じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
烏ヶ山(からすがせん)中腹のススキの原っぱ。 |
【思ったこと】 _11021(日)[社会]新聞全面広告に見る「狂牛病大丈夫宣言」 このところ狂牛病(BSE)関連の全面広告が立て続けに出されている。米国食肉輸出連合会(USMEF)の広告[10/15の日記参照]に続き、私の目にとまった広告のその主張点は以下の通り。
もっとも、上記の日本食肉消費総合センターの広告は、不安解消という点では必ずしも説得力を与えていない面がある。3.の感染部位については、背割り法などの処理過程での感染のおそれを払拭しない限り説得力を持たないし、加工品に混入している恐れもある。5.の「人の発症率は年間500万人に1人」というようにいくら確率の低さを強調してもゼロでないデータは安心には繋がらない。今後は安全と言っても、すでに流通している牛肉の安全性は保証されないことになってしまう。安全性をアピールするには、1つのフレーズがあれば十分。有利なデータをあれやこれやと並べ立てると却って逆効果になるように思う。 ところで今回の騒ぎには、何でもかんでも「安全か危険か」という二者択一でひとくくりに考えようとする悪い思考習慣が影響を与えているように思う。仮に、日本のある地域で立て続けに狂牛病が発生したとしても、それをもって ●国産牛はすべて危険 というような主張をすることはできないのである。まずは感染の原因を究明した上で、感染が肉骨粉によるとするならば同じ飼料を食べていた牛だけを隔離すれば済むこと。地域性の強いものならば、発生した地域だけを出荷停止にすればよいはず。日本だってそんなに狭い国ではないのだから、北海道から沖縄に至る全ての地域の牛をひとくくりに考える必要は無い。 ●国産牛肉と、米国やオーストラリアの牛肉のどちらが安全か などという論の立て方も、国の制度の違いだけが安全性の唯一の基準であるような印象を与えてしまうおかしな議論である。安全性問題についても、もっと、国内外の多様性に目を向けるべきであろうと思う。 [※追記]10/22の朝日新聞にさらにもう1件の全面広告が掲載された。 JA全農
上にも述べたように、国産牛が安全であるということをアピールするには、誰もが納得するようなクリアな根拠を1つ示せばそれで済む。あれもこれもと、自説に有利な事実をゴタゴタと並べるとかえって言い訳がましく聞こえる。個人的には、屠殺から解体、食肉製造に至るプロセスで、危険部位との接触による汚染があり得ないという1点だけが保証されればそれでスッキリするように思う。フグ料理を安心して食べるのも、危険部位の分離がきっちり行われていることへの信頼があるからではないか。 |
【ちょっと思ったこと】
ラジオ2題 この土日は、車を運転しながらラジオを聞く機会が多かった。 土曜の夕刻には、タライについての思い出を語る番組があった。かつて、たらいは、洗濯や行水など日常生活には無くてはならない用品であり、嫁入りの時に大小2つのたらいを持たせた地域もあったという。私自身も、たらいで行水をした記憶がかすかに残っている。 そんな、たらいが姿を消したのは電気洗濯機の登場と大きく関わっているという(「三種の神器」の中でも、娯楽品のテレビ、もともとは食品保存目的はなく冷やすためだけに存在した冷蔵庫に比べると、女性の家事労働の軽減に最も貢献したのが洗濯機であったという)。 もう1つ、日曜日の昼過ぎに、NHK第二で、風景の主観性と客観性について論じている放送があった。あとで調べたところでは、どうやら、 東京工業大学教授の桑子敏雄先生による、「新しい哲学への冒険」という講座の一部だったようだ。聞き取った範囲では、風景についての主観性と客観性を議論することには無理があり、これに代わって「配置」、「履歴」、「感性」が大切という内容であったと思う。もっとも、行動分析的に見れば、主観や客観などという対立軸はそもそもがナンセンス。客観的風景とは事物の客観的配置であり、その事物が条件刺激として条件反応を誘発する力、あるいはその事物が個体のオペラント反応を強化する力についての個体差が主観的風景を形作るのは当然のことである。 |