じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
三尺バーベナ(Verbena bonariensis)。宿根性であり、種でもどんどん増える。この付近では野生化しており、空き地の雑草の中でも、ハルジョオンなどに負けずに花をつけている。 |
【思ったこと】 _40601(火)[心理]気楽な老後の迎え方(4)マズローのピラミッドの謎 昨日の日記で、まもなく某生涯学習講座を担当すると書いた。この種の講座を心理学の教員が担当する以上は、マズローの欲求階層説に触れないわけにはいかない。しかし、不勉強の私は、一度も原書を読んだことが無いし、理解よりも疑問が先行して、うまく語ることができそうもない。 さて、マズローと言えば、Eminent psychologists of the 20th centuryの第10位に選出された著名な心理学者である。平成15年度の大学入試センター・現代社会問題の第4問にも、「有名」な欲求階層説のピラミッドが出題されている。この階層は,生理的欲求,安全・安心の欲求、親和欲求(愛情、関係性の欲求)、自我の欲求(自己愛の欲求)、自己実現の欲求というように積み上げられており、一般に、
しかし、私にはどうもしっくりいかない点がいくつかある。 まず、あのピラミッドは本当にマズローが提唱したものなのだろうか、ということだ。大学入試センター試験問題にも出題されるくらいだから出典はちゃんとあるとは思うのだが、マズロー自身がどの程度、ああいうピラミッドを重視していたのかは確認できていない。こちらのサイトには、「マズロー自身はこんな図は書いていないらしい」とか、「サケの滝登りのようなこんな図ではマズローの真意は伝わらない」といった情報も引用されている。 次に問題となるのは、あのピラミッドは、マズローの最終的な見解なのか、それとも、いったん主張され、後に発展的に解消された見解なのかということだ。実際、マズローは晩年には、自己実現を超える発達、つまり人間の成長の極限として「自己超越」を想定するようになった。このあたりの経緯は、私のところの学生が学部演習の課題の一環としてまとめたミニマムサイコロジーのリポートにも記されている。となると、あのピラミッドを単純に「マズローの説」として紹介するのは正確さを欠く。せめて、「マズローがある時期に唱えた説」とすべきではなかろうか。 いずれにせよ、あのピラミッドは、マズローの死後も、十分な実証的検討もなされないままに、亡霊のように一人歩きしている。その一番の理由は、あのようなピラミッドを考えることが、「真っ当」で「前向き」な人間の育成に大いに役立つからであろう。ピラミッドの頂点にある「自己実現」は美しい言葉であり、大概の人には無批判に受け入れられる。 また社員教育や自己啓発セミナーでその概念を利用しようと考えている人々にとっては、「自己実現を公理とします」と言うよりは「著名な心理学者マズローも言っているように」と、権威づけしたほうが、いっそう説得力をもつに違いない。 マズローの「ある時期の」考え(もしくはマズローの本意ではないにもかかわらず「マズローの説」として一人歩きしている考え)に対する批判はいろいろある。 安易に自己実現をもちだすのは思考停止という主張は的を射たものであると思う。
ミニマムサイコロジーのリポートでは「自己実現」についてのFrankl(1979)の批判が紹介されている。「自己目的化した自己実現は単なるエゴイズムに過ぎない。」といった批判である。もっとも、これは、晩年のマズローの主張で発展的に解消されたようにも思う。←私自身は、日本百名山完登や、エベレスト登頂のような、たぶん、自己目的化した自己実現でも構わないと思っているけれども。 このほか、和田秀樹氏の『痛快!心理学』では、マズローのピラミッドで「攻撃性」が抜け落ちていると指摘されている。「反復強迫」、「タナトス」などはマズローのピラミッドでは説明できないというわけだ。 最後に、行動分析の視点から見れば、「欲求の階層」なるものは、生得性好子や習得性好子の形成に置き換えることができる。もっとも階層や優先順位は絶対的に固定されるものではない。このあたりは、プレマックの強化の相対性についての研究、あるいは、確立操作という概念を持ち込めば容易に理解できるところだ。 というようなことを、生涯学習講座で話しても、あんまり受けないだろうなあ。 |