【思ったこと】 _10104(木)[一般]新年にあたって(3)経済編:消費に依存した景気回復はあるか?
1/4の朝日新聞(大阪本社)に「不況なのに福袋には人の列」という記事があった。「各地のデパートで初売りが始まった3日、多くの店に数千人の行列ができ、数時間で売り切れが続出した」とのこと。「何が入っているのかわくわくする感覚」が共通項だが、ふだんは高い商品がたくさん詰め込まれていることを期待した実利重視の客も多かったという。
この記事にもある通り、初売りで福袋に群がった人たちが多かったというのは事実であろうと思う。しかしその人数が例年なみであったのか、今年は福袋のみが売れる一方でそれ以外の商品の売れ行きは逆に落ちたのか、このあたりは統計が無いのでなんとも言えない。我が家では結局、三が日は一銭も消費しなかったが、そういう家庭が例年より多かったのかどうかも定かではない。
翌5日の新聞によれば、FF金利2年ぶりの引き下げを好感して1/3のNY株価は299.60ドル高の10945.75ドル、ナスダック指数総合指数は過去最大の324.83ポイント高の2616.69ポイントまで値を上げたという。しかしその後に大発会を迎えた東京市場は、日経平均が94.20円安の13691.49円、TOPIXも-2.73の1280.94と下落し、米国の上昇ムードに便乗することはできなかった。昨年後半の下落傾向を見ていると、ナスダックが下落した後では日本の株価も大幅下落する一方、ナスダックが上昇した場合にはそれに見合う上昇がなく、結局、下降局面でのみ連動という傾向が強かったような印象がある。週刊誌の広告には“2001年「株価1万円割れ」こうなる”(週刊現代1月20日号)、“政府がヒタ隠す「株価1万円」「都銀破綻」日本沈没の危機 「貧乏神・宮沢」「バブル戦犯・橋龍」に何ができる!」”(週刊ポスト1月12-19号)などモノ騒ぎな見出しが登場しているが、これだけ悪い条件が整うと、単なる物売り目的のでまかせでもないような気がしてくる。
経済については門外漢でありここから先は全くの個人的想像になってしまうのだが、
- 少なくとも「モノ」レベルで個人消費の増加を期待することは無理。昨年12/17の日記で言及した『「捨てる!」技術』(辰巳渚、宝島新書、2000年、ISBN4-7966-1971-4、\680)はすでに100万部を突破しているという。使えないモノに取り囲まれるよりも、いま活用しているモノだけを有効に配置したシンプルな生活環境を求める傾向が高まっているように思う。
- 昨年9/29の日記にも記したが、目先の利便性や景気回復への貢献度ばかりを優先するような「IT革命論議」では経済は遠からず破綻する。経済の根本は農業や鉱工業などの生産活動にあることをふまえるとともに、情報技術の進展によってどういう人間が作られていくのか、根本的な検討が必要。生身の人間どうしのふれあい、実体への働きかけの機会を減らすような「IT革命」では、経済ばかりでなく社会そのものが滅びてしまうだろう。まず実体験があり、それに伴って情報が生まれ、それを円滑にするために情報技術がある。この関係を主客転倒させてしまってはならない。
- 昨年12/26の日記にも書いたが、ほんらい投資というのは、単なる金儲けではなく、企業の成長に期待し、経営に関与することで一定限度その企業と将来を共有し、社会への間接的な貢献を果たすというぐらいの気概があってもよいはず。しかし、現実の投資の実態は、もっぱらその株価がホンモノかニセモノか、将来どれだけの値上がりが期待されるかということだけに関心が向いてしまい、「投資」ではなく「投機」に近いものになっている。小口の投資家からの要望をもっと取り入れ、株価値上がりによる差益は期待できなくとも投資に見合った株主優待措置を充実させるようにすれば、投資家は自分の生活環境との関わりを重視しながら責任ある投資活動を行うようになり、また結果的に株価安定にもつながると思う。あるいはもっと根本的な改革として、現行のような株式会社とは違った、小口の投資家でも経営に主体的に関与できるような新しいタイプの運営方式を作り出す必要があるかもしれない。
- 昨年11/19の朝日新聞で、長谷川真理子さんが『顕示的消費の経済学』(ロジャー・メイソン著、鈴木信雄ほか訳、名古屋大学出版会)の書評を書いておられた。そこでは「私たちはなぜものを買うのか?それが何かの役に立つからだろうか。それもあるが、それだけではない。.....富の見せびらかし、虚栄心の満足、趣味の品など、直接の効用とは関係のないものに対する欲求は、消費の大きな部分を占めている。」という書き出しで始まっていたが、21世紀には果たしてそういう消費がさらに拡大していくのだろうか。私はむしろ、元旦の日記に記したように、「能動的な働きかけの中にこそ主体性があり、活気があり、個性が潜んでいるのである。それを追求していくためには「手間を省く」発想を捨て、手間をかけることを厭わない姿勢が求められる。」という形で「主体の復権」が叫ばれるようになり、その中で消費についての見直しが行われ、個人の能動的な働きかけのスキルやリパートリーを拡大する機会を与えるようなモノだけが売れていくようになっていくと考えている。
- 正月にちょっとだけ『エコマネー』(加藤敏春、1998年、日本経済新聞社)という本に目を通した。単なる地域通貨の解説書かと思って購入した本であったが、そこには経済や貨幣についてのパラダイムシフトについての壮大な構想が記されており驚く。門外漢の私には充分理解できないところがあるのだが、今後に建設的な見通しを与えている本であるとの印象を受けた。
以上のような視点をもって、専門と関連づけながら経済活動にも目を向けていきたいと考えている。
|