じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 朝日を浴びるヒマワリ畑。種の重みで首を垂れる花が増えてきた。見頃はここ数日程度か。


7月13日(火)

【ちょっと思ったこと】

閣議は丸テーブルで/新五千円札

 夕食時に「カスペ!爆笑問題のクイズ・2004上半期・ニュース知ってるつもり?フジ美人女子アナ大集合スペシャル」という番組の一部を視た。この番組のことは7月6日の日記にも取り上げたばかり。時間が長すぎることと、いずれネタが底をつくのではないかと思われる点が心配されるが、これまでのところは結構面白い。

 今回の番組の中で一番驚いたのは、閣議というのは丸テーブルを囲んで行われるということ。検索したところ、旧首相官邸の閣議室の写真がこちらに、また、新首相官邸の閣議室の写真がこちらに公開されていた。

 人生50年余、私は閣議というのは窓際の総理大臣を中心に閣僚がコの字型に座って、テーブル無しに協議するものだと思っていた。このことに関して旧官邸の説明ページには
テレビによく映っている総理を中心として閣僚が椅子に座っている様子は、閣議室の隣の大臣応接室で、閣議が始まる前のものなのです。今までに閣議室の様子がテレビや写真に収められて広く皆さんに紹介されたことは殆どありません。
と記されてあった。

 余談だが旧大臣応接室の写真では、小さなテーブルの上に灰皿が置かれているように見える。新官邸では、受動喫煙防止策はどうなっているのだろうか。

 なお、今回の番組でもう1つ、樋口一葉の新五千円札の発行が、当初の7月から11月に延期されたということを初めて知った。ネットで検索したところ、2003年12月19日付で、発行延期の発表がなされていた。理由は「万全を期するために、」とだけ記されていたが、番組によれば、樋口一葉の顔にシワが無く、偽造される恐れが大きいからだなどと言っていた。

 機械的に鑑別するだけなら顔無しのお札でも偽造防止策を万全にとることができると思うが、お札というのは、まずは人間どうしが、目で見て本物かどうか判断するものだ。そういう意味では、顔にシワがあり、国民によく知られていて、かつ印象に残りやすいユニークな顔を採用することが求められる。となれば、樋口一葉さんではなく、ご長寿で人気があった「きんさん、ぎんさん」のほうが採用写真に向いていたのではないだろうか。

【思ったこと】
_40713(火)[心理]「活きる」ための心理学(7)「血液型性格判断」の論点

 あいだが空いてしまったが、自治体主催の生涯学習講座の出講2回目(7月3日実施)のメモの続き。なお、この講座は毎週土曜日4回シリーズとなっているが、7月10日(土)は中休みの日に設定されていた。今回のメモはあくまで7月3日実施分である。次回の7月17日までに、記録を完成しておかなければ。

 さて、7月3日の講義の後半では、「血液型と性格」について、10年前に執筆した『現代のエスプリ』論文:

●長谷川芳典 (1994). 目分量統計の心理と血液型人間「学」.詫摩武俊・佐藤達哉(編) 現代のエスプリ324 『血液型と性格 その史的展開と現在の問題点』,pp. 121-129. 【以下、「エスプリ論文」と略す】

をもとに論点を整理し、さらに、最近の「血液型」の動向、差別番組の弊害、信奉者のロジックの誤りについて指摘した。

 講義ではまず、エスプリ論文の内容に沿って、既存の「血液型人間性格判断」には
  • 標本の大きさを無視して比率だけを見る
  • 標本の偏り
  • 有意差が出たデータだけをつまみ食い
  • 性格傾向や行動特徴の分類基準が曖昧。見かけ上の偏りがいちばん出やすいポイントに基準をスライドしている可能性あり。
といった問題点があり、科学の名に値しないレベルにとどまっていることを強調した。

[エスプリ]  次に強調したのは、「血液型と性格は全然関係ありませぇーん」などとは決して断定していないということ。右のコピーは、エスプリ論文の一部をコピーしたもの。そこでは
 以上、確率現象の錯覚や統計学誤用という観点から、血液型人間「学」のからくりを考えてきたわけであるが、これらを指摘したからといって「血液型と性格はまったく関係がない」ということにはならない。筆者は、約一〇年前よりこの問題をとりあげてきたが(7)(8)、その主旨は、第一に、血液型人間「学」と呼ばれる俗説のデタラメな「分析」方法を批判すること、第二に、「血液型と性格」には少なくとも日常生活場面で問題になるほどの相関はないことを反例の形で示すことにあった。純粋に科学的なレベルで「血液型と性格がまったく関係ない」かどうかは私にはわからないし、この問題についての科学的研究を妨げるつもりもない。
【文中の丸括弧つき数値は、引用文献番号を示している。以下同様。】
と述べている。多くの心理学者も私とほぼ同じ態度をとっている。

 私が、かつて教養科目「心理学」の受講生や公開講座の受講生を対象にいくつかの性格テストを行い、「血液型による顕著なさは認められない」という結果を得たのは、決して、「血液型と性格は無関係である」と実証するためではなかった。エスプリ論文では、この点に関して
 まず、血液型人間「学」の実用性については、現時点ですでにはっきりと否定することができるだろう。ここで実用性とは、日常生活場面での相性や職業適性を理解するうえで役立つ情報ということを意味する。たとえば「A型はO型より笑い上戸になる確率が一%だけ高い」ということが実証されたとしても現実の人間理解には何の役にも立たない。実用レベルでの有用性を否定するだけであるなら、任意に設定した集団のなかで「血液型が違っても行動特性にそれほど顕著な差は認められない」こと、あるいは「同じ血液型者のなかにもいろいろな性格の人がいる」という事例、つまり二、三の反例を示すだけで事足りる。過去に私が報告した資料(7)(8)は決して無作為抽出されたデータに基づくものではないが、実用レベルでは役立たないという反例を示す資料としてはそれなりの価値があったものと考えている。

 いっぽう純粋に科学的なレベルで「血液型と性格」の関係を主張しようとするならば、二、三の事例を示せば十分というわけにはいかない。「性格」の測定方法を厳密に定めたうえで、大量のデータを集める。そして、すでに指摘したように、単に有意差が出た項目だけに注目するのではなく有意差が出なかった項目をも包括するかたちで「血液型気質相関説」を構築していく必要があるだろう。
と述べている。純粋に科学的レベルで血液型特有の行動傾向が認められようと、認められまいと、とにかく、実用に耐えうるような顕著な差でなければ、日常生活行動の予測や、適性や相性の診断には使えない。そんな不確かな道具は、エラーを増やし差別や偏見を助長するだけだ。視聴率稼ぎのために「△型には××という傾向がある」などと吹聴することがいかに無責任であるか、民放テレビ局(一部)はもっと真剣に考え直すべきである。

 「血液型と性格」について取りうる、真の科学的態度について、エスプリ論文は次のように記している。
 ここで強調しておくが、血液型人間「学」がある種の普遍性を主張する「理論」であるのに対して、「血液型と性格は関係がない」というのは理論ではない。研究の出発点となる作業仮説にすぎないのである。理論は一つの反例によって崩すことができるが、作業仮説に反例を示したってしょうがない。「血液型と性格は関係がない」という作業仮説のもとに地道にデータを集め、ある性格的特徴について明らかに血液型との関係を示すようなデータが安定的に得られた時に初めてこの仮説を棄却するのである。これこそが、雑多な変動現象の中から帰納的に規則性を見い出そうとするときにとるべき科学的態度である。


 さて、何はともあれ、エスプリ論文から10年が経過した。講義の終わりでは、その後の論点の変化、最近のテレビ番組や新聞記事などについて触れたが、時間が無くなったので次回にまわすことにしたい。