じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _40730(金)[一般]「オッカムの剃刀」のオッカム 金曜日1コマ目は、私が担当する「心理学講読II」の最終試験日であった。少し前の話になるが、この授業で使った教材の中に「オッカムの剃刀」という言葉が出てきたので、その時に考察したことを忘れないうちにメモしておきたい。 そもそものきっかけは、教材の訳注に [訳注]Occamが提出した科学的データの処理法に関する原理。複雑になりがちな説明をなるべく省き、明快簡潔な理論を採用するという原理で、節約の法則とか簡単な原理と呼ばれる。これを動物心理に適用したのがモルガンの公準である。低次元の心的機能の産物と解釈できるものを高次元の心的機能の産物と解釈してはならないという原理。と書かれてあったことだ。私が以前から疑問に思っていたのは、「オッカム」というのは人の名前なのだろうかということ。 ウィキペディアには、 オッカムの剃刀(オッカムのかみそり; Occam's Razor)は、13世紀の神学者オッカムが考えた哲学主題。というように説明されている。しかし、同じ事典でオッカムを調べると オッカムのウィリアム(William of Ockham, 1285年 - 1349年)は、フランシスコ会会士、後期スコラ哲学を代表する神学者・哲学者。イングランドのオッカム村出身。しばしばオッカムとのみ言及される。なお没年には異説もある。となっており、「オッカム」は出身村の名前であって姓ではない。同じウィリアムでも、ShakespeareやWilliam Jamesにはちゃんと姓がある。なぜ、オッカム村のウィリアムには姓が無いのだろうか。 さて、オッカムの剃刀についての詳しい解説はこちらにある。そこにはいろいろな解釈が紹介されているが、科学者にとって最も役に立つ形は、次のようになるという。 「 まったく同じ予言をおこなう2つの理論が手元にあったときには、単純なほうの理論が、よりよい理論である。 」これに基づけば、惑星の見える位置は、天動説でも地動説でも予測ができるが、もし天動説のほうがシンプルであるなら、真実に反しても天動説を採用するほうがよい理論ということになる。実際には「周転円」概念(こちら参照)導入などにより天動説のほうが複雑になってしまうが、日常の24節気などは、今でも天動説風の表現を用いている。 ところで、最初に取り上げた訳注は、スキナーの『科学と人間行動』の訳本に記されたものであった。じつは、スキナー自身は、オッカムの剃刀を無批判に受け入れているわけではない。スキナーは『科学と人間行動』第17章の私的出来事に関して One is still free, of course, to assume that there are events of a nonphysical nature accessible only to the experiencing organism and therefore wholly private. Science does not always follow the principle of Occam's razor, because the simplest explanation is in the long run not always the most expedient. But our analysis of verbal behavior which describes private events is not wholly a matter of taste or preference. We cannot avoid the responsibility of showing how a private event can ever come to be described by the individual or, in the same sense, be known to him.と述べており、原書の本題から外れるが、オッカムの剃刀に関しては「.....the simplest explanation is in the long run not always the most expedient./最も単純な説明が、長期的に見て最も得策とは限らない...」という見解を表明している。 「オッカムの剃刀」に関しては、他に、 ●金谷武洋 (2002). 日本語に主語はいらない〜百年の誤謬を正す. 講談社. という本の中で何度か使われていることが私の記憶に残っている。
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