じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大西門前を真西方向に流れる座主川。秋分の日の前後は太陽が真西に沈むため、夕日が川面の奥のほうまで差し込んでくる。 |
【ちょっと思ったこと】
鍾乳洞の長さランキング 9月25日付けの朝日新聞によれば、鍾乳洞など全国の洞窟の長さランキングに変動があり、鹿児島県沖永良部島の「大山水鏡洞(おおやますいきょうどう)、9150m」が2位、滋賀県の「河内の風穴(かわちのふうけつ)6800m」が4位にランクアップしたという。ちなみに第1位は岩手県の「安家洞(あっかどう)」で12736m、3位は山口県の秋芳洞で8790m。5位は岩手県の内間木洞で6350mとなっている。なお、中日新聞サイトに詳しい記事があった。 河内の風穴は、大学・大学院の頃、3〜4回行ったことがある。1回目は、大学主催の宿泊セミナーで、洞穴学ことはじめの著者の吉井良三先生の直々の案内だった。この本(現在、品切れ)や、ベルヌの『地底探検』に魅せられてケイビングを始めた人も多いのではないかと思う。 だいぶ昔のことなので記憶は定かではないが、河内風穴は、照明のついた観光洞部分の奥に、ヘルメット、ヘッドランプ、雨具などを持参すれば自由に探索できる部分があった。友人と一緒にその奥の支洞を探索したこともあった(←ネットで検索したところ、現在は、許可証が無いと奥へ行かれないらしい。ま、遭難防止や鍾乳石保護のためにはやむを得ないところだろう)。 一口に鍾乳洞といっても、観光洞と、そうでない洞窟では、中の様子がまるっきり違う。しかし、後者はいろんな点で危険が伴うし、時には水をくぐったり垂直な壁を上り下りする必要もあるので、単独行動は禁物だ。やはり、実績のあるケイビング同好会に入って、きっちりと技術を学びながら探検に参加していくべきである。 |
【思ったこと】 _50925(日)[心理]日本心理学会第69回大会(13)詩的表現のもつ語りの力(4)異常の典型、異常の先端を描く意義 日本心理学会第69回大会の参加感想の13回目。 さて、8月11日のワークショップ 【9月11日 夕刻】WS70 詩的表現のもつ語りの力-----質的心理学の方法論(2)(企画・司会:やまだようこ、話題提供:やまだようこ、サトウタツヤ、矢守克也、指定討論:南博文、本山方子) では、矢守克也氏から。たいへん示唆に富んだ話題提供があった。 矢守氏は、こちらのプロフィールにあるように、京都大学防災研究所巨大災害研究センターで人間科学の立場から防災の研究に取り組んでおられる。今回の話題提供は ●典型性・純粋化 ←→ 網羅性・平均化 に関する内容であった。このことに関しては、じつはもう1つ ●変容的転移 ←→ 一意伝達 という話題に関連づける必要があるのだが、時間の関係で2番目の話題は残念ながら省略された。 矢守氏はまず、よく知られている標語、名言、格言などをいくつか紹介された。記憶に残っているものとしては(あくまで長谷川の聞き取りによる)
台風や地震災害などではしばしば、マスコミは、崖崩れ現場やビル崩壊現場など、センセーショナルな映像ばかりを流して視聴率を稼ごうとする。このことへの批判はしばしば耳にすることであるし、尤もな指摘であろうとは思うけれども、では、災害報道は網羅的、平均値的に伝えれば公正であるのかというとそういうことにもならない。例えば、 ●今度の災害では○○人が死亡し、○○人が怪我。被災家屋は○○戸。1戸あたりの損失額の平均値は○○万円でした と報道すればそれで価値ある情報を伝えたことになるのか、という問題が出てくる。 災害報道は、単に起こったことを正確に知ることばかりでなく、今後の防災や避難行動に役立つ情報として語り継がれなければならない。となると、やはり、異常の典型、異常の先端をいかに簡潔で、記憶に残りやすいように表現するのかが大切になってくる。 矢守氏によれば、似顔絵というのは、純粋化の表現の典型であるそうだ。確かに似顔絵は、顔写真そのままではないが、写真以上に本人であるように見えるところがある。 もう1つ、「変容的転移 ←→ 一意伝達」に関係する話題となるが、顔を変装した人がいちばん見破られやすいのは、笑った時だそうだ。つまり、顔の特徴というのは、表情筋がいちばん動く時、つまり変化の部分に表れるのだという。 このことに限らず、本質というのは静的な構造の特徴ではなく、むしろ変化する中で微分係数が最大になる部分に表れる場合があるというお話がたいへん参考になった。 なお、質疑の時間に私からも発言させていただいたことであるが、情報の簡潔化ということと、典型性・純粋化ということは別次元の話であるように思う。今回の「詩的表現」は、「詩的」というよりむしろ「ヘッドライト」、「ピンポイント」、「マスター(キー)」的な表現という意味で捉えられるべきだとの意見も出たようであったが、とにかく、文学の世界で研究される「詩的」とは明らかに違う面を検討していることは間違いない。 ということで、まだまだ理解できていない部分も多かったが、とにかく実りの多いワークショップであった。 今回の大会では他にもいくつかの小講演やワークショップに参加したが、大会から2週間がすぎて記憶がかなり曖昧になってきたので感想の連載は今回で最終回としたい。この日記にも何度か書いているように、何かの学会やシンポに参加した時には、なるべく1週間以内、遅くても2週間以内に感想を日記に書いておく必要がある。これを怠ると記憶はあっという間に風化し、お金と時間をかけて参加した意味が殆ど無くなってしまう。 |