【ちょっと思ったこと】
- 誘拐事件被害者、またも実名報道
各種報道によれば4/20午後に横浜市保土ヶ谷区で身代金目的で誘拐された男児が5日ぶりに保護され、容疑者が逮捕されたという。この種の事件でいつも疑問に思うことだが、誘拐された男児の実名や通学先、父親の実名や職業まで報道する必要は全くないと思う。日本国内で何が起こっているのかという事実はフィルターをかけずダイレクトに伝えられるべきであろうと思うけれども、Topニュースで大々的に取り上げる意義がどこにあるのか、なぜ実名報道をする必要があるのか、報道機関は考え直してほしいと思う。
事件を大々的に報道することの最大の意義が、同種の事件の再発防止にあるとするならば、その力点は、利用者を特定しにくいプリペイド式携帯電話の問題にあるだろう。この種の携帯電話は昨年末の時点で13万台の利用者があるそうだが、身分確認をしないままに利用できるものもあるという。この背景には、料金徴収に必要のない個人情報の収集を禁止した郵政省のガイドラインがあるというが、このあたりを重点的にとりあげてもらいたいものだ。このほか、男児が連れ去られた時には同級生が一緒に歩いていたというが、父親が警察に連絡するまでに2時間ほどの遅れがあったのは何故か、この種の誘拐防止のために学校がどういう指導をしていたのかということも重要なポイントとなる。いっぽう、容疑者のアパートの隣人や、逮捕された旅館の従業員の談話などは事件の本質にはあまり関係ないように思った。いずれにせよ、無事に保護されたとはいえ、被害者側の実名が報道されることで被害者本人や家族が得をすることは何もない。再発防止のために有用な情報は、仮名のままでも何ら損なわれないと思う。
- 「とても」、「うっとうしい」表す若者言葉
4/24の朝日新聞によれば、専修大学の長瀬治郎教授(社会言語学)は、「とても」を意味する若者言葉が1994年と1997年でどう変化したのかを調べたという。それによれば、94年当時に使われていた40種類の言葉で97年まで存続したのは
バリ、チョー、ゴ(ッ)ツイ、スーパー
の4語、新たにスペシャル、カナリ、ガッパなど16種が登場したという。
いっぽう、「うっとうしい」を意味する「ウザッタイ」と「ウットイ」のうち、ウザッタイは「ウザイ」に比べて劣勢となり、ウットイは関西と中国地方を除いて消えたという。
少なくとも我が家に限っては、妻が時々「チョー○○」という表現を使う程度。「バリ」とかいう言葉は大学内を含めて一度も聞いたことが無かった。「ウザッタイ」とか「ウザイ」という表現はWeb日記の中でたまに見かけるが、「うっとうしい」とは別の意味だと思っていた。
- ノン・リーサル・ウェポン
夕食時にノン・リーサル・ウェポンを取り上げたTV番組(途中からだったので番組名は失念した)を見た。米国の凶悪犯罪現場で、犯人を射殺せずに逮捕する手段として各種のノン・リーサル・ウェポンが開発されているという。中でも低周波を利用して神経活動を麻痺させてしまう武器の威力はスゴイと思った。もっともこれが凶悪犯人の逮捕だけに使われるなら問題ないが、独裁国家における抗議運動の弾圧、政治犯への拷問などに悪用されることになると恐ろしい。このほか、付着すると悪臭を放つという騒乱抑止用のカプセル弾のようなものも紹介されていた。これなどは女性の護身用にも活用できると思った。
- 「精神論ばかりで具体性が無い」という批判の有効性
さいきん見かけた「精神論ばかりで具体性が無い」という批判。事例をあげれば、
- 名古屋の中学で発覚した5000万円恐喝事件の後の入学式で行われた校長の挨拶に対して、新入生の父兄が「綺麗ごとばかり並べているだけで具体性が無い」と批判しておられた。
- 「中央教育審議会の少子化対策の報告書は側面的な対策ばかりで、実社会の現状を反映しているとは思えない」という批判[4/25朝日新聞「声」欄]
このほか、政治家の演説内容に対してもしばしば具体性に欠けるという批判が浴びせられることがある。
この「精神論ばかりで具体性が無い」ことへの批判は、行動分析の出発点にもなっている。『行動分析学入門』(杉山他、産業図書)でも、冒頭の章に
指針:具体的であれ
行動(心理学)の問題を扱う時は
常に特定の行動に焦点をあてよ
という「お題目」が掲げられている。多くの人が抽象的な美辞麗句に惑わされず、具体性の無い主張に批判的な態度で臨むようになるとすれば、これはまことに結構なことだと思う。
|