じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[写真] ミモザ。昨年春に植えた苗が蕾をつけている。もうすぐ開花。


2月15日(土)

【ちょっと思ったこと】

関わりを避けたがるだけか

 米国のイラク攻撃に反対するデモがヨーロッパ各地で広がり、2/16朝の各種報道によれば、その参加者の数は英国で75万人、ドイツで50万人、フランスで20万人規模の達したという。ところが、日本では、このような大規模な反戦行動はいっこうに行われる気配がない。その違いは一体どこにあるのだろうか

 1つ考えられるのは、鈴木孝夫氏や和田秀樹氏が指摘されているような、敗戦後50年以上にわたって続いている日本とアメリカの特殊な関係である。ここでは和田氏の『こころが変われば景気がよくなる』(1999年、朝日出版社)から部分引用させていただくと、
p.136〜p.137
もう一つ、日米関係をトラウマという文脈で考える際に役立つ概念に、サレンダー(降伏)という心理状態がある。ハーバード大学の精神科の準教授で、アメリカにおけるトラウマ理論の権威であるジュディス・ハーマンによると、児童虐待も徹底的に行うと、被害者は虐待者に抵抗したり、恨んだりするどころか、むしろ加害者を喜ばせるためには何でもするようになるという。これをハーマンはサレンダー状態と呼んだのだ。いじめられていたとしても、大人たちの前では完壁な仲良しを演じて見せるし、時には加害者の手先を務める。まさに日米関係はこの状態にあるのかもしれない。アメリカが、自動車の輸出では自由化を認めないのに、金融市場では自由化をしないと許さないと言われても、むしろ日本の構造改革のためにありがたい提言を受けたと喜んで引き受ける。世界中に非難されるような空爆をアメリカが行っても、まずアメリカの代理人のような手先役を喜んで務める。沖縄の少女がアメリカ軍に暴行を受けても、県知事がアメリカを怒らせたことを気にして、アメリカに抗議する代わりに沖縄への補助金を打ち切ってしまう。円安でアメリカの輸出産業が大打撃を受けていると言うのに、為替市場への協調介入は日本のほうが頭を下げて行う。まさにサレンダー状態そのものだ。虐待の心の後遺症のためにサレンダー状態が起こるとすれば、それだけ虐待の程度がひどかったことを意味する。確かに人類未曾有の無差別大量殺戮を原爆投下という形で受けたのだから、どんな虐待よりひどい仕打ちを受けたと考えてよいだろう。
............【中略】.................  いずれにせよ、このサレンダー状態においては知的、理性的判断は下せないというのは確かで、日本とアメリカの相互関係の心理学的な難しさはここにあると言えるのだ。
 もっとも、この「トラウマ」説には若干の疑問がある。私が高校〜大学生だった1960年代後半から1970年代前半には、日本でも数十万人規模のデモが行われていた。また、その後も、橋本内閣・太田知事の時代に、沖縄では少女暴行に抗議する大規模な集会が行われた。何か事がおこれば、日本人だってそれなりに立ち上がるパワーは持っているように思われる。

 では、なぜいま日本ではそれほど大きな反戦行動が起こらないのか? ここで念のため言っておくが、ヨーロッパ各地の反戦デモは決してフセイン政権やテロ組織を支持するデモではない。みずから戦争を仕掛けるのはやめろ、平和的な解決の努力を最後まで尽くせといういう行動であると理解している。

 こういう大規模な行動が日本で起こらない一番の理由は、「アメリカがやりたいならどうぞご自由に。自分には関係の無いことだ」、と関わりを避けようとしているためではないかと思われる。もちろん、その背景には「自分の身に降りかかるのは絶対ごめんだ」という強い個人主義がある。イラク攻撃があった場合に一番影響を受けるのはおそらく石油の価格であろうが、これも、イラクに親米的な政権ができたほうが長期的にはお得という打算が働いているかもしれない。

 もっとも世の中、そんなにのんびりしている状況ではない。現に存在する拉致問題や工作船問題など、他国の工作員によって平和な日常生活を送っていた日本人が拉致され殺されるという重大な被害を受けているのである。ミサイルの射程距離がアメリカ西岸に届くかどうかが大きなニュースとして取り上げられていると聞くが、それをいうならすでに、日本全土は他国のミサイルの脅威にさらされている。

 戦後50年、日米安保によって日本の安全が守られてきたメリットは確かにあった。しかし。、そのことをもって今後50年も同じように安全であるという保障はない。第一、これまでの日本の安全は、アメリカの利益を損ねない範囲で守られてきたとも言える。アメリカが東アジアでの影響力を維持するために「北朝鮮の脅威」を利用しようとする限りは、アメリカに直接関わりのない拉致や工作船や日本を射程とするミサイルや、そのほか北方領土などの解決は、今後もずっと先送りされていくだろう。

 この問題に対して主体的に対処できるのか、それとも相変わらずアメリカの顔色をうかがいながら、のらりくらりと問題を先延ばししていくのか、.....といいつつ、私も、関わりを避けている一員には違いないんだが....。
【思ったこと】
_30215(土)[心理]日本健康支援学会(1)QOLとは何だ?

 福岡市・九州大学国際研究交流プラザで開催されている表記の学術集会に参加した。この学会のことは、つい最近、ネット上で「QOL」関係の資料を集めている時に偶然知っただけであり、私自身は会員ではない。会場で購入した機関誌によれば、顧問には岡大医学部の先生や、私自身も教えを受けたことのある社会心理学の権威が名を連ねているが、どうやら、九州大学の保健学部や保健科学センターのスタッフが中心となって創設した比較的歴史の新しい学会のようだ。

 集会1日目の午後には、東京学芸大学の朝倉隆司氏による

●QOLの概念と評価

という特別講演が行われた。QOL(Quality Of Life)という言葉は、高齢者福祉や医療の現場では当たり前のように使われているが、実際にはかなり曖昧。今回の講演でも、むしろその曖昧さを広く指摘することで、多面的な視点が提供されたように感じた、

 朝倉氏はまず、QOLが西洋文化圏、とりわけアメリカ社会の中から出てきた言葉であること、QOLは医療の枠を越えた概念であることを強調された。続いて、1940年以降、アメリカにおいてQOL概念、あるいはその用いられ方がどう変遷していったのかを説明された。備忘録代わりにメモしておくと、
  • 1940〜1950年代:機能評価の時代。WHOの「健康」の定義。これにより、がんの緩和治療やリウマチの治療価値が認められる。
  • 1960年代:社会指標の時代。貧困という社会的な病。心身二元論からSubjective Well-being概念へ。
  • 1970年代:ヘルスケアのコスト抑制の時代。大きな政府から小さな政府への転換。SingleからMulti-item Scaleへ
  • 1980年代:実用的な短縮尺度の時代。患者ベースの健康調査。
  • 1980〜1990年代:心理測定としての有効性の時代。Spiritualityや人生の意味などへの注目。包括的なQOLスケール。
こうして見ると、学術的な発展とは別に、時の経済発展や大統領の政策に対応して、QOLの利用のされ方が大きく変わっていることが分かる。時間が無くなったのでこの続きは次回に。