じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 沈丁花。自宅の庭にて。昨年暮れに移植したがどの株もちゃんと根付いていた。

2月12日(土)

【思ったこと】
_00212(土)[生活]東京な私/娘の見た東京

 昨日の日記にも書いたように、義母と娘と私の3人で上京中。義母と娘は「はとバス」で東京一日コースへ。といって集合場所の新宿駅東口が分かる二人ではない。私も見送りに出かけた。

 世田谷の自宅から新宿に行くには、健脚ならば梅ヶ丘から直行、そうでない時は、世田谷線で山下まで行って小田急乗り換え、もしくは下高井戸から京王線乗り換えの3通りが便利だ。今回は「自力」で戻ってきたもらうため、乗り換え駅が分かりやすい下高井戸経由としたが、たまたま乗った電車が京王新駅のほうに行ってしまい、改札を出てから道に迷う。結局、地上に出て南口を廻るようにして集合場所にたどり着く。私の案内も当てになりませんなあ。わははは。

 九州生まれ&育ちの義母は東京には急な用事以外では来たことがない。新幹線から富士山を眺めたのも初めてだと言っていた。娘のほうは毎年1〜2回は上京しているものの、いつもTDLなどの遊び場に直行してしまうため東京のことがまるで分かっていない。これではいかんと、数年前、国会議事堂前から桜田門を通って東京駅まで家族全員で歩いたことがあった。お堀が見えてきたところで
  • (私)あの水がたまっているところは何かなあ?
  • (娘)みずうみ!(←お堀だろうが)
  • (私)あのアンテナがいっぱい立っている建物は何かなあ?
  • (娘)テレビきょく!(←警視庁だろうが)
さらに二重橋の前で
  • (私)この中に住んでいる人は誰かなあ?
  • (娘)けいきさん!(←大河ドラマは一度も見ていなかったはずなんだが)
という始末であった。4月には6年生になる。このあたりで社会勉強しておくのもよかろう。

 新宿駅東口と言えば、私が高校生の頃は「ひっぴー」がシンナーなど吸いながらたむろしているところだった。周囲はすっかり変わってしまったけれど、はとバス乗り場のあたりは昔のままであるように見えた。

 はとバスを見送ったあと、新宿三丁目から地下鉄で神保町へ。タキイ種苗で自宅の庭に植える花の種を買おうと思っていたのだが、なんと閉店。「日曜日、祝日休業。土曜日も休むことがあります」だと....。これじゃあ、勤労者はいつ店に来ればよいのだ。

 三省堂や古本街をウロウロしたあと都バスで渋谷まで。この路線、いったん廃止されたように記憶しているのだが、いつ復活したのだろうか。車窓からは九段下、日債銀本店ビル、靖国神社、議事堂裏、赤坂見附、赤坂御所、絵画館が見えた。ホンマはこれに乗っているだけで「はとバス」なみの景色が楽しめるのだが...。

 渋谷の一つ手前でバスを降りて、「第一園芸」に立ち寄る。土いじりが好きで科学少年だった私は、中学生の頃によく宮益坂を歩いて第一園芸まで園芸用品を買いに行ったものだった。昔は露天の売り場もあって駄鉢まで置いてあったけれど、いまやすっかり上品な店に様変わりしてしまった。この近くの「志賀昆虫」という店でショーケースの実験器具を覗くのもまた楽しみだった。「志賀昆虫」や「小川はかり店」などは30数年前とちっとも変わっていないように見えた。

 いまの東京は私にとってはもはや生活の場ではない。完全によその町になってしまった。それでも昔なじみの街角をちょっとでも歩けば、40数年間(+α)ずっと住んできたところであるように錯覚してしまう。やはり私にとってのふるさとは東京ということになるんだろう。

娘の東京見物の感想はこちら。さすが、口の悪いところは父親譲りですなあ。
【ちょっと思ったこと】
  •  2/13朝のNHKニュースによれば、新潟県の少女誘拐・長期監禁事件では、容疑者の母親に対する家庭内暴力が日常化しており、(母親の)悲鳴や「ごめんなさい」と謝る声は2Fに監禁されていた女性にも聞こえていたという。他にも自分と同じように監禁されている人が居ると思いこんでしまったことも「逃げる気力を失った」一因になっていたとか。

     家庭内暴力にもいろいろなパターンがあることは承知しているが、
    1. 錯乱状態のもとで対象を特定せずに生じる暴力
    2. 妄想により特定対象を攻撃する行動
    3. 他者を従わせる手段としての暴力
    と分けた場合、少なくとも3番目の行動は、手段としての暴力にどういう結果が伴っているのかによって強化・弱化されるはずだ。手段としての暴力にその成果となるような結果を与えてしまったら、その行動はますます強化される。これは家庭内暴力でも暴力団による恐喝でも同じ原理。この状態を「ターモイル」やら「モラトリアム」などと象徴的に位置づけて放任してしまっては火に油を注ぐようなものだ。いかなる事情があろうとも、「望ましくない行動」を強化してしまってよいはずがない。道具的に生起する「望ましくない行動」は、罰的結果を与えることによって弱化(好子除去による弱化や阻止の随伴性による弱化を含む)するか、(結果を与えないことで消去する目的で)無視するかいずれかによって対処するほかはない。「しばらくそっとしておくで改善される」ことがあるのは、あくまで後者の消去効果が有効であったためにすぎない。

     いずれにせよ、警察の取り調べは容疑者の犯罪行為をどう裏付けるかということだけの捜査であって、事件の遠因となった家庭内暴力の発生経緯や対処法の履歴については十分に明らかにされない可能性がある。
    • 母親が「家庭内暴力は育てた自分の責任」と思いこんで、関係機関に相談に行くことをためらっていたのか
    • 相談を受けていた関係機関があった場合、そこでは適切な指示を与えていたのか。暴力を容認するような間違ったカウンセリングをしていた事実は無かったのか。
    今後の同種事件の再発を防ぐためにも、このあたりの解明をきっちりさせてもらいたいところだ。
【スクラップブック】
【今日の畑仕事】
旅行中につき立ち寄れず。