じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
7月18日に梅雨明け宣言が出された中国地方であるが、県北部では奈義で29ミリ、津山で23ミリ、久世で14.0ミリというように、夕刻に激しい雷雨に見舞われた。写真は、北西の空に現れた雷雲の一部。しかし岡山市内では1ミリの雨も降らず、最高気温34.8度、夜8時頃まで30度を超える蒸し暑さが続いた。 |
【思ったこと】 _50718(月)[心理]社会構成主義と心理学の新しいかたち(3)心理学研究のアカウンタビリティ 7月11日の日記の続き。今回は、今年の5月10日に刊行されたばかりの下山晴彦編『心理学論の新しいかたち』の ●第T部 心理学とはなにか 1 心理学論を考えるにあたって(下山晴彦) について感想を述べたいと思う。 この本は、心理学の新しいかたち(シリ−ズ企画・編集 下山晴彦、全11巻)の第1巻目にあたる(但し、配本は第6回配本)。下山氏の第1章「心理学論を考えるにあたって」は、このシリーズ全体の企画趣旨を述べたものである。これからの心理学研究のかたちについての熱い思いが格調高い文章で語られている。 「心理学論を考えるにあたって」の章の中で特に印象に残ったのは、心理学研究のアカウンタビリティという考え方である。下山氏は、心理学を「19世紀の終わりに西欧社会で成立し,近代化とともに20世紀に発展した学問」であると位置づけた上で、近接学問領域における変化、自然科学そのものの多元性や相対性が認識されるようになったという変化、さらに社会的要請(ニーズ)における変化を考慮し、 として危機感を募らせている。 そして、 科学的であることが単純に権威でなくなりつつある現代においては,学問は,新たな存在意義を見出し,それを社会にアピールしていかなければ,生き残れなくなりつつある。まさに,個々の学問のアカウンタビリィティが問われている状況になっている。【11頁】という形で、アカウンタビリティという考え方に基づく変革の必要を説いている。この考えに基づいて建設的な方向を指し示そうとしているのが今回の「新しいかたち」シリーズである言えるだろう。 このような心理学の危機は、狭い領域に閉じこもってモデルの改訂にあけくれ、そのことだけに関わる論文を積み重ねることが自己の研究業績であると考えている心理学者たちには意識されない。そして、おそらく、そういう心理学者たちは、大学では、相も変わらず「心理学とは心の科学である」、「基礎研究は大切だ」などと語りながら、使い古しの教科書を使って実験研究の事例紹介を主体とした授業を行うことになる。 もちろんそれでも大学教員としての地位は保障されるし、大過なく定年を迎えられるとは思う。しかし、昨今の大学改革にあっては、そんなことでは心理学分野の充実の必要を説明できるわけがない。やはりアカウンタビリティは必要である。 なお、下山氏は、上記の心理学の危機が心理学教育の現場に混乱を与えることについて、以下のように危惧しておられる。 上述の矛盾や混乱によって最も直接的な影響を受けるのが,心理学の教育である。心理学の在り方において矛盾や混乱が生じているならば,心理学を教える際の目標や方法が定まらないことになる。心理学が何を目標とするのか,その際にどのような方法を採用するのかについてのコンセンサスがなければ,心理学教育の内容は混乱したものとなる。そして,教育内容が混乱していれば,当然のことながら,その混乱は心理学を学ぶ学生たちに影響を与えることになる。そして,それらの学生たちは,混乱を抱えたまま心理学を専攻することになり,心理学の混乱はますます拡大していくことになる。【18頁】この混乱をどう解決していくのかについては、次回以降に述べていきたいと思う。 |