【思ったこと】 _50901(木)[教育]岡大FD研修“桃太郎フォーラム”(1)大学教育の質保証と授業評価
↑にも述べたように、9月2日は岡大FD研修“桃太郎フォーラム”が開催される。おおむね150名程度の教職員・学生の参加が見込まれるようだ。午前中は学長挨拶や特別講演など。午後は分科会に分かれて討論。今回は私は、授業評価に関する分科会で「大学教育の質保証と授業評価」というテーマで話題提供をつとめることになっている。
私の話題提供の前半では、昨年度後期に参加した、
- 我が国の高等教育の将来像 大学セミナーハウス/2005年2月6日(日)
- 大学コンソーシアム京都 「評価される大学教育」 京都/2005年3月5日(土)・6日(日)
- 京大・第11回大学教育研究フォーラム 京都大学/2005年3月22日(火)・23日(水)
という3件の学外FD研修で得た関連情報を紹介する予定である。後半は岡大で実施している授業評価アンケートの結果分析、今後の改善に関する話題。
前半の話題提供内容をメモ代わりに記しておきたい。
- 2005年1月28日中教審答申「我が国の高等教育の将来像」
- そもそも、1998年の「21世紀答申」が出された時点では、国立大学法人化や法科大学院設置などは、まだ具体的日程にも上っていなかった。またそれらは、どちらかと言えば規制緩和や種々の外圧で実現されたきらいがある。このあたりで、外部から押されっぱなしの変化に対する体勢を立て直し、主体的な改革の道筋を明らかにしようという意図があった。
- 答申のポイント(1)
- 「知識基盤社会」(knowledge-based society)の時代
- 「高等教育計画の策定と各種規制」の時代から「将来像の提示と政策誘導」の時代へと移行
- 各大学ごとの選択により,保有する機能や比重の
置き方は異なる。その比重の置き方が各機関の個性・特色の表れとなり,各大学は緩やかに機能別に分化
- 「グランドデザイン」と「ロードマップ」
- 答申のポイント(2)
- 高等教育の質の保証の仕組みとしては,事後評価のみでは十分ではなく,事前・事後の評価の適切な役割分担と協調を確保することが重要である。設置認可制度の位置付けを一層明確化して的確に運用するとともに,認証機関による第三者評価のシステムを充実させるべきである。
- 個々の高等教育機関が質の維持・向上を図るためには,自己点検・評価がまずもって大切である。また,教育内容・方法や財務状況等に関する情報や設置審査,認証評価,自己点検・評価により明らかとなった課題や情報を当該機関が積極的に学習者に提供するなど,社会に対する説明責任を果たすことが求められる。
- 大学コンソーシアム京都 「評価される大学教育」
- シンポ「誰のための評価」
- 誰が何の(誰の)ために何を(誰を)どうやって評価するのか」
- PDCA(Plan→Do→Check→Action)というサイクルの一環として、複数の視点・利害を考慮した多元的な評価が求められる。
- 相対評価が必要な一番の理由は、「選択」という行為にとってそれが必要不可欠な情報になっているという点にある。各大学が行っている自己点検評価、あるいは、他大学の教員らも交えたピアレビューでは定性評価や絶対評価が殆どであるが、それらは当事者や専門家にとっては有用な情報であっても、どの大学を選ぶかという時の選択の手がかりにはなりにくい。
- 教育評価のランキングとなると、どうしても、教育のインフラ程度の比較しかできない
- 総合的なランキングについては否定的
- 学生による評価に関しては、(1)大学が行う組織的な授業評価(要改善授業支援、教員の教育評価資料など)と(2)授業担当者個人が活用するための改善資料という2つの側面がある
- 学生の満足度 あまり期待しなければ満足度は高い
- 第1分科会:授業評価のあり方
- 評価項目は多いほどよいのか?(長谷川の意見)
- 回答者に過重な負担を与えてはならない
- 「必要な質問項目」をすべて含むことが最善ではない。回答者の負担を最小限に抑え、かつ回答者が真剣にそれに答えてくれるような環境づくりをすることが大切。
- すでに実施されている質問の中で、90%以上の授業科目で高い評価結果が得られているような質問項目は削除してもよい。ごく少数の授業科目に限って問題点が残っているような場合は、例えば、自由記述アンケートや意見箱への投書を受け付けるというような「問題点発見型」の調査でもチェックできる。 →反対意見もあり。
- 結果公開の理由
- 学生の協力に対して、結果を公開するのは当然の義務
全てが公開されていなければ、授業改善や検証はできない。
- 京大 第11回大学教育研究フォーラム
- 大塚雄作氏:大学授業の改善とアカウンタビリティ
- 個人内差が重要
- 授業評価アンケートを毎年実施することはマンネリ化ではないかという批判→一定のレベルを保っていることを示せればそれでよい
- 授業の成果について評価と授業のプロセスについての評価は区別されるべきであるとの声→アンケート自体はむしろ「授業アンケート」程度の呼称でよい、それよりも結果の利用、活用を多様化していけばよい
- 大会企画フォーラム:大学評価−評価する側の論理−(松下佳代氏:評価する側の論理、評価される側の論理)
- 改善のための評価では、問題の発見が目的。形成的評価が中心であり、質的・具体的な評価データが重視される。
- アカウンタビリティのための評価では、成功の証明が志向され、形成的ではなく総括的評価。また、社会にフィードバックする必要から、質的データよりも、客観的で簡潔に表現される量的データのほうが重視される
- 消費者メタファー:学生は、教育サービスを選択し、購入する消費者(あるいは顧客)。したがって大学は、そのニーズを把握し、顧客満足度を高めるような教育を提供しなければならない。シラバスは、授業という商品の説明書および契約書。→リーズマン「学生消費者主義」
- 製品メタファー:原材料として入学してきた学生を加工し、付加価値をつけて社会に送り出す。従って、大学は、その製品あるいは、製品を作り出す教育プログラムについて品質を保証しなければならない→各種検定試験やJABEEなど
- 【長谷川の感想】この2点は、少子化にともなう大学経営のあり方とも相まって、種々の議論をもたらす。例えば、品質保証最優先で考えるならば、授業はスパルタ式の徹底詰め込み教育のほうが効率的であるかもしれない。しかしそれでは、消費者としての学生の顧客満足度は著しく低下する。半面、興味・実益を満たすだけのカルチャーセンター型の授業を増やせば顧客満足度は高まるが、それでは「製品」の質保証はできない。
なお、以上についての長谷川の個人的な感想や意見は、Web日記連載のまとめという形で
こちらにも掲載されている。ご興味のある方はどうぞ。
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