じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  上空から見た京都市内(2/4撮影)。岡山発羽田便は、姫路→六甲山→京都→知多半島→伊豆半島南端→大島というコースを通る。いつもは右側の座席を指定されることが多いのだが、今回は事前予約で左の窓側席を予約することができた。写真中央には鴨川(上流部は加茂川と高野川)、左側に御所や二条城、右側に吉田山、平安神宮などの森が見える。


2月7日(月)

【思ったこと】
_50207(月)[教育]我が国の高等教育の将来像(2)高等教育に百年の大計はあるか?

 2月6日に東京八王子・大学セミナーハウスで行われた、

「我が国の高等教育の将来像」

というセミナーの感想の続き。  中教審答申の内容はこちらにWeb公開(pdf形式)されているので、併せて御覧いただきたいと思う。

 さて、今回の答申は、「グランドデザイン」と「ロードマップ」に特徴があるということであったが、6頁に「中長期的(平成17(2005)年以降,平成27(2015)年〜平成32(2020)年頃まで)に想定される我が国の高等教育の将来像」と記されていることから示唆されるように、じっさいには概ね15年先の将来像までしか想定されていない。2020年と言えば、2005年に生まれた子どもは15歳、これから高校に入る時期である。つまり、口の悪い言い方をすれば、2005年に生まれた子どもにとってはこの答申は、自分の「高等教育のショウライゾウ」ではなく「高等教育はミエナイゾウ」になってしまう。

 では、せめて三十年先、さらには、国家百年の大計のようなものを示すことはできないのだろうか。

 しかし、これは、答申の性格上やむを得ない面があるらしい。あくまで、質疑などを通じて私自身が理解した範囲での受けとめになるが、そもそも中教審答申というのは、文部科学大臣の諮問に対して答えるという形式をとっており、「誰に対して向けられたものか」と言えば、第一義的には文科相、実質的には文科省の役人がこれを読み、今後の政策の指針として活用していくためにある。代議制民主主義の社会にあっては、内閣は3〜4年で交代し、それとともに基本政策自体が大きく揺れ動いていく。そういう中では、30年先、あるいは百年の大計というのは、政策策定の指針として殆ど意味をなさない。もちろん、世界全体の変化が流動的であり、先のことは読もうとしても読めないという事情もある。

 もっとも、このことは裏を返せば、教育というものが、内閣の姿勢や経済情勢、種々の外圧などの影響を受けやすく、せいぜい5年〜10年先までの中期計画のもとで、その場を凌いでいくほかはない、という現実的な事情を反映しているとも言える。多くの競争的資金は、数年先に役に立つ研究・教育に向けられているし、また、少子化で定員割れが切実となっている一部の大学においては、百年の大計よりも、入学者確保を至上命令として、なりふり構わずに改組やカリキュラム改変を行い、教育理念や目標を後付けせざるをえない事情もある。さらに、役に立つことを教えるといって職業訓練を重視しても、そこで努力した学生が希望する職種に必ずしも就職できない、という事情もある。これは詐欺であるとの声も聞かれた。

 その一方、日本やドイツの強大化を恐れるアメリカの、日本経済弱体化戦略が着々と成果を挙げているという声もある。銀行の格付けなどもその一環だというが、要するに、日本を直接攻撃するのではなく、日本人が自ら自信を失うように仕向けるという戦略であり、その矛先が高等教育にも及んでいる可能性がある。となれば、何でもかんでもアメリカの基準に合わせ、かつ、若者全員にネイティブなみの英語力を押しつけようとすることで何がもたらされるのかにも注意を払う必要がある。

 いろいろ述べてみたところではあるが、政策誘導指針である答申とは別に、教育の百年の大計はやはり必要。先人の知恵をもっと学び、その場凌ぎでない指針を確立していくことの大切さを改めて感じた。

 次回に続く。