じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 2/9朝の積雪風景続き。雪をかぶったサザンカと時計台。

2月10日(木)

【思ったこと】
_00210(木)[心理]「行動随伴性に基づく人間理解」その後(13)『一つだけかなう世界中の願い』

 1/28の日記(「ちょっと思ったこと」)に引き続いて、TV番組「週刊ストーリーランド」の話題。今回は、『一つだけかなう世界中の願い』が面白かった。
 エジプトで発見された碑文から、1万年に1回、宇宙の創造主によって、いちばんリクエストの多かった願いが1つだけかなえられることが分かった。その日を目前に控えて、何をお願いするのか、政治家や学者が議論をするが結局決裂。逆に世界各地でその議論をきっかけにした対立や暴動が起こってしまった。けっきょく、「何もお願いしないこと」のがよいということで合意されたが、創造主がかなえてくれたのは「人類を消滅させてくれ」という願いだった。創造主や地球上のあらゆる生命体からリクエストを受け付けており、思い上がっていた人類はそのことに気づかなかったのであった。
という内容。この番組は、家族で最後の結末を予想することを楽しみにしているが、今回もまた、誰も当てることができなかった。

 このアニメに限らずフィクションの世界では、「どんな願いでも1つ(あるいは3つ)だけかなえてあげましょう」というネタは多い。このことについて子供のころから
かなえてくれる願いの数を無限にふやしてください。
というお願いをすればよいのに、と思ったことがあった。しかし、このお願いは、「どんな願いでもかなえる」には合致しているが、「願いの数は1つ(あるいは3つ)に限るというもう1つの制限条件そのものをぶち壊している。初期設定された趣旨や条件をないがしろにするような願いは聞き入れられなくても文句は言えまいと思う。

 さて、では、本当に1つしか叶えられないとしたら何を願ったらよいのだろうか。

 今回の番組でも出てきたが、「病気を無くしてほしい」とか「お金をいっぱい欲しい」というのは個人レベルでは妥当であっても世界全体の願いとしては不適切。前者は地球上の人口を無限に膨張させ結局食料不足による餓死を招く。後者は、お金が生産物や労働の代価である以上、単にインフレを招くだけのこと。

 行動分析的に考えるならば、いつも言うようにスキナーの「Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed.」という視点がどうしても大切。つまり、どんな物であれ、行動の結果となるものを行動せずに手に入れようとしても幸せになれるはずがない。餓死しない程度の食料は別として、「美味しい物をください」と願うことは、食料を手に入れる(野菜を育てるとか魚を釣るといった)楽しみ、食料を調理する楽しみを奪ってしまう。結果的に、狭い養鶏場で機械的に餌を与えられるニワトリのような生活を求めてしまうことになる。

 とすれば、妥当な願いというのは結局、「行動機会を増やすこと」に尽きるのではないか。病床に臥している人が健康快復を願うのは、日常生活場面で行動できる状態を求めているからであり、これは無条件に肯定される。戦争を終結させ平和を願うのも、平和な社会のもとでなければ行動機会が保障されないから、ということに尽きるように思う。
【ちょっと思ったこと】
【スクラップブック】
【今日の畑仕事】
多忙につき立ち寄れず。