じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 2月に入って雨の降る日が多くなった。岡山市の2月の総雨量平年値は45.8ミリであるが、昨日までの時点でこれを超えた。このこともあって、大学校内各所には水たまりができ、パラレルワールドを映し出している(写真は2月21日に撮影)。


2月22日(水)

【ちょっと思ったこと】

採点やっと終了

 土日返上で取り組んでいた成績評価作業(期末試験答案とリポートの採点、素点のWeb入力)がやっと終わった。しかしこれでのんびり、というわけにはいかない。
  • 月末締切の著書・分担執筆の校正
  • 6月に行われる某学会年次大会の準備作業
  • 某委員会の年度末報告書のとりまとめ
  • 確定申告
  • 卒論・修論の要約をWeb公開、完成原稿の製本化
  • 学術誌の論文査読
などの作業が山積しており、次回もまた土日返上となりそう。

 締切が遅いものは3月にまわしてもよいのだが、そうすると、バタバタしているうちに新年度を迎え、春休みに予定している論文執筆ができないままに終わっている。あっ、そういえば、3月下旬にはエジプトに皆既日食見物に出かけるのであった。出発前までにすべての作業を完了しておかななければ...。

【思ったこと】
_60222(水)[心理]「家族介護の4人に1人はうつ病」をどう捉えるか

 2月22日朝のNHKニュースによれば、家族を介護している人の4人に1人はうつ病とみられ、介護を担っているのが高齢者の場合、3人に1人が「死にたい」と感じた経験のあることが厚生労働省の研究班の調査でわかったという(2月23日朝の時点では、こちらに放送記録あり)。

 この調査は、厚生労働省の研究班が自宅で家族を介護している人を対象に昨年行ったものであり回答者は約7900人。うつ病の診断に使われる質問票に記入してもらって専門の医師が分析した結果、4人に1人がうつ病とみられることがわかった。しかし、うつ病の治療に通っていた人はほとんどおらず、家族の介護をしている高齢者の3人に1人は「死にたい」と感じることがあった。研究班の代表で保坂隆・東海大学教授は、「介護が必要な世帯を訪問するヘルパーなどの担当者は介護をしている家族にも注意を向け、何かおかしいと感じたら専門の医師を訪ねるよう勧めるなどの支援が必要だ」と話しているという。

 この調査は、介護される人ばかりでなく、介護をする側にもたいへんなストレスがあり、家族全体へのケアが必要であるということを実証した点で重要な意義があると思うが、それはそれとして、「4人に1人はうつ病」という伝え方には若干問題があるように思う。

 一番の問題は、「4人に1人はうつ病」と判定することによって何が改善されるのかということだろう。
  • 「4人に1人はうつ病」というのは、「4人に3人は、うつ病でない」という意味にもとれる。では、うつ病と診断された人たちを病院で治療すれば家族介護の精神的負担は解決したことになるのか。
  • 「うつ病」と診断されたからといって、要介護の人がいるという現実が変わるわけではない。
 このことで思い出すのは、「精神疾患に関する語彙の蔓延と言説の増大サイクル」という、社会構成主義者ガーゲンの指摘である(昨年9月22日の日記参照)。その一部を再掲すると、
...「鬱病」という用語が一般的になったために、失敗や欲求不満に直面したときに、人々は落ち込むのが当然であるとするような文化が育まれた。そのような文化の中では、もし失敗や欲求不満に対して「抑鬱」ではなくて「冷静」や「喜び」を表現するならば、かえって、いぶかしい目で見られる。まさにサッツ(Szasz, 1961)の言う通り、ヒステリー、精神分裂症などの精神障害は、日常生活に解決不能の問題を抱えている人々が「演じる」病人ステレオタイプなのだ。つまり、精神疾患は、逸脱者としての役割を演技することであり、規則から逸脱するための文化的ノウハウを知っていなければならない。シェフ(Scheff, 1966)も、同じように、多くの精神障害は、社会に対する反抗の一種であると述べている。シェフが言うように、まわりの人がうまく反応してくれてこそ、その逸脱者としての役割演技が、「精神疾患」としてラベリングされるのだ。
【Gergen, K. J. (1994): Realities and relationships; Soundings in social construction. Cambridge: Harvard University Press. /永田素彦・深尾 誠 訳 (2004):社会構成主義の理論と実践---関係性が現実をつくる, ナカニシヤ出版.】
 さらに引用を続けると、
 精神疾患に関する言説の増大サイクルの最後は、精神疾患に関する語彙のさらなる蔓延の段階である。人々が日々の問題を専門用語で構成し、ますます専門家の助けを求めるようになり、需要に応じて専門家の地位が上がるにつれて、より多くの個人が、日常用語を精神衛生の専門用語に翻訳することができるようになる。

...

 専門的に正当化された精神疾患の言語が社会に広まり、そうした言語によって人々が理解されるようになると、「患者」の数は増大する。一方、一般大衆は、精神疾患に関する語彙を増やし、多くの精神疾患用語を使用することを、専門家に求める。こうして、文化の内部で多くの問題が専門用語によって構成され、多くの専門家の支援が必要とされ、精神疾患の言説が再び増加する。
 家族介護の問題を「精神疾患に関する言説の増大サイクル」に組み込んでしまってよいものか。もっと別の見方はできないものだろうか。

 もちろん、緊急の対策として、家族の介護をしている高齢者の心の悩みに対するケアが必要であることは十分わかる。しかしそういう人たちに「うつ病」というラベルづけをしなければサポートできないものなのか、考えてみる必要がありそうだ。