じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
大学構内の花桃が咲き始めた。昨年よりは10日ほど遅い。左奥の黄色い花はミモザ、その後ろは半田山。 |
【ちょっと思ったこと】
三連休は毎日『出勤』 3月19日(土)から3月21日(振替休日)までの3連休は、概ねよく晴れ、絶好の行楽日和ではあったが、結局どこにも行かず、研究室と自宅アパートを往復するだけに終わった。その理由は
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【思ったこと】 _50321(月)[心理]地域通貨は大きな壁にぶち当たっているのか 3月19日に東京で第20回エコマネー&コミュニティビジネストークが開催されたという。地域通貨についてはこちらでも考えをまとめたことがありずっと関心を持ち続けていたが、ここ一年ほどエコミュニティ関係のイベントには参加できない状態が続いている。今回も年度末の忙しい時期であることに加えて、先週は会議続き、また22日からはFD関係のセミナーなどあって思うように動けず、結局今回も参加を見送ることになった。 さてエコミュニティであるが、創始者の加藤俊春氏が、自らこちらで語っておられるように、 現在既存のエコマネー・地域通貨、コミュニティビジネスは大きな壁にぶち当たっており、「第1の波」から「第2の波」への転換が求められています。という段階にあるようだ。少し前まで「‘燎原の火”のごとく広がっています」と言われたエコマネーであったが、おやっ、どうして壁にぶち当たってしまったのだろうか。今回のトークに出ればこのあたりの謎が解決したかもしれないだけに残念であった。 ところでこちらの ●地域通貨:「第1の波」と「第2の波」の対比 の表によれば、第1の波では「地域通貨自体が目的」であり「コミュニティの再生又は地域経済の活性化」をねらいとし、「『エンデの遺言』に対するナイーブな憧れ、多様な地域通貨を渾然一体として捉える」という認識であったものが、第2の波では「地域通貨は協同の手段となり、まちづくりが目的となる時期」であり「パートナーシップ型のまちづくり」をねらいとし「地域通貨の多様性に関する認識の浸透、多様な地域通貨の組み合わせ、コミュニティビジネスとの連携など」が認識される段階になるという。 加藤氏の「段階説」については以前にも伺ったことがあるが、私自身にはまだよく理解できていない点も多い。例えば、『エンデの遺言』はなぜコミュニティビジネスとの連携という形で発展すべきなのかといった問題、その中で、債務関係の有無や、国民通貨との関係はどうなるのかといった問題である。私はやはり、地域通貨は、個人間の交流の活性化と、それによって満たされる充実した福祉社会を目ざせばよく、コミュニティビジネス事業とは必ずしもリンクさせる必要は無いという考えを捨てきることができない。 こちらの説明で エコマネーの取引はサービスのみであり、モノが入るとエコマネーとは異なる地域通貨となる」という主張は“誤解”であることがご理解いただけると思います。エコマネーではモノは排除していません。サービスかモノかが問題なのではなく、対象となる取引の性格が交換なのか互酬なのかかが問題なのです。したがって、市場での交換価値の付いていないモノ(近くの農地で取れた農産物を住民同士が取引するような場合)をエコマネーで取引することはありうることなのです。ということであるが、「ありうる」ということは例外的に認めるということであって、国民通貨と交換可能であることまで認めるというわけではない。そのいっぽう、「エコマネーはボランティア経済のみを対象としたものであり、経済活性化には効果がない」という「誤解」があると言われるが、経済活性化につなげるには、国民通貨と交換可能、もしくは、それと同等の機能を持ち国民通貨に置き換わるものでなければ効力を発揮しないように思う。 個人の生活空間という視点から地域通貨を考えた時、いちばんの壁になると思われるのは、要するに、 ●我々は、種々の生活空間を使い分け、それぞれの空間を出たり入ったりしながら個人として生きている ということではないかと思う。山村で自給自足の生活を送るような場合は別として、都市で生きていく時の生活空間は一義的には決まらない。「地域」というのもそのうちの1つに過ぎず、いくら地域通貨で協働をめざすといっても、参加できる人たちは限られてくるはずだ。地域通貨は、すべてを変える原動力としてではなくむしろ、、基本的な生活が干渉されない、気軽に参加できるプラスアルファのようなものとして活かしていったほうがよいようにも思う。 いずれにせよ、その後の進展についてもう少し情報を集めてみたいと思っている。 |