じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
【思ったこと】 _00430(日)[心理]しごと、余暇、自由、生きがい の関係を考える(1) 5月1日は労働者の祭典、メーデー。ところが連合は4月18日、1921年以来の方針を変更し、来年から4月28日に変更する方針を固めたという【決定ではない】。これは、5月1日の実施すると大型連休がつぶれるという組合員の声を反映したものであるというが、労働者の祭典より余暇を求めるというところに、いま風の労働観が強く表れているように思えてならない。 いっぽう、毎日新聞4月28日記事によれば、3月の完全失業率は4.9%で過去最悪状態。もっともこれは、高校や大学を卒業した若者が貧苦にあえいでいるわけでもない。倒産やリストラに伴う失業ばかりでなく、毎日新聞3月9日記事で指摘されているような「バラサイト・フリーター」も社会問題化しつつあるようだ。 こうした傾向には、近代社会において、働くということが必ずしも生きがいになりえないという背景がある。そこでこの日記でも、連休を利用して、しごと、余暇、自由、生きがいの関係について考えてみようと思う。ここで大いに参考になるのが4月21日の日記で取り上げた 内山節:『自由論---自然と人間のゆらぎの中で』(1998年、岩波書店、ISBN4-00-023328-9) という書物である。内山氏の主張と行動分析学的視点を織り交ぜながら、私なりの考えを述べていきたいと思う。 時間が無いので、本日のところは、余暇論についての内山氏の主張を引用するにとどめる。内山氏は、 余暇とは、漢字のままに表現すれば、余った暇な時間ということになるのであろう。とすれば、余った暇な時間とは何なのであろうか。それは単に労働時間以外の時間ということなのであろうか。[p.145]として、余暇についてのあやふやな捉え方を批判しておられる。そしてその原因として、近代的な賃労働において、工場における労働の基準が時間になったこと、もっと一般的に言えば、現代の経済社会では人々は時間を軸にして物事を考える習慣をみにつけるようになり、仕事の達成感や生活の充実感よりも、時間を重視する時代がはじまったことが、現代における余暇というあやふやな概念をもたらしたと指摘している[p.147-148]。 このあたり、ゴールデンウィークをどう過ごすかを考える上で大いに参考になるかと思う。次回以降に続く。 |
【ちょっと思ったこと】
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【今日の畑仕事】
雨のため何もできず。夜、ナメクジよけの薬をまく。 |
【スクラップブック】
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