じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
NHKのTV50周年記念番組のなかで「ひょっこりひょうたん島」の新作を観た。そうそう、昔とちっとも雰囲気が変わっていないなあ。
ところで、ひょうたん島に似た形の山は、しまなみ海道など、世界各地にあるようだ。私が「これだ!」と思ったのが左の写真。所在地情報は、こちら。 |
【ちょっと思ったこと】
1つの事故が与える影響 スペースシャトル・コロンビアが日本時間の2/1午後11時頃、着陸直前に空中分解し、破片となって落下したという。今の時点では左の翼に異状があったということ以外には何も分からないが、こういうニュースを聞くと、宇宙飛行がいかに危険なミッションであるかということを改めて思い知らされる。 この事故は国際的な宇宙開発事業や日本人飛行士のミッションにも影響を与えるばかりでなく、国民感情の変化、これによるイラクや北朝鮮への対応、ひょっとしたらNHKの朝ドラ「まんてん」に至るまで、というように、いろいろな形で影響を及ぼしていくだろう。歴史というのは、しばしば、こういう偶発的な要因に大きく左右される。 NHKのTV50周年企画 16時間半の生放送ということだったが、そんなに付き合ってはいられないので、ビデオで録画し、別のビデオで早まわしをしながら視たいところだけを視た。↑にも述べたが、「ひょうたん島」の新作はなかなかよかった。 もっとも、今回の企画はその性質上、40歳代以上でないとあまり楽しめなかったのではないかと思う。昔の番組をもう一度視たいと思うのは、その番組自体の懐かしさではなく、むしろ、それを視た頃の自分の生活が思い出されるからである。 見方によっては単なる「NHKの同窓会」と言えないこともないが、ま、一日くらいは、中高年とNHKのOBたちがはしゃぐ日があってもよいのではないかと思った。 プロ野球選手のチームマークつき紹介の謎 NHKのスポーツコーナーで、松井選手が国内で最後の練習をしている場面を紹介していた。不思議に思ったのは、松井選手の名前の前に、NYヤンキースのマークが付けられていたこと。大リーグとの協約かと思ったら、日本のプロ野球選手のキャンプ風景でも同じように、巨人や阪神のマークがつけられていた。 スポーツ番組は殆ど視ないのでいつからこうなったのかは分からないが、なぜ、チーム名ではなくマークを付けて紹介するのだろうか。あるいは、ヤクルトなどの商品名や特定企業名を画面に出すまいとするNHKならではの配慮だろうか。 |
【思ったこと】 _30201(土)[心理]トンデモ世界のリテラシー(1)「論理的思考」は役立つか だいぶ昔に某N大学から、統計誤用などをテーマに話をしてほしいという依頼があり、こちらもその方にお世話になっていることもあって二つ返事で引き受けてしまった。その講演がいよいよ2月4日に行われることになったのだが、先方の授業との関連もあって、だんだん内容が大袈裟になり、とうとう「論理的思考講座:トンデモ世界のリテラシー」というタイトルが冠せられることになってしまった。おまけに、ネット中継まであるという。しかし、 ......世の中を論理的にとらえる方法について講演していただくことになりました。タイトルにあるように、血液型性格判断やマイナスイオン信仰などの素朴な思いこみから、卒論/修論にみられる統計の誤用まで幅広いトピックを取り上げ、世の中を論理的に捉えるとはどういうことか、どうすれば論理的な思考ができるのかを講演していただきます。というように紹介されても、わずか90分の講演でそんな盛りだくさんの話ができるワケがない。こりゃ困ったことになった。いっそのこと、90分間一言も喋らずに瞑想し、「これぞ真の論理的思考です」でごまかすかなあ。しかし、謝金も出るだろうし、ヘタをすると、長谷川はトンデモ人間だと集中攻撃を浴びせられるにちがいない。弱った弱った。 そこでとりあえず、「論理的思考」で検索をかけてみたところこちらがトップに挙げられていた。Topを辿ると、どうやらこちらの本の著者のお方のようだった。「...読理解、誤解なし!仕事の効率がぐんぐん上がる!!1発でできるSUPERラーニング 1発でできるSUPERラーニング...」って、タイトルだけ見ると何だかトンデモ本みたい。いや、それは冗談冗談。 日頃から論理的思考の重要性を説いておられる方らしい。 しかし、ココに挙げられている「論理的思考能力が高まることによるメリット」:
論理的思考は、少なくとも、フィーリングだけの軽はずみな判断や感情論によるこだわりを抑える力があるかもしれないが、「人を説得することが容易になったり、どうどう巡りの議論に終止符を打てるようになる」かどうかは、はなはだ心許ない。 まず、上記3.だが、私はいつも妻を論理的に説得しているが、妻はちっとも要望通りに動いてくれない。 それよりももっと問題なのは、5.だろう。「戦争の論理」を考えてみればいい。論理的思考力を高めるだけで議論に終止符が打てるならば、そもそも戦争は起こらない。不幸にして起こった場合でも、どちらが正しいのかは論理的には判断しがたい。けっきょくは勝者の論理が正当化されるだけのことだ。 5.に関しては、もっと身近な大学改革の議論に関して「論理をたたかわせることの空しさ」を感じることがある。大学の教員は人並み以上に論理的なはずだ。そういう人たちが集まって議論をするのだから、もっと簡単に合意がはかれるはずだ。ところが実際には、ポストのような具体的な話になればなるほどちっともまとまらない。 要するに、論理論理と言ったって純粋数学の世界ではない。前提条件や要請(ニーズ)が異なれば、議論を重ねても決して合意には至れないのである。大学改革について言えば、「改組にあたっては平等に痛みを共有し、過去の取り決めを忠実に守って、合意の形成をはかるべきだ」という主張と「この大学の社会的使命と地域的なニーズについて十分な議論を重ね、それにあった教育・研究組織を大胆に再構築すべきだ」という主張は、ますます相容れないものとなっている。前者の論理は、構成員の内側の世界で通用する「正義」である。ところがそれを押し通すと、改革の主人公は誰なのかという観点が欠落し、もっぱら自己都合の摺り合わせだけで合意形成をはかることになってしまう。後者の主張をつらぬくためには、外部からの意見を反映させる仕組みを作ることがどうしても必要になっているのだ。 少々脱線したが、要するに、閉じたシステムの中や固定された前提のもとで論理的な思考を発揮しても物事は解決しない。むしろ、前提それ自体を含めて、いろいろな角度からの違った見方ができる力を養うことのほうが大切ではないかと思う。これに必要なのは、情報リテラシーとか、クリティカルシンキングといった考え方である。といっても、90分の中でとても話しきれるわけがない。そこで、..... 時間が無くなったので次回に続く。 |