じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _40221(土)[心理]批判的思考の認知的基盤と実践ワークショップ(6)疑似科学をめぐる懐疑的思考と批判的思考 あっというまに二週間が過ぎてしまったが、2月8日(日)に京大で行われた表記ワークショップの感想の続き。 6番目、菊池氏による「疑似科学をめぐる懐疑的思考と批判的思考」という話題提供であった。菊池氏は、日本における批判的思考(クリティカルシンキング、以下「クリシン」と略す)研究の草分けのお一人であり、特に超常信奉の心理に長年取り組んでこられた。10年ほど前、一般教育の心理学教育に関するワークショップで同じようなお話を伺った記憶があるが、その後も着実に研究を重ね、ますます明晰さを増しているとの印象を受けた。 菊池氏によれば、超常現象信奉はクリシン欠如の宝庫である。それを研究することでクリシンに必要な要素を明確にできるという点は私も同感だ。 菊池氏によれば、思考のデフォルトに起因するならば「なぜ信じるのか」ではなく「なぜ信じないのか」を問うべきであるが、一口に「信じない」と言っても、頭ごなしに否定するのか、科学的に否定するのか、単に無関心なのか、懐疑的思考に基づいて信じないのか、というようにいろいろある。いっぽう超常信奉(paranormal belief)についても、「伝統的迷信」と「ニューエイジ/疑似科学系」という2因子があることが実証的に明らかにされている。このうち疑似科学(pseudoscience)は、科学的であるとして呈示されているものの、方法論的に欠陥があり、科学的理論の要件を備えていないものをさす。具体的には、後付のこじつけ、反証不能、対照群がない、盲検法を使っていない、サンプリングの問題など。新聞チラシなどで散見される健康食品、あるいは血液型性格判断信仰などもこれに含まれるといってよいと思う。 ではどのようなプロセスで超常信奉が生まれるのだろうか。このあたりの詳細は、菊池氏の著作から学ぶしかないが、一般的には、メディアリテラシー不足、社会的動機(自分を知りたい、先のことを知りたい、何かをコントロールしたいなどの欲求)などが重なって形成されていくと考えてよさそうだ。 話題提供の後半で参考になったのは、超常信奉の程度と批判的思考の強さは一次元上の対立点ではなく、むしろ独立した軸であること、その二次元象限の中で、懐疑論、保守主義、神秘主義、科学拡張主義などが位置づけられるという点であった。 話題提供の最後のほうでは、代替療法(民間療法・補完医療)についても言及された。現時点で評価が定まらない「療法」をどう取り入れていくのかは、クリシンを離れても重要な問題であろう。私は、金儲けをたくらむ健康食品、民間療法の誇大宣伝に対しては断固として反対しているが、お年寄りが長年の自己体験から確信している種々の健康法の効用については頭ごなしには否定しない。もともと西洋医薬の有効性の多くは局所的な要因操作の中で実証されたものであって、全人的な自己治癒力の働きまでは考慮に入れていないように思う。どっちにしても人間は限られた年数しか生きられないのだから、ある年を過ぎたら、医療効果を最優先にせずとも、自分の好むやり方で自由に最期を迎えればよいのではないかと思ってみたりする。少々脱線してしまったが、次回に続く。 |