じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 講義棟前の新鉄砲百合。もともと種から育てたものであるが、その後植えっぱなしの状態で毎年、2m以上に伸び、花を咲かせている。





7月11日(木)

【ちょっと思ったこと】
「大相撲」は「小相撲」に改称すべき?

 某Web日記のなぞなぞによれば、おすもうは雄牛が好きなスポーツだそうだが、その大相撲名古屋場所が7日から始まった。私自身は、今場所はまだ一度も中継を観ていないが、たまたま新聞の星取表を見てびっくりした。
  • 横綱貴乃花:初日から休場
  • 大関魁皇:4日目から休場
  • 大関栃東:関節部の剥離骨折で全治2カ月のため5日目から休場
  • 大関武双山:初日から休場
  • 前頭2枚目出島:右太もも肉離れで全治3カ月のため5日目から休場
  • 十両以上の休場は11人
 何はともあれ、横綱・大関6力士のうち4力士が休場とはあまりにもヒドイ。今場所に限っては「大相撲」の看板を下ろし「小相撲」とするか、「大相撲休場場所」とでも改称しないと誇大広告と言われかねない事態だ。

 怪我は、ヘタをするとその力士の力士生命を奪いかねないし、応援する側をも失望させる。私が子供の頃は、精進を重ねた力士が出世し優勝を勝ち取ることが努力の象徴にもなっていた。そういう努力が偶発的な怪我によって一瞬のうちに否定されるというのは、たいへん残念なことである。

 それにしてもなぜこんなに怪我が多いのだろうか。原因の1つには、やはり、力士の大型化や重量化があるのではないかと思う。正確な数値は分からないが、私が子供の頃の栃若時代に比べると、身長で10cm、体重で50kg近く、平均的に大型化・重量化しているのではないかと思う。しかし、骨や筋肉はそれに見合うだけ堅固にはなっていない。いくら稽古を積んでも、力学的な境界値を超える力が加われば骨折や肉離れを起こすのは当然であろう。

 ではどうすればよいのか。最も効果的なのは、体重制限を設けるということだろう。

 これまで大相撲は、体の小さい力士の入門を制限してきたが、これからは、体が大きすぎる力士(例えば体重150kg以上)の出場を停止するようにする。これによって、怪我の原因を減らすことになるほか、健康に害を与えるような過食を防止し、さらに、力より技を見せることで相撲を面白くすることができる。このほか土俵の周囲はスポンジで固めるといった緊急の対応も必要ではないか。

 とにかく今のうちに何か対応しておかないと人気のほうでも「小相撲」になり、興行的にも危なくなるのではないだろうか。

[※7/12追記]お節介だとは思いつつ、上記の意見を日本相撲協会のご意見箱に転送させていただいた。
【思ったこと】
_20711(木)[心理]英語教育と日本語文法を疑う(3)自虐英語である限り、会話などできるはずがない

 7/12朝のNHKニュースによれば、文部科学省は、「中学・高校を卒業したら英会話ができるようになる」ことを目ざした英語教育改革方針をとりまとめ概算要求を行うことになったという。「読み書きはできても英語が話せない」という現行の英語教育を改めるというのがキャッチフレーズ。聞き取りのため不確かであるが、その骨子は
  • すべての英語教員に英語検定(英検準一級、TOEFL550点以上)を義務づけ。そのための研修費用の予算を確保。
  • 外国人教員1000人増員のための予算確保。
  • 平成18年度からセンター試験英語でリスニングテストを課す。
ということのようだ。

 英語教育の質を高めること自体は大いに賛成だが、この程度のことで、中学・高校を卒業したら英会話がペラペラになれるとは到底思えない。というか、「英語が話せる」とは具体的に何を意味するのか、明確にしておく必要がある。

 この連載の1回目で

●『アジアをつなぐ英語〜英語の新しい国際的役割』(アルク、1999年)

という本名信行・青山学院大学国際政治経済学部教授の著書を引用させていただいたように、現行の英語教育の最大の問題点は、学習者にネイティブ並みの英語能力の獲得を求めている点、さらに、ネイティブ文化の学習同化も重要視している点にある。
.....そして、この目標の達成が不可能なので、いつまでたっても英語に自信がなく、それを積極的に使用しようとする意欲がわかない。ネイティブと同じように話せないと、ちゃんとした英語ではないと思ってしまうのである。
そして、その結果として
  1. 学習者は無力感と劣等感に悩み、英語運用に消極的になる。
  2. ニホン英語でも国際的場面で十分に活躍さきる事実を過小評価する。
  3. 他国のノンネイティブの英語変種に違和感をもち、差別的態度を生む。
 今回の改革で目ざすところの「英会話」なるものが、ネイティブスピーカーと同じ発音やイディオムを使うこと、あるいは、早口で発音が崩れたような英語の聞き取りを可能にすることにあるなら、これはもう、国際語としての英語コミュニケーション力とは言えない。ネイティブスピーカーに不自由させないように家来として仕える(←「使える」ではないぞ!)ための自虐的英語教育と言わざるを得ない。




 こうした自虐英語にならないために、私はかつて、日本型英語なるものを提唱したことがあった。その後鈴木孝夫氏が、専門的立場から

●『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書、1999年)

●『英語はいらない』(PHP新書、2001年)

といった著作の中で、日本式英語あるいはイングリックを提唱されていることを知った。『英語はいらない』の第五章では、具体的に
  • 「英語らしきもの」でいけ
  • 三単現のsもいらない
  • イデイオムは使わない
  • 難しい英単語【←多義でないため】の方が易しい
  • 英米人にとっても外国語にする
といった提案がなされており、大いに納得できるものであった。

 もっとも、

●『「英文法」を疑う ゼロから考える単語のしくみ』(松井力也、講談社現代新書、1999年)
●『にっぽん再鎖国論』(岩谷宏、ロッキング・オン社、1982年)

さらに、前回御紹介した

●『日本語に主語はいらない〜百年の誤謬を正す』(金谷武洋、講談社選書メチエ、2002年)

などを拝読すると、日本人が英語を苦手とするのは決して、冠詞、不規則動詞、イディオムなどがあるからではない。もっと根本的に
  • 「モノ」ではなく「コト」として捉える認識
  • 日本語は、「SOV」なんかじゃない。そもそも主語という概念が不要。
  • 自動詞/他動詞概念や、能動態/受動態概念は、日本語では根本的に異なっている
といったことが分かってきた。そういう根源的な違いをちゃんと教えない限り、英会話などちゃんとできるようにはならない、と私は断言したい。また、そのことからの帰結として、日本語を正しく理解していない英語ネイティブスピーカーは、日本人に英語を適切に教えることはできないとも断言しておきたい。




 それから、これも過去のWeb日記で取り上げたことだが、
日本人は英語の読み書きはできるが、英会話はできない。
という認識はゼッタイに間違っている。「英会話ができない」という部分は正しいが、「読み書きができる」などとは到底言えない。これは、私自身が英書講読を担当したり、論文の英語要約で苦労する時に実感することである。

 10年ほど前になるが、実は私自身、申込者の妻の代わりに翻訳の通信添削を受けていたことがあったのだが、ちょっとした英語でも正確に訳すというのは実に難しいことだ。スキナーの英語などは大学の先生でもしょっちゅう誤訳するが、これは内容が専門的であるためではない)。日本人にとって必要なことは、まず第一に、英語を正確に読めることである。リスニングや会話訓練に時間を費やすことで、英語の読解学習がおろそかになるようでは本末転倒、そんなことでは日本はホンマに滅びてしまうぞ。

余談だが、同じ7/12朝のNHKニュースによれば、アメリカの借金は6兆1千億ドルに達しているという。アメリカを敵にまわすことはとうていできないが、いつまでも米国依存ではやっていけない。やはり「アジア英語」とは何かを理解することが大切だ。

 それと、好むと好まざるとにかかわらず、中国はいずれアメリカと肩を並べるまでの経済大国になるだろう。中国人と日本人がなんで英語で会話しなければならないのか。漢字を紙に書きながら、日本人は漢文で、中国人は「中国式日本語」でしゃべればそれでよいではないか。そのためにも、日本語をきっちり学びたいというアジア諸国の学生のために、日本語教育施設を充実させる方策が望まれる。