じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
岡大の農学部農場の梅が咲き始めた。近くについている街灯のせいか、品種的なものか分からないが、例年この株がいちばんさきに花をつける。 |
【思ったこと】 _10205(月)[心理]今年の卒論・修論から(2)携帯の着メロは原曲より不快に聞こえるか 昨日の日記の続き。公共の場における携帯電話利用の問題点の1つとして、着信音によって引き起こされる騒音問題がある。今回取り上げる論文は、そういう問題意識のもとに、着メロとその原曲のどちらが情動反応を引き起こすかを実験的に検討したものであった。 最初の実験では、浜崎あゆみ「SEASONS」の原曲サビ部分25秒と、NTTドコモの「着信メロディGIGA」3和音による同じ部分の着メロを被験者に聞かせ、多面的感情状態尺度・短縮版(MMS)と瞬目および呼吸数という生理的指標により情動的な変化を測定した。 原曲に対する好き嫌いが被験者によりマチマチであったため、第二実験では、2000年11月の月間ランキングCDシングルBEST50から10曲を示し、一対比較法によりそれらの曲に対する興味(好き嫌い?)の度合いを調べ、その上で、最も高い興味を示した曲と、いちばん興味を示さなかった曲について、原曲と着メロを提示し、情動的な変化を測定した。 その結果、好きな曲が着メロになった場合には、着メロのほうが否定的感情が生じたが、嫌いな曲が着メロになった場合は有意は差なし。瞬目や呼吸活動と尺度得点の間には有意な相関は無かったという結果が得られた。 「携帯電話の着メロがもたらす迷惑」というホットな話題に注目した点は大いに評価できるのだが、3つほど大きな疑問が残った。 第一は、そもそも「原曲」と「着メロ」の違いは何だろうということ。形式的には分類可能であろうが、細かく分けてみると
次に第二の疑問、これはかなり根本的な問題になるのだが、音楽に対する感情というのは、その場の状況や文脈によってポジティブにもネガティブにも変化するものではないだろうか。例えば、私が大学院生の頃は井上陽水の歌が流行ったものだ。陽水の歌自体は嫌いではなかったけれど、下宿していた家の息子が隣の部屋でギターを弾きながら深夜に大声で歌うのにはうんざりしたものだ。また、私はクラシックはたいがい好きなほうだが、隣の研究室の某教授が時たま廊下まで鳴り響くような音量で音楽を流すことには非常に迷惑している。いずれも、音楽に対する感情は、メロディ自体ではなく、文脈によって規定されることを示していると言ってよいだろう。 もともと着メロを不愉快に感じる人が多いのは、全く聴く気が無い時、あるいは読書に耽っている時に、何の脈絡もなく静穏を妨げられるためであろう。実験室で計画に従って聴かされる音楽とは状況が異なる。 となれば、着信音によって引き起こされる騒音に取り組むという、当初の問題意識を保つためには、特定のメロディがどういう文脈では心地よく、どういう文脈では不快に感じるのかを明らかにしていくべきであった。ところが、瞬目とか呼吸数といった生理指標に囚われてしまったために、結果的に固定された文脈のなかだけで、情動への効果を検討せざるを得なくなってしまった。 そして、案の定、生理的指標は様々な要因に影響されることが示唆された。執筆者は、「アーチファクトに左右されない、安定した生理指標を見つけ出すことが必要であろう。」と結んでいるが、わざわざ電極などをつけて、生理指標探しに明け暮れるのは得策ではないと思う。不快な時に耳たぶの温度が上がろうが、足の裏が熱くなろうがそれ自体はどうでもよいことだ。だいいち、脳波でも筋電図でもそうだが、特定の感情状態に一対一に連動するような生理指標などありっこない。生理指標に影響を与える感情状態を同定することはできても、生理指標から感情状態を把握するという逆方向の推定にどれほどの意味があるだろうか。 行動分析的にみるならば、要するに、着メロは、それを聴こうとする行動が増えれば好子であり、それを避けようと行動するのであれば嫌子になっているだけのこと。いろいろな環境や文脈のもとで、好子となる条件、嫌子となる条件を探っていったほうが生産的な結論が得られるのではないかと思う。 |
【ちょっと思ったこと】
広さ80坪の家はスゴイ 一日前の話題になるが、日曜日に、新聞折り込みチラシにあったオープンハウスを見物してきた。わざわざ見に行こうという気になったのは、土地付きで2000万円台前半という価格ながら、建物面積が約80坪。いま住んでいるアパートが20坪にも満たないことを考えるといったいどんな暮らしができるのだろうと、冷やかし半分で出かけた次第だ。 さっそく中に入ってみると、一階は10畳の和室と32畳のLDK、洗面室も6畳の広さ。二階の3部屋も14畳〜25畳とだだっ広い。二階の一室には卓球台が置いてあった。このほか一階のLDKには1.5坪ほどの地下室があった。 不動産屋さんの説明では、この建物はもともと事務所兼用のモデルハウスとして使用していたもので、建築後3年半ほどになるが生活用に使われたことは無いという。それでなければこういう設計にはなりえなかったと思う。 こういう家で暮らすとどうなるか想像してみたが、個人の部屋というより、図書館閲覧室の片隅に机を置いて勉強をするという感覚になりそうな気がする。あと、冬期の暖房に相当の経費がかかりそうに思った。 余談だが、2/4夕刻、子沢山一家としてTVで何度か紹介された方の家が全焼したというニュースを聞いた。あれって、「十男七女」として知られる三好さんのお宅のことなのだろうか。もし住む家が無ければ、とりあえずここに移り住まれたらよいのではないかとふと思った。勘違いであればごめんなさい。 |