じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
梅の花(手前)から桃の花(後ろ)へバトンタッチ。 |
【思ったこと】 _20310(日)[心理]第11回エコマネー・トーク(7)マネーは、物と交換した瞬間に交流を終結させる 今回のトークの会場でも少しばかり話題になったのだが、「エコマネー」という概念と「地域通貨」は区別されずに使われることが多い。今回事例報告された「どんぐり倶楽部の実験」(福田順子・城西国際大学経営情報学部福祉環境情報学科・教授)においても
「地域に限定して通用する通貨」という点でエコマネーが地域通貨の一種であることは間違いないが、決して同一ではない。この点に関して加藤氏の『エコマネーの新世紀“進化”する21世紀の経済と社会』(2001年、勁草書房、160〜161頁)は 現在地域通貨への関心が高まっているが、単純な地域通貨の"輸入"論は危険である。それぞれの地域通貨はそれなりの目的を有しているからである。大まかにいえば、LETS【長谷川注:Local Exchange Trading Ssystem、地域交換取引制度】は経済的不況、低所得者対策、タイムダラーは少数民族(マイノリティ)、コミュニティ対策として登場している。その対比でいえば、エコマネーは、少子高齢化社会の到来、環境問題の解決などの課題を解決し日本のコミュニティ再生をめざすことを目的としている。目的や趣旨においては、イタリア「時間銀行」に近い。NPOがめざす「共」構築の通貨ともいえる。と述べている。 加藤氏によれば、エコマネーを他の通貨と区別しているのは、「ボランティア経済か貨幣経済か」、「信頼関係か債権債務関係か」という2軸である。地域通貨そのものはずっと以前から各種提唱されているが、加藤氏のオリジナリティは、「ボランティア経済+信頼関係」のエリアに、新たな概念として「エコマネー」を提唱した点にあると言えよう。 加藤氏も述べているように多様な地域通貨は互いに対立するものではなく、むしろ連携していくものであるが、それぞれの本質的な違いを十分に理解し、一緒くたに論じないように心がけることはぜひとも必要であると思う。 「ボランティア経済+信頼関係」については、加藤氏の『エコマネーの世界が始まる』(2000年、講談社、50〜67頁)等に詳しく書かれているのでこれ以上触れない。ここでは、「エコマネーは物と交換できるか」について私の考えを述べてみたいと思う。ここでいう物とは、例えば不要となった電気製品や家具や衣類など、あるいは家庭菜園で作られた野菜、ホームメードのクッキーなどのことを言う。 当初私は、貨幣経済に与しないものであれば(つまり、商品的価値が無いものであれば)、エコマネーの交換対象になりうるのではないかと考えていた。しかし、今回のような、サービスを主体とした交流では、それらは不適である。なぜなら、 マネーは、物と交換した瞬間に交流を終結させる という性質に気づいたからである。例えば3/4の日記に示した「三者以上の互助関係」の図をご覧いただきたい。エコマネーに基づく交流は、メンバーが互助を必要とする限り無限に循環されるだろう。しかし、ここで、例えばAさんがBさんに不要となった冷蔵庫を譲り、代わりにエコマネーを受け取った場合はどうだろうか。BさんがAさんから受けたのはもはやサービスではない。その瞬間、BさんはAさんではなく冷蔵庫から「サービスを受ける」ことになるのだ。 実は、日頃、「お礼の品」として贈られる菓子折にも似たような意味がある。菓子折を渡すということは、自分の受けたサービスの代価を「支払う」という意味と同時に、 ●今後、私のほうから貴方様にはサービスいたしません。 という交流の打ち切りの意思表示であるとも言える。仮に菓子折を贈らない場合は、近々、相手方から別のサービスを受けることになるはずだ。 では菓子折ではなくエコマネーを支払うということはどういうことか。それは ●これからもサービスを提供しましょう という意味であるが、必ずしも、相手方からのサービスではなくコミュニティの誰かからのサービスという点で、特定の2者関係に限定されるものではない。エコマネーの効用は、このように、2者間の交流の頻度ばかりでなく3者以上の多様な繋がりを形成するところにあると言えるだろう。 以上、エコマネーは「モノではなくコトを交換する」ことが基本になるかと思う。但し、モノであっても、サービスの結果として完成されたモノであれば交換の対象になると思う。例えば、小学生がおじいさん、おばあさんのために絵を描く(←結果として作品を贈る)、屋根瓦の補修をする(←結果として屋根ができる)、空き地に花壇を作る(←結果として花壇ができる)、などは結果としてはモノとの交換になっても、サービスが含まれているので、交流の終結には至らないと思う。 |