じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 夏の名残。ハイビスカスの花が一輪だけ咲いていた。前線が通過し、10/12からは涼しくなってくるという。



10月11日(水)

【ちょっと思ったこと】
【思ったこと】
_01011(水)[心理]しごと、余暇、自由、生きがいの関係を考える(5):TVゲームは何故最高の生きがいとならないか

 本日は、昨日の日記
TVゲーム、特にRPG型のゲームは、この「達成」と「上達」を最も合理的に配置した人工的随伴性空間であると言ってもよいかと思う。そこでは「上達」や「行動リパートリー拡大」は、経験値増加、使える技の拡大・強力化、より強力な武具や防具の入手として具現される。多くの人々がこれに熱中する理由はここにある。
 では、TVゲームばかりに熱中している人は最高の生きがいを得られるのか、もしそうでないとすれば何が不足しているのか.....【後略】
と述べた点について考えてみたいと思う。

 「TVゲームは何故最高の生きがいにならないか」については、それが仮想空間での「達成」にすぎないからという理由がしばしば持ち出されるが、私はこれは当たっていないと思う。なぜなら、学問の世界、例えば数学の定理を証明するというのも仮想空間における達成であると言えないこともないし、小説や芸術の世界も現実に根を下ろしている必要は必ずしもない。天国や地獄も、それを信じない人から見えれば仮想の世界である。

 もちろん、我々は現実に空気を吸い、物を食べたり飲んだりして生きているわけだから、100%仮想空間に埋没するわけにはいかないが、「仮想であるから」をもって「TVゲームは最高の生きがいにはならない」の理由とするには無理があるように思う。

 では、それに代わる理由は何か。私は、昨日述べた「達成」の2番目のタイプが関係しているように思う。2番目のタイプとは、見かけ上は「達成」が好子になっているものの、実際には、「上達」や「行動リパートリー拡大」という形で総称される新たな変化こそがホンモノの好子を与えているケースのこと。確かに、RPG型のゲームでは、「上達」や「行動リパートリー拡大」が合理的に配置されてはいるが、それはそのゲームの中だけでしか通用しない。いっぽう、車の免許取得の場合は、利便性やドライブなど、運転技術の世界以外に行動リパートリーが拡大される。いっけん閉じた空間のように見える数学の世界も、別の理論との整合性、思いがけない一般化、物理世界への応用など、無限に広がる可能性を秘めていると言える。「ゲームの中だけでしか通用しない」という有限性は、飽和化(=飽き)の一因となる。

 あらかじめ敷かれたレールの上でしか動けないという点も、TVゲームの「有限性」を示している。多少の裏技、バグ技はあるものの、基本的にはゲーム制作者が設定したレールの上を進まなければ最終ゴールに到達することができない(その点、「ロマンシング・サガ」のバリエーションはなかなか面白かった)。これは「能動的な行動が結果的に強化される」機会を奪うので、義務感の原因となる。現実世界における「達成」の場合もそうだが、主体性の無い受験勉強が「やりがい」をもたらさないのは同じ理由によるものだ。

 あらかじめ敷かれたレールの上でしか動けないということは、要するに、自分がプレイしても、別の人がプレイしても、達成される内容は同じという意味にもなる。自分は代替可能な一プレイヤーにすぎないということも、「やりがい」に限界を与える一因になっている。これは産業労働における生きがいの喪失にも通じる側面だ。

 ルールが有限であっても、達成のルートにおいて「上達」や「行動リパートリー拡大」に無限の可能性がある場合は、「能動的な行動が結果的に強化される」機会は保障され、やりがい、生きがいが出てくる。古典的なゲームでありながら生涯の趣味として多くの人に楽しまれている囲碁や将棋がそのよい例と言えるだろう。
【スクラップブック】
  • ノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏と女子マラソンで金メダルを受賞した高橋尚子選手の母の滋子さんは、はとこ同士。尚子選手の母方の祖母、いね子さんは教員時代に、当時小学生だった白川さんを教えたことがあった[10/12朝日新聞からの読みとり]。