じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
大学事務局近くのヒガンバナ。林の中ということもあって少々早めの開花。 |
【思ったこと】 _10914(金)[教育]21世紀の大学教育(7) 5教科7科目入試で学力低下は改善されるか?(前編) 全国の国立大学で利用する大学入試センター試験の受験科目数が、早ければ2004年度(いまの高1が受験する年)から5教科7科目に増加する可能性が高まったという。国立大学協会が3月末に全国の国立大学に対して行った調査によれば、2004年度から実施すると回答した大学は95大学のうち75大学にのぼり、それ以外もその翌年度あるいは検討中などと回答、いっぽう実施をしないと答えたのは芸術、体育、外国語系など5大学に限られているという。 ここでいう5教科とは、国語、社会、数学、理科、外国語。但し、かつて私より少し前の世代が受験した時のように、社会2科目と理科2科目で合わせて7科目というように画一化されたものではない。国語と外国語は1科目ずつ固定しつつも、例えば、理系では「社会1、数学2、理科2〜3」、文系では「社会2、数学1〜2、理科1〜2」というようにいくつかの類型が許容されており、上記95大学のうち77大学は、こうした類型に分けて実施することを検討しているという。 国立大学がどのような入試を実施するかは各大学の自主性に任されている。しかし、ごく一部の大学だけが科目数を増やしたのでは、そのような大学への志願者が激減し定員割れを起こす恐れも出てくる。やるならば全国一斉に実施しなければならない。国立大学の「調査」というのも、現実には 協会の方針として5教科7科目を決定しているが貴大学はそれを受け入れるか。受け入れないならばその理由を述べよ。という意味にもとれそうな「無言の圧力」を感じさせるものになっている。独立行政法人化や統合の嵐の中で、芸術・体育系など一部の大学を除けば、この方針に逆らう国立大学はまず出てこないものと予想される。 では、なぜこれほどまでに早急に5教科7科目を実施する必要があるのだろうか。その理由は
以上、5教科7科目実施について、現時点で私が知りうることをまとめてみた。大学の方針として正式に決定した場合は敢えてそれに反対するつもりはないが、個人的にはいくつか納得のいかない点がある。 まず、「近年の学生の学力低下」だが、少子化と進学率アップによって、同じ大学に入ってくる学生のレベルが下がったことも大きな原因になっていると思う。このような状況のもとで国立大だけが5教科7科目を実施すれば、国立大離れが進み定員割れを起こす危険もある。「定員割れ→全入」となれば、極端な場合、理科や社会が0点でも入れるわけだから、わざわざ受験勉強する必要はない。学力低下に歯止めをかけることはできないだろう。 昨年出された大学審議会答申「大学入試の改善について」(2000.11.22.)の内容との整合性にも疑問を感じるところがある。この答申の中では「(2)受験生の能力・適性等の多面的な判定(評価尺度の多元化の推進)」という節の中で、 .....大学入試センター試験の成績の資格試験的な取扱い,思考力や表現力等の評価に力点を置いた個別試験の改善,アドミッション・オフィス入試等の丁寧な選抜等を推進することが重要である。という資格試験化の方向が打ち出され、また「学力検査による成績順位に基づく選抜が最も公平であるという観念」という節では、 .....学力検査による成績順位に基づく選抜では見いだし難い者の中にも,大学が求める学生が埋もれているかもしれないという認識に立ち,受験生の多様な能力・適性等や入学後の教育で伸びる可能性などに十分留意し,評価尺度の多元化を一層推進する必要がある。として、評価尺度の多元化がうたわれているのであるが、今回の5教科7科目実施が、その総合得点によって1点刻みの順位づけをした上で合否判定をするということを求めているのであれば、答申とは異なる方向に向かっているように思われてならない。 今年の7月3日に、国大協第2常置委員会委員長から全国の国立大学長に宛てられた文書によれば、「5教科7科目」提言は、 高校教育で目標としている基礎的な学力を国立大学入学者のすべての者に備えて欲しいとの趣旨から提案されたものである。という。それならば、総合点を一点刻みで順位づけするのではなく、このさい資格試験に変更し、その上で、大学入学者にとって真に必要な基礎学力とは何なのかをもういちど問い直してみる必要があるのではないかと思う。次回に続く。 |