じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
大学構内のカラフルな紅葉。よく見ると、オレンジ色の葉は、枝に絡みついている蔦の葉の紅葉であることに気づく。
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【ちょっと思ったこと】
野良猫に学ぶ“モード”性格論 この日記でもたびたび取り上げている大学構内の野良猫(11月2日の日記参照)は、その後も各所に出没しているが、私が近づいていくと、足元にすり寄ってきてゴロゴロすることもあれば、慌てて逃げ去ることもある。 ふつうこういうことがあると、猫は気分屋であって、すり寄ってきた時には「今日は機嫌がいいのだろう」、逃げ去った時は「今日は人には会いたくないのだろう」などと思い込んでしまう。しかし、これは、 ●猫は私を同一人物であると見ている という前提の上で成り立つ解釈である。本当のところは、猫は気分屋ではなく態度は一貫しているのかもしれない。しかし、建物の玄関前で近寄ってくる私と、窓枠に乗って日なたぼっこしている時に近寄ってくる私と、道でたまたま会った時の私は、猫にとっては全部別人であるかもしれない。少なくとも、猫自身の生活環境の中では、3箇所に現れる私をそれぞれ別人として扱って不都合になることは何もない。 同じペット動物でも、犬のほうは、異なる場所・時間に出会う私を「同一人物」として処理する傾向が強いように思う。もちろん犬でも、時間帯によって態度をゼンゼン変えることがある(2003年6月18日の日記参照。2004年1月24日の日記にも関連記事あり)。しかし、こういう「現実的な」犬であっても、私に吠えかかることはしない。犬は猫と違って嗅覚を頼りにしているので、文脈や状況に影響されずに相手を見分ける度合いが大きいのではないかと推測される。 猫の世界に戻るが、おそらく猫というのは、時と場合によって自分をプロデュースしている動物ではないかという気がする。じつは、最近、サトウタツヤ・渡邊芳之氏から モード性格論 という本を送っていただいた。この本の帯には 「性格は変わらない」という思い込みこそが、あなたの性格が変わらない一番の理由です。 時と場合によって自分をプロデュースするという新発想というメッセージが書かれてあった。内容はまだ拝見していないが、おそらく、究極のモード性格論というのは、「野良猫に学ぶ性格論」ではないだろうかと思ってみたりする。 |