じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
一輪だけ花をつけた黄梅。こちらの解説にあるように、「黄色い花の咲く梅」ではなくモクセイ科の樹木。2年前に鉢植えの処分品で購入(2002年3月13日の日記参照)したが、その後、露地に植え替えた。周囲の雑草のせいであまり威勢はよくない。 |
【ちょっと思ったこと】
「安全な学校」より包丁規制が先決 大阪府寝屋川市立中央小学校の教職員殺傷事件を受け、「安全な学校」を守るための方策が各機関で検討されているという。伝え聞いたニュースを要約すると、
これらの対策は、誘拐や性犯罪の防止にも役立つので決してムダであるとは思わないが、侵入・殺傷犯罪に関しては、外国の日本人学校並みの高い塀、鉄条網、鉄扉でも配備しない限り完全に防ぐことは難しい。学校の警備だけを厳重にしても、登下校時や公園での犯罪は防げない。そして、何よりも、自由な遊び場を奪うことによって、結果的に、子どもたちを家の中に閉じこめ、TVゲームばかりさせることになってしまう。 この種の事件が起こった時にいつも思うのは、コンビニやホームセンターのような所で、なぜ、人を殺せるような危険な包丁を売っているのかということだ。2001年5月1日の日記にも記したように、今や、普通の家庭で先の尖った出刃包丁や刺身包丁を使う必要は殆ど無い。どうしても必要な人のためには、許可制、登録制で販売すればよい。 もちろん、包丁を許可制にしたところで、今度は別の凶器、例えば日曜大工用品、園芸用品、裁ちバサミなどが使われる可能性は否定できないが、少なくとも何割かは、犯罪を思いとどまるはずだ。 |
【思ったこと】 _50218(金)[教育]我が国の高等教育の将来像(6)高等教育とは何か? 2月6日に東京八王子・大学セミナーハウスで行われた、 ●「我が国の高等教育の将来像」 というセミナーの感想の続き。セミナー開始日から2週間が経過し、次第に記憶も薄れてきてしまったので、はなはだ不十分であるが、今回で連載最終回としたい。 ディスカッションの中で「そもそも高等教育とは何か」という疑問を投げかけた方がおられた。今回の中教審答申の中でも、「高等教育とは何か」は明確には定義されていない。あくまで、法律用語、あるいは国際基準に従った呼称、平たく言えば「大学で教えることが高等教育」という程度である。 高等教育の個性化、多様化が叫ばれているが、実際にはスローガンにすぎないとの批判もある。アカデミズムかプラグマチズムかという比較軸で専門学校と大学を区別する見方もあるが、最近では曖昧になっている。教養教育の充実も然り。これには、大学の組織的な改革が進んでも、教育の中味は以前として教員個人の努力任せというという背景があるように私は思う。 ところで、このことに関連して、「intelligenceかwisdomか」という興味深いご意見があった。あくまで私の理解した範囲での聞き取りになるが、その方によれば、intelligenceには「悪だくみ」という意味もある。念のため辞書で確認したが、確かにintelligenceには、心理学で言う「知性」や「知能」とは別に、Central Intelligence Agencyでもお馴染みの「(敵・潜在敵国に関する)情報、諜報、スパイ活動」という意味がある。いっぽう、ランダムハウス英語辞典によれば、wisdomには、「賢明であること、知恵、英知、分別、見識、明察」あるいは「学問、知識、博識」といった意味がある。どうやら、高等教育というのは「intelligence」ではなく「wisdom」を醸成する場であるということらしいが、じゃあ、それをどういう方法で達成していくのかとなるとなかなか難しい。「wisdomは暇つぶしから」などとも言われるが、であるならば、私が在籍していた頃の京大みたいに、「やりたいことだけやって卒業できる大学」のほうがヨロシイということになってしまう。このあたりは、もう少し考えてみたいと思っている。 ということで、はなはだ不完全ではあるが、今回のセミナーの感想はここまで。なお来月には、京都で2回、FD関係のセミナーが予定されている。これらに参加した上で、さらに考えをまとめていきたいと思う。 |