもいかなかった。 このほか2.は受講生が多いと採点に多大な時間を要するという問題がある。本来、提出されたリポートには赤ペンを入れて返却することに教育的意味があるのだが、受講生が50人とか100人になるとたいへんな労力が要る。 さて、今回取り上げる「公認カンニングペーパー」は、最後の3.に関連するものである。いっぱんに期末試験といえば、「教科書・ノート・配布資料のみ持ち込み可」か「持ち込み一切不可」とするのが一般的だ。私は4〜5年前まではもっぱら「持ち込み可」の試験を続けてきたが、学外非常勤講師として短大や看護学校で教えていると、「持ち込み可だったらその場で読めば分かるだろう」という妙な安心感ができてしまって、ちっとも試験勉強をしてこない学生が多いことに気づいた。しかし、「持ち込み一切不可」にしてしまうのもちょっと酷だし、暗記主体の試験勉強を求めてしまう恐れもある。 そこで、例えば、B6版の京大カード、あるいは通常の名刺サイズのカード1枚を「公認カンニングペーパー」として持ち込み可とし、そのカードには何を書き込んでも自由とすれば、事前の試験勉強もやりやすくなるのではと思いついた次第。例えば、英文専門書講読の授業であれば、訳文をぎっしり書き込んできてもよいし、単語集であってもかまわない。とにかくカード1枚に学んだことを集約するという作業をすれば結果的に試験勉強をしたことになる。さっそく来年度の一般教養科目などで取り入れてみようと思う。もしすでに似たようなシステムを実践されている方がおられましたら、お互いを更新する掲示板に情報をいただければ幸いです。 |
【ちょっと思ったこと】
|
【スクラップブック】
|
【今日の畑仕事】
大根、ホウレンソウ、人参を収穫。 |