じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

9月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真]  文学部南側の中庭に咲く芙蓉。2カ月近く咲き続けている。


9月15日(木)

【ちょっと思ったこと】

出前講義初体験

 15日午後は「出前講義」。「出前講義」というのは、要請のあった高校まで大学教員が出かけていって大学と同じような授業を行うものである。私が出講するのは今回が初めて。

 大学との一番の違いは、授業時間が短い(大学は90分、ここの高校は50分)ということだ。90分の授業であれば最初に自己紹介をしたり、途中で双方向型のディスカッションを入れたりしてうまく構成できるのだが、50分というのはいかにも短い。昨年度担当したの生涯学習講座のうち、物事を多面的に捉える力を磨くの部分をコンパクトにまとめてみたが、クリティカルシンキングの中味については殆ど言及することができなかった。

 出前講義を要請する高校はまだまだ少ないが、もし県内全校から要請が出てきたとすると、教員側の時間的負担は相当なものになるだろう。といっても少子化が進む中、万が一定員割れになったらエライことだ。要請を受ければ、県内はもとより近隣県どこの高校にでもニコニコ出かけて行かなければならない時代である。

【思ったこと】
_50915(木)[心理]日本心理学会第69回大会(6)Well-beingを目指す社会心理学(1)羞恥心の起源と機能

 日本心理学会第69回大会の参加感想の6回目。

 今回は

【9月11日 午後】CP02 Well-beingを目指す社会心理学

について感想を述べさせていただく。

 この企画は、研究成果を発表するためのシンポではなく、認定心理士会の研修プログラムとして企画されたものである(大村政男氏の講演も同様)。同じ時間帯には他にも興味深い企画が多々あったが

●社会構成主義の立場から「実証」への疑問が発せられている中、伝統的手法に基づく社会心理学の研究は、どこまでWell-beingについて語れるのか

についてぜひ知りたいと思い参加してみた。研修会では、著名な社会心理学者3氏から
  1. 菅原健介氏:羞恥心と対人不安
  2. 安藤清志氏:航空機事故遺族のWell-being
  3. 大坊郁夫氏:社会的スキルの向上を目指す
という話題提供と質疑が行われた。

 3氏の話題はそれぞれ興味深く、大いに参考になったが、

●羞恥心や航空機事故や社会的スキルがなぜWell-beingの典型事例になるのか?

という素朴な疑問は残ったままであった。私が期待していたWell-beingというのは、どちらかと言えばよりポジティブでアクティブなもの。今回はそうではなくて、Well-beingの阻害要因を何とかして取り除いて、ネガティブな状態をゼロの状態に取り戻すという話題が中心であったように思う。とはいえ、Well-beingを保つためには、日常生活で起こるさまざまな不幸やトラブルに適切に対処していかなければならない。例えば、2番目の話題である航空機事故死はきわめて希有なことであるが、死別体験一般に拡張した場合、病死・老衰などを含めて過去10年以内に死別を体験した人は我々の7〜8割にのぼるそうだ。Well-beingの環境がどんなに良好に保たれていたとしても、死別フリーという状態で10年以上を暮らすことはできないのである。




 さて、話題提供の1番目は、

●羞恥心はいったい何なのか、どういう状況でどういうタイプの「恥ずかしさ」が生じるのか、それらはどう機能しているのか?

といった興味深い内容であった。

 菅原氏によれば、羞恥心は心のセキュリティーシステムの警告である。それは、集団への「所属の欲求(need to belong)」に由来している。先史時代から集団で生活していた人類は、この要求を受け継いでおり。社会的資源への最低限レベルのアクセス条件として「集団や他者から拒否されない」よう、羞恥心という警戒システムを備えているというわけだ。

 一口に「恥ずかしさ」といってもいろいろなタイプがあるが、なぜそれが恥ずかしいのかを考えるといろいろな疑問が出てくる。例えば、
  • 褒められて恥ずかしいのはなぜか
  • 高齢になると恥じらいは薄れていくのか
  • 日本は本当に恥の文化なのか
  • 裸や排泄行為はなぜ恥ずかしいのか
などなど。

 もっとも4番目あたりは文化によってもかなり異なるようだ。私自身が訪れた国に限っても、例えば、チベットのトイレはこんな感じ(インデックスはこちら)。いわゆるニイハオ・トイレである。他人に排泄行為を見られてもあまり恥ずかしくないように見受けられた。いっぽう、イランの公衆トイレでは立ち小便はできない。男性トイレであってもドアをしめてしゃがんで用を足さなければならない(こちらの記事参照)。日本人はその中間だろうか、ドア無しのトイレで大便はやりづらいが、男性は仕切り無しのトイレでも平気で小便をしている。

 話題提供の中では、アダルトビデオを借り出す男性がどうやって恥をかくそうとしているのかについての面白いお話もあった。アダルトビデオばかりを好む人格だと思われないための「工夫」、同じ店で繰り返し借りないこと、他人相手なら恥ずかしくないなどなど。これらも基本的には「集団への所属要求」に起因しているようにも思われる。

 なお、恥(失態や醜態)、対人困惑(会話途絶など)、照れ(賞賛)などは、危機的状況に対する情緒反応(赤信号)として機能しているが、これとは別に、「黄色信号(赤信号の可能性への警戒)」という意味で対人不安がある。この場合、不安感そのものよりも、不安に付随して生じる「自己コントロールの乱れ」、「対人的消極性」、「妄想的観念」が不適応を導く恐れがある。このあたりに臨床心理学との接点が見出せるということであった。

 次回に続く。