【ちょっと思ったこと】
- 地域の日
今年の5月の連休は、土曜休業をとっている大学の場合は5/3〜5/7の5日間となる。ところが、通例、5/6の土曜日は第一土曜日にあたるため小中学校の休みにならない。どうしたものかと思っていたところ、
- 息子が通う私立中学の場合は、4/29を授業参観日とし、5/6をその代休日とする。
- 娘が通う公立小学校の場合は、「地域の日」に指定することでお休み。
という通知が相次いで届いた。これで4泊5日の家族旅行が可能となった。
しかし、このうちの「地域の日」というのはホンマは旅行をしてはイケナイ日に決められているようだ。趣旨としては
家での大掃除、地域での空き缶集め、溝掃除、草取りなど、いろいろな行事に積極的に参加したり、異年齢集団での遊びを工夫したり、あるいは老人の慰問等をしたりなど、ふれあいを深める日
となっているという。ま、妻の北九州の実家に滞在する分ことなら老人の慰問になるのかと解釈できないことも無いが。ちなみに、アパートで毎週第一、第三土曜日に行われている溝掃除は5/6に限っては中止することに決まったとか。我が家はその当番にあたっていたのでこちらも安心安心。
- 学級崩壊、初の実態調査
「学級経営研究会」(吉田茂・国立教育研究所長)が文部省からの委嘱を受けて「学級がうまく機能しない状況」と判断した全国150学級を分析。その最終報告案が18日までにまとまったという[4/19朝日]。調査方法や視点に興味深い点が多い。固定観念にとらわれず、状況をまずは受けとめる、「困難さ」に丁寧に向き合うといった骨子は行動分析的視点と共通するところがある(4/8の日記参照)。正式な報告書を入手しだい、ゼミの関連グループの中で資料として活用させていただきたいと思う。
- 住民運動と代議制
4/19の朝日新聞オピニオン欄に佐伯啓思・京都大学大学院教授が登場。氏は「民主国家の基本は代議制にある」との視点から直接民主制的な住民投票に懐疑的な主張を展開しておられる。その理由は、「市民は私益に傾きがち」であり、「今日の社会では、市民とはもっぱら『私』の権利や利益を政治的に主張する傾向があり....高度に公共的なことについて最終判断を下すのは、いわばエリートたる政治家の仕事」というところにあるようだ。
確かに政策課題について個別的に住民投票を求めた場合、ちょっとしたレトリックに流されたり、自分たちの負担が増えることはすべて反対という形で決着が図られる恐れはあるだろう。しかし、佐伯氏がエリートと呼んでおられる議員諸氏が本当に公共精神を備えた人たちばかりと言えるかどうかはかなり疑問だ。いわゆる族議員たちは、自分たちの支持母体の権益を如何に確保するかが至上命題。政党間の駆け引きが高度な公共的判断に相当するとも思えない。市民が私益に傾きがちだというならば、選挙の時だって、私益を最大限に確保してくれる政治家を応援するだけではないのか、少なくともオピニオン欄を拝見した限りでは、「民主国家の基本は代議制にある」という御主張はあまり説得力をもっていないように感じた。
住民投票や市民運動が「国家・国益の重要性をないがしろにしかねない」かどうかという問題は、もっと具体的個別的に功罪を検証していくべき問題であって、抽象論・一般論から「こうあるべきだ」論じることには限界があると思う。例えば環境汚染を問題にしている住民運動は代議制への不信から生まれたものである。
- 代議制が産廃問題や環境汚染の防止になぜ有効に機能しなかったのかという事例をもっと検証していく必要があるし、
- 最終決定権を与えるべきかどうかという議論とは別に、住民自身が環境問題の解決について深く考え議論をする機会として住民投票の意義を考える必要がある。
このあたりの検討も大切ではないかと思った。
- クローズアップ現代/たけしの万物創世紀
4/18のNHK「クローズアップ現代」で「脳外傷による後遺障害」の問題を取り上げていた。行動分析の言語訓練の技法をもっとリハビリに活かせそうな気がした。とりあえずgooで関連サイトを検索してみると、
引き続いて見た「たけしの万物創世記」もなかなか面白かった。感想は後日。
|