じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
スジエビを飼っている水槽の中で白い花が咲き始めた。図鑑を見たところ、「おおカナダも」の花らしい。暖かい上に窓際で日が差し込んだために咲いたものと思われる。 |
【思ったこと】 _00309(木)[一般]手書きで高められるもの 論文、事務文書、Eメイル、Web日記....と、文書のすべてをワープロソフト(エディタ)で作成するようになってかれこれ15年ぐらいになるだろうか。近頃では、自分の住所・氏名以外には、ボールペンやサインペンを使って文字を書くということは滅多になくなった。 そんななか、毎年この季節になると、未だに手書きを強いられる文書がある。おおむね、以下のような内容だ。 この文書は、「教育公務員特例法第21条に基づく兼業承認申請書」の中で兼業の理由および本務との関係を説明する部分にあたる。国立大の教官が、他大学で授業等を行う場合には毎年提出しなければならない書類である。来年度私は2機関で非常勤講師、他に無報酬の役職が1件あり、全部で3枚に同じような文字を書き込んでいかなければならない。 同じこと書かせるぐらいだったら、最初から上のような文書を印字しておき、「上記に同意します」という欄に署名だけすれば済むようにも思うのだが、いっこうに改善されない。事務官に聞いてみたところ、「これは手書きでないと困ります。服務意識を高める狙いもあります」とのこと。なるほど、手書きで文字を埋めていく過程で、「ふくむ、ふくむ」と自覚をしなければならないという意味なのだろう。 少し話題が拡散してしまうが、年賀状とか重要な信書は直筆でないと気持ちが伝わりにくいという議論はよく耳にする。確かに、ワープロで印字された文字や画面上のフォントは、それ自体には個性がないことは確かだ。 gooで「自筆」をキーワードに検索してみたところ、たまたま1997年4月29日に他界された渡辺理恵さん(享年27歳)の日記のページがヒットした。その中の最後のページは自筆で書かれており、この訴えには印字原稿では到底伝わらない迫力がある。 もっとも、自筆でないから気持ちが伝わらないというわけでもない。例えば、私自身何度かEメイルのやりとりをさせていただいた轟木さんの場合は、わずかに残っている指先の筋力をセンサーで感知して、文字を1個1個選んで文章を書いていた。TOPページ下段にある種々のエッセイは、短くても一言一句重みをもっている。 もとの話に戻るが、将来どうしても自筆で書かなければならないものと言えば遺言書だろうか。他人の代筆もタイプライター等の使用も認められていないと聞いているが面倒なことだ。もっとも、同じくgooで検索したところでは公正証書遺言とか秘密証書遺言というのもあり、この場合は代筆やワープロ使用も認められているらしい。費用さえいとわなければ、自筆の煩わしさからは解放されそうだ。 |
【思ったこと(2)】 _00310(木)[一般]「終わらない水」 3/9の週刊ストーリーランドの第3話「終わらない水」を見た。「終わらない水」とは「命が終わらない水」という不老不死の薬。事故で死んだ人も病気で死んだ人もこれを飲むと治ってしまう。ところがこの薬が体内の病原菌も不老不死にしてしまったために、飲んだ人は慢性の病気の苦しみを背負いながら生き続けなければならないというパラドックス。 この話の主題は、地球上のすべての生命体が、相互に影響しあい、そのバランスの上に存在しているということか。このことは、生命体の相互作用で生じる現象は、決して「原因→結果」という単方向型の切片として捉えきれないを示している。切片として切り出された問題現象を解決するために「原因部分」だけを弄っても、そこで改善されたはずの結果が、またまた新たな問題原因を作り出してしまうのである。 今回の話には出てこなかったら、病死が無くなれば人口増大によって食料が不足し、慢性的な飢餓状態が生まれることになる。さらには二酸化炭素がさらに排出されて地球温暖化による洪水地獄や焦熱地獄に苛まれることになる。 いつもの結論になってしまうが、「行動し、その結果として強化される」という 随伴性の権利が保障されない限り生きがいはもたらされない。今回の話は、命が終わらないだけの人生の空しさを描いた分かりやすい作品だった。 |
【ちょっと思ったこと】
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【今日の畑仕事】
夜、長ネギを収穫。 |
【スクラップブック】
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