じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 9月22日の日記に掲載したケナフが、さらにたくさんの花をつけている。写真ほぼ中央に飛んでいるのは、トンボではなく、岡山空港に着陸する直前の飛行機。



9月30日(金)

【ちょっと思ったこと】

宗教やセラピーとしての阪神タイガース

 阪神タイガースのリーグ優勝については、特別仕様でお祝いしたところであるが、私自身が甲子園球場まで応援に行っていたのは25年以上前のこと(←阪神の試合自体は、その後岡山県営球場で観たことがあった)。あの当時は、旗を振ったり手拍子で応援していた程度であり、今のように、ハッピを着て、メガホンを振ったり、選手別の応援ソングを歌ったり、風船を飛ばすようなことは無かった。応援はそれだけ儀式化しており、私などがのこのこ甲子園に出かけていっても完全に仲間はずれにされてしまうのではないかと思うほどだ。ま、そうは言っても、タイガースが勝利した時に流れる六甲颪は格別である。甲子園での応援というのは、もはや、スポーツ観戦の域を超え、阪神タイガース教団5万信者の巨大な宗教儀式になっているようにも見える。

 安易に「宗教」を口にすると信仰の厚い方からお叱りを受けるかもしれないが、とにかく、阪神を応援することには、ある種の信仰に近い固い信念があるように思う。

 まずは「阪神を応援することはゼッタイに正しい」と信じて疑わないことである。一度阪神ファンになると、滅多なことでは宗旨替えはしない。そして、「阪神は強い」という信念に合致する情報だけをフィルターをかけて収集するようになる。阪神が勝った翌日のスポーツ新聞は隅から隅まで読むが、阪神が負けた翌日は一切見ない。

 世の中とにかく人間関係の軋轢は絶えないが、甲子園球場に出向けば、竹中平蔵大臣も民主党の前原代表もみな心を1つにして阪神の応援をする。このことによる一体感は何物にも代え難い。また日常生活でどんなに辛いことがあっても阪神が勝てば翌日1日は上機嫌でいられる。このあたりは、セラピーとしても有用であろうと思う。

 そういえば、いつぞや、タイガース応援に打ち込むことで人生の悩みや辛さを克服している人たちのことを紹介した番組を視たことがあった。そういう人々にとって、今回の優勝は、至福の喜びとなっているはずだ。