じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
モンキアゲハ(メス)。道路脇の下水路で何かを吸っていた。温暖化で北上中のナガサキアゲハだったらスゴイと思って10枚ほど撮影したのだが、あとで図鑑で調べたところ、羽根の付け根上部にオレンジの斑点が無い、尾状突起がある(別の写真ではっきり写っている)などの特徴から、モンキアゲハであると判明。近くにキンカンが植えられており、この近辺で繁殖したものと推測される。
なお99年10月10日の日記にナガサキアゲハの写真を掲載しているが(右側に同じものを再掲)、あれは花苗と一緒に持ち込まれた可能性があり、岡山市内での繁殖の証拠になるかどうかは分からない。 |
【思ったこと】 _20514(火)[一般]南極観測船「宗谷」のおもひで みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、1978年5月14日は「宗谷」が引退した日であるという。番組によれば、「宗谷」は1935年にロシアからの発注により貨物船として長崎で製造。ボロチャイベッツ(←聞き取りのため不確か)と命名されるはずであったが、社会情勢の変化により軍事目的への転用を恐れたその筋から引き渡しにストップがかけられ「宗谷」と命名された。なお、ネットで調べたところ、「宗谷」という艦船はこれが二代目。こちらによれば、一代目は、日本との海戦で自沈したロシア海軍太平洋艦隊所属の防護巡洋艦「ワリヤーグ」を引き揚げ修理した後、戦利艦として日本海軍に編入された防護巡洋艦であった。 (二代目)宗谷は、その後、海軍特務艦として第二次大戦に参加。砕氷船のため通常鑑より大きく波をたてることが、攻撃者による船の速度推定を誤らせ、なかなか魚雷が命中しなかった。また、一度、命中した時は、たまたま魚雷自体が不発のため被害を受けないという運の良い船であった。 戦後は引き揚げ船、灯台補給船として活躍した後、1955年に南極観測船として再出発、1956年に第一回の調査に出航した。第6次の観測後は「ふじ」に交代、「宗谷」のほうは、その後退役するまで海上保安庁の巡視船として活躍し、1979年5月から船の科学館前に係留され永久保存展示されている。 「宗谷」と言えば、ソ連(当時)のオビ号による救出エピソードや、樺太犬『タロ、ジロ』の物語で知られているが、ちょうど私自身が幼稚園〜小学校の頃の出来事でもあり、南極は、宇宙や深海、ジャングルなどとともに冒険心をかき立てる世界の1つになっていた。 そういえば、一度、「宗谷」の出航の様子を見物に行ったことがあったはずだとアルバムをめくってみたところ、あったあった。左上は、1958年11月10日の、出航前の写真。よく見ると、写真の左端には、当時の高級車(いまなら「クラシックカー」)や軽三輪もとまっている。私自身が写っているのは、右下の写真だ。ちなみにこの時の出航は、タロ・ジロの発見につながる第三次であったようだ。 「宗谷」による南極観測には、当時の新興企業も英知を結集して協力した。こちらには、南極で使えるバッテリーを無償で提供した東京通信工業所(現SONY)、オイルの凍らない風力発電機を開発してお金は受け取らなかったという本田宗一郎(HONDA)、日本伝統の木組みによる断熱の組み立て式住宅を作り上げた竹中工務店など1000社の協力があったと記されている。これぞ、いまの起業家が学ぶべき昭和30年代のベンチャー精神だ。 それにしても、これほど長い年月にわたり、しかもいろいろな用途で使われた船というのは、そうザラにあるものではない。次回ベイエリアを訪れることがあったら、ぜひ、宗谷の前で記念写真を撮りたいものである。 余談だが、「宗谷」、「観測」などのキーワードを入れて検索をかけたところ、けっこう有名なサイトで漢字の変換ミス?があることを発見。「南客観速戦」というミスは、普通の連文節変換ではありえない。いったいどうやって入力?
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